嘔吐
84件の記録
たま子@tama_co_co2026年6月23日読んでる読書日記毎日日記今日もシピの頭皮ハムハム攻撃で起床。昨日の夜中に食べたカップ麺の影響で胃もたれしていたので、朝はバナナスムージーで済ませる。ぴー太は嬉しそうにウィンナーやハムステーキや目玉焼きをフライパンで大量に焼いている。胃が元気。仕事をはじめる前に『夜明けと音楽』。「イメージは言語を必要とする」のなかで書かれていたことをきっかけに『嘔吐』のことを考える。今苦戦して読んでいるロカンタンの思考の流れにすこし触れられそうな気がして読むのを『嘔吐』の方に切り替える。キーワードは鏡だったりするのかもしれない。誤読でもいいので何かを掴みたい。 p176『夜明けと音楽』 私は無数の人と物と場所の合間にいる、無数の私を見る。私であるあなたを見て、またあなたである私を見る。この人は静物かもしれないと思った瞬間。もしくは物が人の仮面をかぶっているのではないかと思った瞬間。そのときの視線は誰のものなのか。そして、その実体のない人や物は何なのか。 p177『夜明けと音楽』 今日もまた無数の視線を幾重にも抱いて、文字で作られた風景の中へ入っていく人がいる。誰でもないもの。何でもない場所。この無意味さこそが、存在の根源的な状態なのだと思いながら。 p212『嘔吐』 もしも存在とは何かと訊かれたら、私は本気でこう答えただろう、それは何でもない、せいぜい、外から物につけ加わった空虚な形式にすぎず、物の性質を何一つ変えるものではない、と。それから不意に、存在がそこにあった、それは火を見るよりも明らかだった。存在はとつぜんヴェールを脱いだのである。存在は抽象的な範疇に属する無害な様子を失った。それは物の生地そのもので、この根は存在のなかで捏ねられ形成されたのだった。と言うよりもむしろ、根や、公園の鉄柵や、ベンチや、禿げた芝生などは、ことごとく消えてしまった。物の多様性、物の個別性は、仮象にすぎず、表面を覆うニスにすぎない。そのニスは溶けてしまった。あとには怪物じみた、ぶよぶよした、混乱した塊が残ったーーむき出しの塊、恐るべき、また猥褻な裸形の塊である。 昼、野菜たっぷり麺。胡麻を台所にぶちまける。夜、チキンとズッキーニとパプリカのパエリア。お焦げの加減が難しい。寝る前に『ダロウェイ夫人』。





たま子@tama_co_co2026年6月20日読んでる読書日記毎日日記朝、鯖と味玉の茶漬け。すこし制作。ベッドに寝転がり『嘔吐』。後半にいくに連れて、何が書かれているかわからないところが増える。ロカンタンは「存在」について考え「このことをどうやって言葉に定着させることができるだろう?」p215 捉えかけている気づきを定着させるため言葉と格闘している。わたしもぐっと集中してロカンタンの思考と同じところまでなんとか降りていけないか、とやっている。読んでいるというより深く降りていく。夕方からアンノウンアジア出展のアイデア出しごはん会。藁焼きが美味しい。ありがたいことにディレクション的な立ち位置で関わらせてもらう。ここ数ヶ月う〜んと考えていたアイデアを伝え、おもしろいねと聞いてくれ、それを元に審査に向けて作りはじめるステップに進めそうでほっとする。アイデア出しの自由度が高いので実験的にやってみたいことができるのがおもしろく、しかも自分だけでは実現できないことが、分野の違うメンバーの技術や考えにより実現するかもしれない、というのがとてもたのしい。精神の栄養になる仕事。



- たばら@ircow03152026年6月20日読み終わった@ 自宅物から意味を剥いでも存在は残る、存在は意味を持たない、世界や人間は理由無く偶然存在する事を認識せずとも感じてた主人公は度々吐き気を催す。音楽を通し人間は必然性を創造できると感じた彼は、過去の人間の必然性を証明する歴史研究を捨て、小説の執筆を創めるところで幕が下りる。 英雄的にチーズを注文するシーンは皮肉たっぷりで笑えました。 しかし私は主人公の吐き気に原因になる感覚に直面した事がないので核心には乗り切れない気持ちです。(まず物から意味を剥いでも存在が残る事を証明して欲しいですね。) あとヒューマニズムを皮肉ったのに結局人間が持つ能力に帰結するのは同様にヒューマニズムではないかとも思いますね。 小説としては面白かったです。(独学者が可哀想だったけど…)
yuchi@yuchi3242026年5月17日読み終わったp164からの文はモノを疑ってみようとした時の自分の過程と一致して、変なことを考えてしまうのは自分だけじゃないとなんだか嬉しくなりました。基本的に難解な文が続きますが一度でも同じようなことを考えたことがある部分はスラスラと読めました。サルトルの哲学の根底にあるものが読み解けました。


たま子@tama_co_co2026年4月25日読んでる読書日記毎日日記午前中しごとをして、夕方まで昼寝を3回ほどして夕方から近所の英國屋で本を読みながら、きのことチキンのドリアを食べ、本を読み、アイスティーを飲み、本を読み、シフォンケーキを食べ、本を読む。英國屋のシフォンケーキは、甘さひかえめのしっとりした生地にとろりとした生クリームがのっていておいしい。本は『嘔吐』と『言語化するための小説思考』を交互に読む。ロカンタンは毎日カフェと図書館を行き来していて、今日もカフェで人間観察をしながらもんもんと考えごとをしている。人間観察となるとだいたい鬱々としているけど、見ている情景はいつも美しい。カフェを出たら雨が止んでいたようだ。こちらも英國屋を出てすこし本屋をうろうろしてから帰る。 「雨は止んでいる。空気は心地よく、空はゆっくりと黒く美しい雲の影を移動させる。完璧な瞬間の枠組としては、願ったり叶ったりだ。このような影を映し出すために、アニーだったら二人の心にちょっとした暗い潮の流れを生じさせたことだろう。ところが私はこの機会を利用する術を知らない。だから私は、活かされなかったこの空の下を、虚ろな気持ちのまま心穏やかに、ただ当てずっぽうに進んで行くばかりだ。」p120










たま子@tama_co_co2026年4月15日読んでる読書日記毎日日記「美文を作る必要はない。ただある種の状況を明らかにするために書くのだ。文学を警戒すること。言葉をあれこれと探すのではなく、ペンの赴くままにすらすらと書くべきだ」p97 ロカンタンは、前日に自分で書いた日記に対して「どうして昨日はこんなばかげた大げさな文章が書けたのだろう」とうんざりし、日記を書くことについて考えている。そういえば『異国日記』のなかで槙生が、つまりなにを書かないかだよ的なことを言っていたな。今日は一日中雨。低気圧で頭が痛いのか、ほんとうはそんなことないのにそんな気がしているだけなのかわからなくなる。猫も元気がないように見えるけど、いつもこのくらい寝ているような気もする。昼に昨日の夜の残りカレーを食べながらアニメ『とんがり帽子のアトリエ』1話を観て、『プレイグラウンド』を30分ほど読む。ラフィとトッドの学生時代の友情が眩く、このふたりだけの物語でもいいと思うほどにいい。でもこの先一緒にいないことを並行して進む現代の流れの方で知っているので、何が起きるのかこわい。夜、また残りカレーを食べる。









たま子@tama_co_co2026年3月7日読んでる「私は独りきりだ。大部分の人たちは家庭に戻って、ラジオを聴きながら夕刊を読んでいる。終わりかかった日曜日は、彼らに苦い味を残したが、すでに彼らの心は月曜日を向いている。だが私には月曜日も日曜日もない。あるのは無秩序にひしめき合う日々と、そこへとつぜん訪れるこのような閃光ばかりだ。 何も変わりはしなかったが、にもかかわらずすべては普段と違った形で存在している。私にはそれを描くことができない。まるで〈吐き気〉のようで、しかもそれとは正反対だ。要するに一つの冒険が私の身に起こっているのであり、自分自身に問いかけてみると、起こっているのは、私がまさに私であって今ここにいる、ということであるのが分かる。夜をかき分けて進んでいるのはこの私だ。私は小説の主人公のように幸福である。」p93 この本に読みたいもののすべてが詰まっているような気がしている。







たま子@tama_co_co2026年2月5日読んでるロカンタンの日記を毎晩すこしずつ読み進めている。あれもこれも引用したいすきな文章だらけだけど、特にずっと忘れられない情景があって、こういうものと出会いたいからわたしも日記を書くのかもしれないなと思ったりする。 「独りきりの生活をしていると、物語るということさえ、どういうことなのか分からなくなる。本当らしさは友人とともに消えてしまう。出来事だって同様に、流れて行くがままだ。不意に人びとがあらわれ、話しかけ、去って行く。そしてこちらは脈絡のない話のなかにどっぷり沈みこむ。証言でもするとなったら最低の証人だろう。だがその埋め合わせに、すべての本当らしくないもの、カフェではとても信じられないようなものには、事欠かない。たとえば土曜日の午後四時ごろ、駅の工事現場におかれた板張りの歩道の端で、スカイブルーの服を着た小柄な女が一人、笑ってハンカチを振りながら、ちょこちょこと後ずさりをしていた。同時に、クリーム色のレインコートを着て、黄色い靴をはき、緑色の帽子をかぶった一人の黒人が、口笛を吹きながら道の角を曲がってきた。相変わらず後ずさりを続けていた女は、板掘に吊されていて夜になると人が明かりをつけにくる角灯の下で、その黒人とぶつかった。つまりそこには夕焼けの燃えるような空の下に、湿った木の臭いを強烈に放っているこの板堀、この角灯、黒人の腕に抱かれたこの金髪の小柄なお人好しの女が、同時にいたことになる。もし四、五人でそれを見ていたら、おそらくこの衝突、これらすべての優しい色の取り合わせ、まるで羽根布団のような青いきれいなコート、明るい色のレインコート、角灯の赤いガラスに気づいたことだろう。そしてわれわれは、この二人の顔にあらわれたぎょっとした子供のような表情を笑ったことだろう。 独りきりの男が笑いたくなることは稀である。その情景全体は私にとって、非常に強烈で、残忍とすら言えるような、ただし純粋な意味を与えられていた。ついで、それはばらばらになり、あとには角灯と板堀と空しか残らなかったが、それもまだかなり美しいものだった。一時間後になると、角灯は点されており、風が吹き、空は暗かった。もはや何も残ってはいなかった。」p17-18









Pha3@Pha32025年11月23日読み終わったモノの存在の観察で嘔吐の原因を知った彼に追い討ちをかけたのは、アニーからも必要でなくなったことだ。 さらに言えば、ロカンタンが(独学者のように事件を起こす訳でもなく)受け身であったことで、彼は切り札を失い彷徨う。 一つの光明として、レコードに吹き込まれた歌声にヒントをもらって本を書こうと意気込むのだが、 実際、他者との関わりを見失って苦悩を抱えて、自分を書き留める作品や作業で救われる人は案外多いのではないかと思った。



こここ@continue_reading2025年9月6日読み始めた中島義道『哲学の教科書』で取り上げられており、読んでみたくなった。 表紙、カバーデザインの雰囲気と手触り、紙質も好きだ。 本の内容は、気をつけないと暗くなりそうだが。。









monami@kiroku_library2025年7月16日読み終わった公転くらいの速度で読み進めている『失われた時を求めて 2』が割と深く絡んでる話だったので、読めてよかった 終わりかた好きだったなぁ そして、そういうことが言いたい話じゃないと頭で理解はしつつも、「暇」って人を不健全な思考にまで至らしめるよなぁと思った










monami@kiroku_library2025年7月9日読み始めた完全に夏バテ、なのかしら。 とにかく起きた瞬間から頭が痛くて、結局なにも手につかなかった。 横になると寝てしまって、最終的に金縛りにあうまで眠った。沢山夢をみた。 起きても頭痛は悪化していた。 冷房もつけたし、水も飲んだ。アイスコーヒを飲んで、しょっぱいものだって食べた。冷えピタをつけたり、お風呂に入って血行を良くしたりもした。でも何も治らず、気づけば深夜2時。 ゴミ捨てに行き、ついでにコンビニに行って明日の朝ごはんを買った。 歩いていると軽い吐き気みたいな、気持ち悪さがある。 さっきまで本で読んでいて、しかし身の入らなかったセネカの『生の短さについて』をAudibleで聞いてみた。 「ただちに生きよ」 幼少から蒲柳(今日覚えた言葉)の質だったセネカの言葉なのだからと、どうにか聞き続けるも吐き気は増すばかり。 コンビニからの帰り道、そうだ、今こそ『嘔吐』を読めばいいじゃん、と天啓のようにひらめいた。 そう思い立つと、この軽い吐き気すらおあつらえ向きに思えてくる。 さて、今は3時10分。 相変わらず頭痛も吐き気もある。 読むぞ。









aio@icecreamread2025年4月5日ちょっと開いた本当は大学生の時に読みたいと思っており、出会いを求めてもいたが、出会えなかった。なんかすごく高かった印象があったが、定価はそんなこともないのだね。 ひとまず最初数ページと後書きのみ読んだ。今回はいったん置いておいて、また時が来たら読もうかと思う(果たしてその時は来るのか)

CandidE@candide_jp2025年3月25日読み終わった久しぶりにマインドセットを履き違えた読書となった。主人公の作中内思索と現代日本人の私との感性における隔たりやギャップが想定以上に大きく衝撃を受ける。 『嘔吐』は、謂わばコンセプト重視の作品で、美化すれば、小説という形式を借りた哲学的探求のスケッチブックという感じであった。なんというか、学生時代にあった、右も左もわからずに高度な専門書や哲学書の類を読み進める感覚が久しぶりに蘇った。率直に言えば一種の修行であり、部分部分で知的興奮や普通に面白さを得られたものの、個人的には読み始めと読み終わりの1/4ずつが特に苦行であった。嘔吐。 どうなんだろう、この読みにくさは、村上春樹の作品で全く合わない・シンクロしない・興味が持てない時に味わう感じに近しい。本作の踏襲だろうか。あるいは、マインドセットを間違えたという点では、『嘔吐』とは毛色が違うが、近年では鈴木健『なめらかな社会とその敵』とか、町田康『ホサナ』とかで体感したように記憶している。まあ前者に関しては、昨今はAIと一緒に逐一内容を精査しつつ理解を深めながら読み進めることができる時代なので、それはそれでモダーンな読書を楽しめそうだ。 差し詰め本作は、1938年当時におけるフランスの知的エリートの意識を記録した文化人類学的資料として読むことができる。あるいは、サルトルが自らの哲学的思考を物語形式で実験している過程として思想史的価値がある。また、文学史的には「意識の流れ」から「ヌーヴォー・ロマン」へと発展する過渡期の作品として、さらには、後のポストモダン文学が抱えることになる「コンセプトが作品の文学や芸術性を圧倒する」というような病を先取りした作風として哲学的・芸術的読書体験を楽しむことができる、、、って、どういうことやねん?・なんやねん? みたいな感じで繰り返しになるけれども、部分的には面白い、というか、めっちゃ面白い。それで別にぶっ飛びすぎていて支離滅裂で読めないということは一切ない。しかし、気軽な読書には正直あまり向いていない。サルトルを舐めてはいけない(戒め) まずは訳注だけをざっと眺め、主人公が1930年代のフランスの左翼知識人であることと、この小説が『存在と無』のスピンオフであることをよくよく肝に銘じ本文に入ることを推奨したい。さらに余力があれば、ハイデッガーの『存在と時間』における「本来性/非本来性」の議論にも目を通し、当時の読者にとっての革新性をキラ☆キラ想像しながら読み進めることで味わいが一層深まるかもしれない。嘔吐。


i.@rom-random1900年1月1日読みたい通りがかりに新聞を買う。センセーショナルなニュースだ。リュシエンヌちゃんの遺体が発見された! インクの匂い(1)。紙が指のあいだで皺くちゃになる。破廉恥漢は逃走した。女の子は強姦された。遺体が発見された、泥のなかで痙攣する指。私は新聞を球のようにまるめる、新聞の上で痙攣する私の指、インクの匂い、ああ、今日はなんと物が強烈に存在するのだろう。






























































