
ヒヨリ
@charonll
2026年6月27日
フィフティ・ピープル[新版]
チョン・セラン,
斎藤真理子
読み終わった
家の本棚にいつもあってほしい本だと思った。
出会う人、出会わない人、自分を行き交ういろんな人々。
すべての人が当たり前に生きているようで、今立っている地面は大穴が空くかもしれず、頼みの非常ドアが開かないかもしれず、職場をいつ追われるかも分からず、突然ナイフやフォークで刺されるかもしれない、そういう社会だ。
そういう不安定な社会で、わたしたちは心を日々砕く。目に見えず、最も不安定な、心というものを。
目に見えないもの、曖昧なものを理解し、あるいはコントロールしたいがために、私たちは名前をつける。理由を探す。原因と行動を一致させる。
けれどその過程を飛び越えて、つい優しくしてしまう瞬間。人が人に咄嗟に、反射的に優しくしてしまう瞬間がある。
そういう場面を目撃するたび、優しさは筋肉のようだと思う。
"心が体を追い越した"のではなく、心と優しくするという行為が、そもそも別次元にあるように思うのだ。
好きだから、愛おしいから、優しくしたいから、優しくする。そういう明快な図式に当てはまらない優しさが『フィフティ・ピープル』にはたくさん出てきた。
本当にいろんな人がいる。いろんな事が起きる。いろんな思いがあって、いろんな事情があって、いろんな感情が起こる。
感情と行動が結びつく時。結びつかない時。
心が動いても、動かされても、手を差し出しても、差し出されても、目に見えるもののほうが少なくて、生きるのにはとかく不安定で、曖昧な世界だ。
それでも、人は人に心を動かし、手を差し出す。
そういう瞬間がある限り、やさしさの筋肉が動く限り、人は人でいつづけられるのだと、私は信じていたい。
"いちばん軽蔑しているのも人間、いちばん愛しているのも人間。その乖離の中で一生、生きていくだろう。"
チョン・セラン작가님の、人を信じる眼差しが大好きだ。人間同士のあり方をいくつもいくつも教えてくれるような、素敵な表現が大好きだ。あなたの本を読むたびに、わたしは優しさの筋が伸びていくような心地だ。
