
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月28日

私の幸福論
福田恆存
読んでる
そうしないで、いたずらに自由を求めてばかりいると、落ちつきのない生活を送らねばならなくなります。みんな神経衰弱に陥ってしまいます。
……
なんでも操れる自由をものにしようとしたため、自分自身が操れなくなるという奇妙な結果に陥るのです。
(自由について)
魔法使いを題材とした物語には必ずそのような教訓が出てくる。
テンペスト、ハリーポッター、フリーレン。
近代以前の魔法使いは、人知を超えた術を使う者として畏れられていたが、近代以降の魔法使いは、人間の技術に重ねられる(重ねられて読まれる)ことが多くなっているのでは、と思う。
魔法の「制御」をテーマとしたとき、『魔法使いの弟子』が描かれる。
ゲーテはさておき、行き過ぎた「制御」というものも考えものであるとバタイユは語る。魔法使いにとって「手品師」に成り下がることほどつまらないことはない。
弟子には師がいる。それが弟子にとっての救い。
師や主人がいなければ、色んな意味で破壊。
人間が神になると、「神」経が衰弱する。
限界(有限性)を忘れた者は、必ず不死を追い求める。
皇帝マルクス・アウレリウスは、自ら記すことで魔法の誘惑を遠ざけた。「世界の種明かし」は理性により解かれた。
(バタイユなら、それを「本当は魔法の奔流に押し流されてしまいたい人間の去勢」と言いそう)
手に入れた杖をどうするか問題は尽きない。
それが問題なのではなくて、主人が不在であることが本当の問題。
月に還るかぐや姫問題。
限界を忘れてしまった者は、
必ず『火の鳥』を追い求める。
義務教育に、「限界」という科目があれば面白そうだなとふと思う。
国・数・社・理・道・限、の6限を経てHR。
しかし限界を教えられる教師は、
「魔法使い」、その他スーパーサイヤ人、海賊王、…
やはり物語の「魔力」に頼らざるをえない。
そして、語ること自体が限界との闘い。

