和月 "イン・ザ・メガチャーチ" 2026年6月27日

和月
和月
@wanotsuki
2026年6月27日
イン・ザ・メガチャーチ
大前提、全ての本に読む意義はある。 しかし、今を生きる書店で働く人々が「読んで欲しい本(物語)」として本作を選んだことの意義について深く考えさせられて、納得できる作品だった。 『正欲』、『生殖記』、そして『イン・ザ・メガチャーチ』。著者が本屋大賞のスピーチで、これらの三作は生きる推進力を描いていると話していた所が印象に残っている。たしかに、社会構造や集団の中の個について凄まじい解像度で言語化した作品だなぁという感想は共通している。 行動の先に得た答えや幸せな結末から提示される希望ではなく、波紋のように広がる現象や大衆の社会構造を描く。 原動力ではなく推進力を主題に置くという小説の作り方が、作品群の生々しく目が離せなくなる魅力を生み出しているように感じた。 作中では何度か「味噌」がシグネチャーとして表れてきて、それぞれの違いが面白い。特に3つの味噌玉を溶かす場面と味噌餡のくだりが良かった。個人的には国見さんの何にも属さない、あるいは属せない性質が好きだった。 作中に登場する中年男性の寄る辺なさは読んでいて非常に辛い。 自分がしてこなかったことが、取り返しのつかない結果として引き返せない年齢になって還ってくる。だが、この先寿命まで生きるとなれば、結果を受け止め続ける時間があまりにも長すぎる。 その虚無感の中から動き出して彼が迎える結末は何とも形容し難い。しかし、物語によってもたらされた変化は443頁を読む限り、そう悪くない部分もあったのかもしれないと思えた。 本作には「推し活にのめりこんでいく人」と「推し活にのめりこんでいた人」も登場する。 主体となって描かれている2人は、現実的に考えるとかなり極端な人物像だ。ど、どうして……と思わず顔を覆いたくなる展開も多々ある。 けれど、その異常なまでの振り切れ方、自分自身を使い切る熱量が、2人を別側面の苦痛から救ってくれる。 パラケルススの「すべての物質は毒であり、量こそが毒か薬かを決める」という格言を思い出した。誰かを信仰すること、何かと自分をリンクさせて支持すること。その行為自体は用法用量さえ守れば、心を前向きに保つ特効薬になり得る。 信者気質のファンがいなければビジネスとして成り立たない部分があると言われれば反論の余地は無いが、防衛手段として己の視野狭窄を達観できる時間を設ける必要はあると感じた。 元の気質も深く影響しているとはいえ、自他境界が曖昧になる瞬間は誰にでもある。彼女達が余裕のない状況から「物語」にのめり込んでいく姿は、身につまされる思いがした。 自戒の意味も込めて、時折読み返したい作品になった。 全編通して付箋をつけたい!マーカーを引きたい!と思うような言葉が多数あったが、特に印象に残った言葉。 「全ての角度からの審判を俯瞰できるまで視野を拡げることは、誰とも何とも連帯できないほどこの世界から遠く離れることと同義だからだ。」 人間は他者との繋がりや連帯でしか解消できない孤独を抱える生物だ。 同時に、他者に攻撃されることに対してひどく敏感で、攻撃されない為にも孤立することを厭う。 たった1つの正解が無くなり多様化した世界で、その孤独を埋めるコミュニティやストーリーが権威を持つという構造。作中では極端な人達を主軸にそれらを描いているが、その風刺は確かに現代の私達に当て嵌る。 決して読み心地の良いハッピーなお話でないのに、ここまで多くの反響があるのは、そうした写実的クオリティの高さが要因の一つだと思う。 そして、資本とファンダムが密接に絡み合う、ある意味絶望的な構造主義を描ききった上で、その構造の中に身を投じる人々を「眩しい」と言ってのける眼差しが、この物語を一際輝かせているのだと感じた。
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