DN/HP "やがて忘れる過程の途中(アイ..." 2026年6月28日

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2026年6月28日
やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)
TURNING POINTのDiscography『1988-1991』を聴いていると、少し泣きそうになった。このアルバムにも幾つか思い出があるけれど、それを思い出す前に、ただ音楽、そのメロディを聴いて泣きそうになっていた。 そんな経験をある本を読んだときにもしたことがあるのを思い出した。滝口悠生さんの『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記) 』。この本のことを今思い出すとき、そこには泣きたい記憶や思いも同時に思い浮かんでくるけれど、3年前の今頃には、その文章を読むことで、ただ泣きそうになっていた。そんなことを思い出しているのは雨の日曜日。 ↓に書いていたわからなさは今もわかっていないのだけれど、わからないまま、それを抱きしめながら、もう一度読んでみたい。この本はいつでも手に取れる棚に今も刺さっている。 ☔️ 2023.6.24 文章を読んでいて、その内容に関係なく思いがけず理由の分からない涙が出そうになることがたまにあるのだけれど、これは音楽を聴いているときにその旋律に不意に感情が動かされる瞬間にも近い気がしていて。そう考えると文章にはフロウとはまた別にメロディと言えるようなものもあるのかもしれない。 ここでいう「ある」というのは、そう書かれているというわけではなくて、読むことで、タイミングや状況なんかも関係して、文章と読者の間に生まれるようなもので、それは予想やコントロールが出来ないものだから涙の理由と同じようによく「わからない」ものなのだけど、その「わからなさ」について考える時間も読書のうちとしておきたい。 と考えていたのは木曜日の深夜だったのだけど、少し前に理由のない涙に驚いたのも同じ作家の方が書いた日記だったことにもそのときに気が付いた。 頭の片隅にそのことを残しながら続きを読んでいた金曜日の終電間際の各駅停車で、日記という文章の書き方、アートフォームには特徴的なリズムがあるのではと気がつく。これは文章自体にあるもので、「フロウ」や「メロディ」とは少し違ってもう少し具体的に「ある」気がするもので、使いやすい言葉を当てはめてみたけれど、そこに涙の理由のひとつがあるのかも含めて、やはりまだ「わからない」。 そんな文章自体に感じる魅力や感情が動かされるものは確実に「ある」、のだけどそれを言葉、文章で説明するのはとても難しい。もしかしたら説明する必要というか、そうすることが出来ないのものかもしれないけれど、それについて考えることもとても大切で楽しい読書の時間なのだ、と予定が狂って時間が出来た土曜日の午後に思っている。楽しい時間はもう少し続きそう。 ずっと読みたいと思っていた一冊は、もっと早く読んでいれば良かったとも思うけれど、このタイミングだから「読める」部分も絶対にあって、今で良かったとも思う。ここには魅力と同時に 今考えている「わからなさ」のヒントもある気がしているから、それは薦めてくれた友達とゆっくりと話したい。多分それは木曜日の話。 🦁 そういえば、この本を赤坂の本屋さんに買いに行った日も雨が降っていた、と唐突に思い出した。 #本と日記のある過去 #Archive
やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)
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