やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)

21件の記録
- chroju@chroju2025年4月12日読んでる今週から読み始めている。今月は穏やかなものを読み続ける。なんとなく先に「あとがき」を読んだ。滝口さんの「日記観」のようなものをいつも興味深く思っている。
- 北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年3月18日読み終わった日本人として日本に生まれて、日本語に翻訳された各地の海外文学を読めるという環境は、それだけで幸せなことなんだな、と読みながら思った。翻訳文が苦手であまり海外文学に触れられていない人生なのだが、そんなことウダウダ考えずに海外文学も読め!と叱咤する自分が生まれた
- 北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年3月17日読んでる@ 伯爵 巣鴨店P115 「私は日本でもよく泣いているひととすれ違ってどうしたんだろうと思うけれど、ここでは泣いていようがいまいが、ほぼほとんどのひとに対してそのひとがどんな時間を毎日生きて、今日生きたのかうまく想像ができないので、泣いていてもあまり特別でないというか、わからなさのバリエーションに過ぎない感じがある。」 他者の感情や事情に対するこの距離感、良いなあ。
- こじまさとし@skoji2025年3月13日積読中日記本をたくさん積んでいる。どんどん読んで自分も日記をかこうと思う。古賀さんの日記も読んでいる途中だが、並行してこれを開こう 日記を含むメモは書く手段がずっと一定しなかったんだけど、この2年くらいでObsidianに落ち着きつつあるのだ。
- ふるえ@furu_furu2025年3月5日読み終わったお互いのことがわかるようになってきたからこそ起こる衝突というか、相性の悪さみたいなことにも少し触れられていて、まさに学校みたいだなと思う。 “「それで全員坊主刈りになった。丸めたシーツを抱えて外の川原に行き、川に向かってばさばさ髪の毛を払う。アイオワ川を三人の髪の毛が流れていく。ベンチで座って話していたウマルとロベルトがそれを大笑いしながら見ていた。」” 『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』(著者:滝口悠生/発行:NUMABOOKS)/p100より引用 「アイオワ日記」を読んでいて思わず笑顔になってしまったワンシーン。
- tom@mugwr2025年2月1日読み終わった@ レベルブックス言語でも文化でも全く異なる他人と、IWPを通じて交わろうとする日々を綴る日記。日常生活でもそうだけど、仲良くなれない人はなれないし、雰囲気でなれそうな人は分かる。でも置かれた環境の中で、受け入れたり受け入れなかったり、そんなことを繰り返して人々と交わる。とても好きな本でした。
- ヨル@yoru_no_hon2024年10月7日2024年ベスト本滝口さんの日記×IWPということで、わたしにとってはご褒美本といっていいぐらいだった。IWPの趣旨もなんだかわからないまま旅立って、滞在中もわからないままに過ごして、結局最後までわからないままで帰国する。全体的に曖昧で、それが、滝口さんだから曖昧なままなのか、それともIWP自体がこういうものなのか......読者のわたしにもわからないのだけれど、わからないままでもなんとかなるし、わからないのと、わかり合えないのとでは全く意味がちがうと思った。英語がうまく話せなくたって、彼らの言っていることをつかみきれなくたって、人種も、国籍も、文化も、宗教も、ちがう国の人たちと、わかり合うことはできるということ。この本を読んで強く感じた。ことばの壁は大きくても、こころの壁は自分で開いていけるということ。