
ジクロロ
@jirowcrew
2026年6月30日
風景との対話
東山魁夷
読んでる
今まで旅から旅をしてきたのに、こんなにも美しい風景を見たであろうか。おそらく、平凡な風景として見過してきたのにちがいない。これをなぜ描かなかったのだろうか。いまはもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったと云うのにーー歓喜と悔恨がこみ上げてきた。
あの風景が輝いて見えたのは、私に絵を描く望みも、生きる望みも無くなったからである。私の心が、この上もなく純粋になっていたからである。死を身近に、はっきりと意識する時に、生の姿が強く心に映ったのにちがいない。
……
その時の気持をその場で分析し、秩序立って考えたわけではないが、ただ、こう自分自身に云い聞かせたのはたしかだ。もし、万一、再び絵筆をとれる時が来たならーー恐らく、そんな時はもう来ないだろうがーー私はこの感動を、いまの気持で描こう。
(p.13)
このひとつの感動が、たった一瞬の「いまの気持」が、その後数多くの絵を生み出す原動力になっているということ。
「戦時」、または「旅」。
それが文字通りであれ比喩的であれ、自我を喪失する瞬間には何かが訪れるということか。