風景との対話
7件の記録
ジクロロ@jirowcrew2026年6月30日読んでる今まで旅から旅をしてきたのに、こんなにも美しい風景を見たであろうか。おそらく、平凡な風景として見過してきたのにちがいない。これをなぜ描かなかったのだろうか。いまはもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったと云うのにーー歓喜と悔恨がこみ上げてきた。 あの風景が輝いて見えたのは、私に絵を描く望みも、生きる望みも無くなったからである。私の心が、この上もなく純粋になっていたからである。死を身近に、はっきりと意識する時に、生の姿が強く心に映ったのにちがいない。 …… その時の気持をその場で分析し、秩序立って考えたわけではないが、ただ、こう自分自身に云い聞かせたのはたしかだ。もし、万一、再び絵筆をとれる時が来たならーー恐らく、そんな時はもう来ないだろうがーー私はこの感動を、いまの気持で描こう。 (p.13) このひとつの感動が、たった一瞬の「いまの気持」が、その後数多くの絵を生み出す原動力になっているということ。 「戦時」、または「旅」。 それが文字通りであれ比喩的であれ、自我を喪失する瞬間には何かが訪れるということか。
ひなこ@hnk9272026年2月22日読み終わったまた読みたい買えば良かった@ 図書館日本画の巨匠と言われるような人が、こんな面白く味わい深い随筆を書いてしまっていいのか。才能いくつあるんだ。いや一流は哲学思想からなんでも一流なのか?と目を回すほどの文章だった。 長野県立美術館の「朝明けの潮」の展示を観て、もっと知りたくなって読んだけどかなり良かった。あの波と岩を見て、ああこれは確かに私たちの知ってる海だ、と郷愁の想いを抱くこと、もし愛国心を持てと言われるならば、これを日本への愛としたいものだなあ。 私は、今、波の音を聴いている。それは永劫の響きを持つものである。波を動かしているものは何であろうか。私もまた、その力によって動かされているものに過ぎない。その力を何と呼ぶべきか私にはわからないが…





