決壊を追憶 "デカルト的省察" 1900年1月1日

デカルト的省察
デカルト的省察
エトムント・フッサール,
浜渦辰二
デカルト的な真理探求は哲学する自我へ立ち返ること、純粋な思うこと(コギタチオ)をする我へと立ち返ることに基礎づけられる。省察するものは、ただ自らのコギタチオをする純粋な我としての自分自身のみを疑えないものとして、たとえこの世界が存在しないとしても廃棄できないものとして保持している。このように還元された我が独我論的に哲学し始める。 これ対しフッサールは、他者の存在を証明するのではなく、「他者が経験の中でどのように現れるのか」を分析する態度を取った。人は他者の身体しか直接知覚できないが、その身体を自らの「生きられた身体」と重ね合わせることで、相手にも自分と同様の意識があると自然に理解する。この働きを「対化」や「感情移入」と呼び、これは推論ではなく経験そのものである。このように他者が経験されることで、世界は私だけのものではなく、複数の主体が共有する世界として現れる。この共有された世界を成立させるのが間主観性であり、その担い手である主体全体をモナド共同体という。 「外に行こうとしないで、汝自身のうちに帰れ。」
決壊を追憶
決壊を追憶
@Vorstellung
独我論を乗り越えるのと独我論ではなくなるのとは若干目的や様相が異なるしフッサールは前者の態度を維持しようとしたけど以降の現象学者にはそれがあまり汲まれなかったという印象
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