デカルト的省察
8件の記録
決壊を追憶@Vorstellung1900年1月1日読み終わったデカルト的な真理探求は哲学する自我へ立ち返ること、純粋な思うこと(コギタチオ)をする我へと立ち返ることに基礎づけられる。省察するものは、ただ自らのコギタチオをする純粋な我としての自分自身のみを疑えないものとして、たとえこの世界が存在しないとしても廃棄できないものとして保持している。このように還元された我が独我論的に哲学し始める。 これ対しフッサールは、他者の存在を証明するのではなく、「他者が経験の中でどのように現れるのか」を分析する態度を取った。人は他者の身体しか直接知覚できないが、その身体を自らの「生きられた身体」と重ね合わせることで、相手にも自分と同様の意識があると自然に理解する。この働きを「対化」や「感情移入」と呼び、これは推論ではなく経験そのものである。このように他者が経験されることで、世界は私だけのものではなく、複数の主体が共有する世界として現れる。この共有された世界を成立させるのが間主観性であり、その担い手である主体全体をモナド共同体という。 「外に行こうとしないで、汝自身のうちに帰れ。」









