
決壊を追憶
@Vorstellung
- 1900年1月1日
デカルト的省察エトムント・フッサール,浜渦辰二読み終わったデカルト的な真理探求は哲学する自我へ立ち返ること、純粋な思うこと(コギタチオ)をする我へと立ち返ることに基礎づけられる。省察するものは、ただ自らのコギタチオをする純粋な我としての自分自身のみを疑えないものとして、たとえこの世界が存在しないとしても廃棄できないものとして保持している。このように還元された我が独我論的に哲学し始める。 これ対しフッサールは、他者の存在を証明するのではなく、「他者が経験の中でどのように現れるのか」を分析する態度を取った。人は他者の身体しか直接知覚できないが、その身体を自らの「生きられた身体」と重ね合わせることで、相手にも自分と同様の意識があると自然に理解する。この働きを「対化」や「感情移入」と呼び、これは推論ではなく経験そのものである。このように他者が経験されることで、世界は私だけのものではなく、複数の主体が共有する世界として現れる。この共有された世界を成立させるのが間主観性であり、その担い手である主体全体をモナド共同体という。 「外に行こうとしないで、汝自身のうちに帰れ。」 - 1900年1月1日
唯心論と唯物論 (岩波文庫 青 633-4)フォイエルバッハ,船山信一読み終わった「もし猫が見る鼠が単に猫の眼のなかに実存するにすぎず、単に猫の視神経の情動にすぎないならば、そのときには猫はいったいなぜ爪を鼠の方にのばす代わりに、むしろ自分自身の方にのばさないのか?」 もし鼠が単なる主観的表象にすぎないなら、猫は自分自身に爪を向けてもよいはずだが、そうしないのは自己保存を望み、客観の実在を必要としているからである。猫は感覚だけでなく運動器官をもち、対象に働きかけることで空虚な主観性を克服する。また猫は鼠を殺すが、すべてを滅ぼすことはなく、自己存続のために他者の存在を保つ必要がある。欲望による対象の支配は同時に依存関係の表現でもあり、人間は対象に対して支配者であると同時に従属者でもあり、感謝すべき関係にある。 的な。 - 1900年1月1日
共同存在の現象学カール・レーヴィット,熊野純彦読み終わった - 1900年1月1日
- 1900年1月1日
それから夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
彼岸過迄夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
行人夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
夢十夜夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
坊ちゃん夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
吾輩は猫である夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
三四郎夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
草枕夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
こころ夏目漱石読み終わった - 1900年1月1日
- 1900年1月1日
夏目漱石「門」伊藤治明,夏目漱石,読人舎読み終わった
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