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@m15ar
2026年7月1日
流しのしたの骨
江國香織
読み終わった
@ 自宅
最近、家に持っている本を読み返すブーム。
本当は、新しい本を読みたいのだけど、図書館とタイミングが合わず行く時間がないので半ば仕方なく家の本から選んでいる背景があるが、やってみたらとても良くてブームになった。
元々本をすぐには買わない質だから、自分で選んで手元に置いている本はある程度響くものがあって購入したはず。と考えると当然か、と腑に落ちる。
流しの下の骨を読んだのは、きらきらひかると同じく軽井沢にいたコロナ禍の頃。
何かのきっかけで江國香織にハマり、佐久のブックオフでとりあえず数冊買ってみたうちの1冊。
その当時の記憶では、きらきらひかるがとても好きだったけど、現在の私はこちらの方が好ましいなと思った。
思い煩うことなく愉しく生きよにせよ、抱擁、あるいはライスには塩をにせよ、おそらく今の私は江國香織の描く家族像が好きなのだろうなぁ。
きらきらひかるや東京タワー、スイートリトルライズは少し一癖ある夫婦物で、それよりも互いが互いの存在であるというだけで相手を受け入れるという信頼関係が感じられる家族というものに憧れているんだと思う。いわゆる強い絆みたいなものに。
この本は読み返して、記憶の中よりも好きな本になった。
特に、p.207〜の『年をとればとるだけ大人になるのだと思っていた。そして、大人になれば世の中はぐんと秩序だって来るのだろうと。(中略)でもうすうす気づいてはいるのだ。そよちゃんの落ち着きも、しま子ちゃんの情熱も、大人になることで身についた資質では絶対にないことに。』という部分が、ここ数年の自分の実感とリンクしてとても納得感があった。
漠然とイメージする大人というものはもっと秩序だっていると思っていたが、案外そうでもない。20代後半になってもなお、自分はまだ大人である感じがしないと思っていたのは、大人というものに理由のない確信的な幻想を抱いていたからだと気がついた。私はもう、確かに大人だ。"大人"が幻想だったと認識することで、自分を大人と認めることができたように思う。
偉い人は対象の仕組みをよく理解し、周りの人よりも必要とされるスキルに秀でていて、人格が優れているから偉いのだと思っていたけど、案外全然そうでもない。"偉い"ということは単に"その組織内での序列が上"ということであり、人間が人間を評価する以上、どうしたって主観的になる。その時に持ち出される"主観"は、結構みんな自己中心的だ。だから、"偉い人"というのは主観的な誰かのおかげで序列が上になっているという単なる事実であり、ただそれだけなのだと思った。そういうことが、この会社に来て5年目にしてようやく本当に分かってきた。
ならば、私の大切にしたい資質はなんだろう?それを大切に生きる生き方にしたい。漠然としすぎて、見つけようといろいろ試して考えてもがいたけど結局よく分からなかった。だから、好きな暮らしは、過ごし方はなんだろう?というごくごく単純な問いに変換して、今はただ好きだと思うこと、やりたいと思うことを素直にやることを楽しんでいる。そうしたら、生活に色がついて彩られてきているように感じている、最近。
もっともっと、今の暮らしを続けたら、きっと肩の力が抜けた私の"好き"が本当に見つかる気がするんだ。
肩の力って、抜こうとしても抜けないのは本当にそうだな。何かが欲しくてジタバタしても、力が入っていればなかなかうまくいかないもんだな。私の場合、もっと良い自分、もっと良い人生、もっと良い目指す先が欲しかった。でも、もっと良い人生って何?私が思うもっと良い自分って何?が分からなくて、なんだかぐるぐるしていたから…。
だけどそんなの、考えたりワークしたりして出てくるようなものじゃないよなぁ。好きなことをしていて、飾らない自分の気持ちを自分が受け入れられるフラットな自分でいることで、普通に認識できるものだよな。
少し自分のステージが移った気がする。
だって、明日も来週も来月も、平日も休日も楽しみ。たくさんあそぼう。その先にどんな私が待つだろう。