わわわ "蜜蜂と遠雷" 1900年1月1日

蜜蜂と遠雷
世界をこう受け取れる人がいるのかとうらやましくなった。言葉にすることは形にすることと同じだと思った。形にすることで切り捨ててしまうこともありはするけれど。 「一瞬と、永遠と。再現性」 再現性という言葉がなければ、その一瞬を成立させられればそれがあったという過去は永遠に変わらない、そう解釈できるのに。付け加えられた再現性。音楽に捧げられた言葉だと思った。永遠の深みが増す。 終盤特定の人物のシーンで2回ほど泣いてしまった。その人物に入れ込んでいたつもりはなかったので自分でも少し驚いた。他3人が自分とは違いすぎるからかもしれないけれど、その人だって非凡であることに変わりないのに。音楽と生活、ではなく生活の中の音楽。どちらかを選ぶことがないように願いたい。 あと風間さんの話をもう少し深ぼってほしかったかもしれない。大き過ぎる課題に対して少しさらり、とし過ぎていた気がする。彼の物語に対して「早すぎる」と思った。ただ、それは「若過ぎる」と言い換えが効くかもしれないと考えた時、これは好みの話であり、物語を成立させる上で必要なものはちゃんと描かれていたことに気がついた。
わわわ
@blue-5787-1264
彼自身が権威に取り込まれる前に権威やそれに集まってくる人間たちに認めてもらう事でしか、音楽は解放できなかったのかしら
わわわ
@blue-5787-1264
権威と書いてしまうと今の業界の形に懐疑的だと思われてしまうかもしれないけれど、先生はどこかでそれに関わる方々が「音楽を愛している」ことを信じていたのではないかと勝手に思ってる。でないと、彼をギフトにしないだろうから
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