しがない "この世の喜びよ" 2026年7月2日

しがない
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@ooe
2026年7月2日
この世の喜びよ
この世の喜びよ
井戸川射子
二人称「あなた」で物語は展開される。 しかし、「あなた」と小説の世界へ『私』を喚起するのに、その文体が『私』を拒絶する。この小説に「あなた」と呼ばれるのが苦痛だった。十頁よんで限界が来た。これは小説ではなく詩文だろう。詩を小説の形態でやるべきではない。小説なら、短編には短編の鋭いリズムがあり、長編には長編の鈍いリズムがある。なので詩そのものを小説のリズムに置き換えるのは無理がある。やるのであれば小説に迎合させた詩でなければいけない。それを"詩"として読む読者には永遠に続く詩文が冗漫と感じて飽きが来る。 まずもって、この文章を"詩"として捉えてしまう人間には読めないだろう。 しかし、この文章に迎合できる、あるいは内容に融着できる人間にとっては「あなた」という喚起は心地よく居心地のいいものではないだろうか。 少なくとも自分には読めない。 賛否は別れるほどいい、それが純文学の正しい姿だと思う。 十頁読んで思い切りぶん投げた。
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