
ななり
@bluebook_mark
2026年7月3日
ファイア・ドーム(下)
辻村深月
読み終わった
娯楽としての物語が斜陽と言われて久しい。様々なコンテンツが増える中で、物語というもの自体からかつてほどの引力は失われているのではないかと思われている。けれど本当にそうだろうか?身近な土地や日常の中に一滴のインクのようにセンセーショナルな出来事が落とされたとき、「もしかしたら、」「わたしが思うに、」「実は、」と根拠不明の噂を口にする人が必ず現れる。降って湧いた出来事に対して、完全な傍観者ではなく自分も物語る立場で半ば参加したいと、そう思うまでもなく行動に移してしまうそれは、人間の根源的な興味によって本来の姿からは捻じ曲げられてはいるものの、紛れもない物語の力ではないだろうか。噂を話すこと聞くことは、読んだり観たり、あるいは書くことより圧倒的にコストがかからない。私にはそれが飽きたらなさを埋めるために消費のごとく再生と拡散が繰り返されるショート動画と同じように見える。本来負うべき責任に無自覚なまま、非当事者であることの揺るがない自分が面白いと思うもの、信じるもの、信じたいものだけに縋るように元々が出来ている人間という生き物が“間違いのないように”生きるにはきっとこれからの時代はもっと困難になっていくのだろうと思う。けれどだからこそ同時に、真実を追い求めてあきらかにしようとする人間の強い心も私は最後まで信じていたい。



