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@bluebook_mark
エンタメも純文学も
  • 2026年4月1日
    粉瘤息子都落ち択
    読んでいて楽しい小説ではあると思うのですが、過剰なエンタメ素材が空回りしているきらいがあると私には思えました。先行する表面的なおもしろさに阻害されて人物たちが抱える切実な向こう側が最後まで見えてこなかった。
  • 2026年3月28日
    ブーズたち鳥たちわたしたち
    河童、天狗、神の使いといった超自然の影響を受けて日常に変化(大きく、しかし静かな)が訪れる人たちを描いた連作短篇集で全体的に不思議な空気感に包まれてはいるものの、いわゆるオカルトチックな不穏譚とは違い、最後まで落ち着いた佇まいが崩れないので読んでいて楽しかったです。こういう現象が自分の人生のどこかで不意に差し挟まれることがもしあるとしたら、大きな驚きとともに喜びやワクワク感も湧くんだろうな、とそんなことを考えたりもしました。
  • 2026年3月25日
    外の世界の話を聞かせて
    有形無形に関わらず、変わっていく多くのもので形作られている世界を見詰める目が過度に感傷を湛えていなかったのが良かったです。私はどこか安心しながら読んだのですが、それは多分、流れる時間の中で変化する人間関係や場所の在り方を描いていても実際には、この世界(物語というもの)はいつでも不変の居場所としてあなたを待ち続けているよ、というフィクションの包容力を感じたからなんだと思います。
  • 2026年3月19日
    生きとるわ
    生きとるわ
    自身も中盤以降道を踏み外すとはいえ、何度も金を騙し取ろうとしてくる横井のせいで人生が少しずつ狂っていく主人公を見ているのがつらかった。人は自分の分だけしか生きられないのだから、自分のせいで相手の人生がどうなろうと抱えることは端から出来ないというのはそうだと思う反面、私はそこまで割り切って、あるいは横井と共に屑と呼ばれることに甘んじることは出来そうもない。読み終えて、この小説の救いはなんだろうと考えているけれど、いまはまだ分からないでいる。けれど、実際の生だって勧善懲悪やすぐに答えが出る事ばかりじゃないのだから、むしろこの見つからなさが生きることの厄介さの中心にあるものなのかもしれない。
  • 2026年3月15日
    フェイスウォッシュ・ネクロマンシー
    主婦が主人公の短篇二作が収録されていて、どちらかといえば表題作の方が読んでいて面白かったです。ゲーム内で特定のコマンドを入力した際に起こるバグのように、何の変哲もない日常に発生した亡くなった祖母が出現するという彼岸と此岸の溶け合いが淡々と描かれていて、その大袈裟ではないところが良かったと思います。個人的にはもうすこし不穏さがあった方が好みではありましたが。
  • 2026年3月7日
    ぼくには笑いがわからない
    勉強一筋で生きてきた言語学専攻の男子大学生が一目惚れした先輩と交わした約束(M-1で優勝したらキスしてあげる)の為にお笑いを分かろうと必死にもがく姿が眩しくてイタくてまさに青春だなぁと良い意味で見てられない思いを持ちながら読みました。デビュー作でヤングケアラーの、次作では政治活動家二世の生活の中にある類型から外された笑いを描いてきた作者にとっては《社会化されたことばは個人の物語を救えない》という作中の一節が書く原動力になっているんだろうなと思いましたし、分からないものを分かろうと努力する主人公の姿には上村さんが自身を重ねている部分もあるように私には感じられました。
  • 2026年3月3日
    おおきな口がまっている
    名誉市長の人参を齧り殺した巨大兎、洗濯機と話し踊る鼠、狸を騙るアライグマの豆腐屋などなど、動物を中心に据えた短篇集(一応連作の形式範囲だと思いますが最後以外の各話の繋がりはかなり薄い)。残念ながら私には刺さらなかったのですが、真面目な顔でふざけているタイプの作品なので乗れる人にはとことん可笑しく感じられるだろうなと思います。
  • 2026年2月28日
    カンザキさん
    カンザキさん
    聖書の影響が色濃い小説でした。カンザキさんからの苛烈なハラスメントが繰り返されるブラックな職場で主人公の“僕”は唯一優しく接してくれる先輩ミドリカワさんを慕い愛されたいとまで思うのですが、一方でそこまで深く信じている彼も困難へ本質的には介入してこず解放してくれる訳ではない。読んでいる人は今すぐ辞めればいいのにと思うでしょう。けれど私は、そうしないところにキリスト教徒の両親に育てられた環境と深刻なうつ病を奇跡的に乗り越えられたというふたつの過去の残響、つまり洗礼を受けていない“僕”の無意識下に芽生えていた《神は乗り越えられる試練しか与えない》という信仰を見てしまうのです。本編自体に明確な救いは描かれていないので、パッと見は徹底的な不条理小説のように感じられるのですが、脅されて服を脱がされる最後(聖書に書かれた粗布の部分でしょう)と「助けて」と乞う最初のシーンが繋がることで、本物の神が物語の先で“僕”へ《逃げ道も用意されている》という言葉の続きを与えたように感じられ、そこは希望だなと思いました。
  • 2026年2月26日
    はくしむるち
    はくしむるち
    戦争や男性性といった圧倒的な暴力によって蹂躙されてきた/されている沖縄に堆積した声が語る少年少女たちの青春が痛みを伴って胸に重く響きました。と同時に、この物語は沖縄という限定的な土地だけで完結するものではなく、あらゆる場所に現在進行形で生きている未完と完成の狭間の子供たち=はくしむるち(白紙擬き)の傷と抵抗の物語でもあると私は思うのです。《対等じゃないのに、勝手に守るとか、守れないとかいって都合よく扱うのは、サギの言葉でしょ!?》。解放してくれた者が隠していた打算や傲慢さをあらわし新たな暴力として留まり支配しようとする苦しみの連鎖に、真のヒーローなどいないのだと絶望の中で絶望しながら、それでも待ち続ける、あるいは奮い立たせ自ら立ち上がるしかない瞬間の孤独と寂寥に対して、そこに存在するものが無いという安穏を享受しているから、ではなく、同じ地面の上で生きている人間だからという順接で以って人は連帯するべきなのだと思います。作中でも言及されている『帰ってきたウルトラマン』の第三十三話「怪獣使いと少年」にこんなシーンがあります(以下ピクシブ百科事典より引用)。 雨の降りしきる中、良は商店街にパンを買いにやってきたが、パン屋の店主の女性は「後でいろいろ言われるの嫌なんだよ。悪いけどよそへ行っておくれ」とパンを売らなかった。とぼとぼと帰る良。 「あの子宇宙人なんだって」 「やあね気味悪い」 「悪さしなきゃいいけど……」 するとパン屋の娘が後を追い、彼にパンを渡したのだった。 「同情なんかしてもらいたくないな」 「同情なんかじゃないわ。売ってあげるだけよ。だってうちパン屋だもん」 良は初めて笑顔を見せた。 現実世界で誰かに接する時、自分は常に彼女のようにいられるだろうか?そんなことを読み終えたいま、込上げるものを抑えながら考えている。
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