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ななり
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@bluebook_mark
エンタメも純文学も
  • 2026年9月30日
  • 2026年9月30日
    たぶん、恋しい
    全六篇が不在やコミュニケーションのすれ違いによる遠さを描いていて、だからこの短篇集のタイトルには愛しいではなく、恋しいという意味の中に相互間の距離を内包する言葉が、あやふやさ(“たぶん”)とともに置かれているのだと思います。不器用な人たちの物語を読んでかれらの心の揺れに大小の共振をする度に、そもそも器用な人間などいないのだということを教えられて私はとても安心する。読まれる側と読む側の絶対的な距離のなかで、かれらに対して芽生えるこの温かな感情もまた、たぶん、恋しさではないだろうか。
  • 2026年9月29日
    誰何
    誰何
    児相や特別養子縁組など序盤から分かり易く親子というテーマをフッてはいるものの、中盤に描かれる事件の真相究明や松川美和の来歴を辿るくだりがその色をほとんど帯びていないので、一本の小説としてそれぞれのエピソードが繋がっているようで繋がっていない印象を受けました。終盤になってようやくテーマとして本線に戻っては来るものの、そこにきてさらに公安や北朝鮮工作員といった綺麗に畳みきれない風呂敷を広げだしてしまったのは、まとめに入るタイミングに際してかなり無理があったように思います。
  • 2026年9月24日
    誰が首
    誰が首
    討ち取って晒していた首を盗まれるという、戦国の世においては超がつくほどの大失態から始まるので、やろうと思えばいくらでも隠蔽計画の奔走劇に出来たはずのところを首の挿げ替え自体はさらっと完了させ、すり減っていく明智光秀の心理状態や左馬助との主従関係の方をメインにして書き進めたことが、この小説が最後まで緊張感漂うものになった要因だと思います。最後に秀吉へ報いた一矢も鮮やかでした。デビュー作である前作『白鷺立つ』もそうでしたが、時代や場所、人に宿っている狂気(妥当性を持たせた)が作者の執筆の核にあるのではないかと私は感じます。
  • 2026年9月18日
    地の果て、砂の祈り
    ナイルの夕景、青空の下の神殿と棗椰子、砂漠の夜空、ミャンマーの民族衣装、黄金の仏塔。この小説で描かれているそれら以外にも、世界には美しさが溢れている。悠久の歴史の中で変わらないものと、その中で人が作り上げてきたものは、いつも理屈を超えて見る者に鮮烈な感動を与えてくれる。しかしこの世界には、女性やセクシュアルマイノリティに対する差別や偏見、あるいは強固な宗教慣習といった人が作り上げてきた理屈外の歪みも同時に存在し続けてしまっている。作者はこの小説でその両方と、世界の構成員としての人間、ひいてはマイノリティ同士での分かり合えなさやすれ違いも等しく実相として描こうとしている。誠実さや、諦めることは選ばない信念が宿っているつよい文章もとても良かった。社会や人に苦しむのも絶望するのも、根本にはそれらを信じて愛している部分があるからで、だからこそ、そんな人達もただ美しいと感じられる世界でなければならない。
  • 2026年9月16日
    思い出すときには、すべてのものがまるくなっていてくれ
    人を好きになる気持ちが分からないこと、自分を規定する性別を持たないこと、どちらもその人の一部ではあっても、その人がその人として存在する中心や起点ではない。それなのに、“ある”が普通とされる世界では“ない”だけがアイデンティティのように扱われてしまうし、“ない”ことに悩んでいるのだろうと勝手に思われてしまう。しかし私が私として、あなたがあなたとして、全く同じものなどない命を生きていく上で、“ある”も“ない”も根本的には同じなのだ。すべての人がそのままでいられることが普通になる日は、実際問題まだ遠いけれど、辿り着けたその日にふと思い出す記憶が誰かを傷つけることのないまるいもので満たされているように、毎日がすべての人にとってしあわせを見つけられた日であって欲しい。
  • 2026年9月12日
    群像 2026年 7月号
    「お疲れのところはございますか?」石田夏穂 マッサージ師の主人公が、自分のやりたい施術と職場や客の求める施術のズレの中でおぼえる葛藤は、様々な労働の中で日々起きている普遍的なものです。そして読みながら思ったのは、ここに描かれているのは最近の小説を巡る書き手と読み手のズレでもあるのではないかということです。反射区表(このツボを押したらどこに効くかが書かれている図)の恣意的なマッピングに懐疑的な主人公は《足裏マッサージは足裏マッサージであって、それ以上でもそれ以下でもない。たとえば脳には脳の専門家がいて、目には目の専門家がいて、胃には胃の専門家がいるのに》と思う。私はこの部分に、専門書とは別に小説が社会的なあらゆる問題を読み手から背負わされている今を見てしまう。さらに物語の中では経営が変わったことで、優しい施術が推奨されることになるのだけれど、これも何だか最近の“優しい小説”が喜ばれる風潮に見えなくもない。痛かろうが終わった時に気持ちよければマッサージはそれだけで意味があるように、つらい場面や嫌な人物が出てこようとも、最後に面白かったと思えるならば、小説にそれ以上求めることがあるだろうか。プロアマの小説家、あるいはデビューを目指す人達には、求められるものよりも書きたいことを書くというスタイルをどうか守り続けて欲しいと私は思う。
  • 2026年9月10日
    おもちゃの指輪がほしいねん
    万引きの「誤認」をしてしまった自分を慰めてくれた見知らぬ女性を恋慕する女性Gメンが、彼女に宛てて認めた手紙という形式で書かれた小説で、職業としての万引きGメンの人間を見る眼など部分的におもしろいところはありつつ、けれどこの内容でこれほどの細部の書き込みや物語自体の長さが必要だったのか、個人的には最後まで疑問が残りました。デビュー作である前作ではキリスト教という芯がありましたが、今回は支えうるだけのものはなかったように思います。
  • 2026年9月8日
    スナックふたり
    スナックという場所は、お酒が飲める種々雑多なお店の中でもとりわけ“家(ホーム)”の感がつよいイメージがある。私自身は下戸なので一度も訪ねたことはないのだけれど、ドラマやバラエティで観る、そこで交わされるコミュニケーションは、家族と友達と元恋人のちょうど中間地点のような距離感で、いつも何だかとても心地よいものに映る。この世ならざる者がふらりと訪れ、生きている者の隣でグラスに満たされたビールやハイボールをなめるひと夜の、お客同士の営みの中で、読み手もまた一人のお客としてそこに居るかのような空気が漂ってくるのは、そんなスナックという空間だからこそ立ち上がる、温かでささやかな奇跡ではないだろうか。
  • 2026年9月4日
    風車と巨人
    風車と巨人
    自分が真実だと思う発見の為に癌研究者は論文を捏造したのか?というのがこの小説のメインストーリーで、アカデミックな問題を核にしてはいるものの、この構造自体は世の中にかなり溢れていると思います。コロナ禍(後も)のSNS上で呟かれていたワクチンへの疑いを示す“証拠”とされていたもの、あるいは医学系に限らず今日もどこかで投稿されている気象や政治、もっといえば芸能界の真実の“証拠”。それらは外側から見れば単なる嘘でしかない。けれど彼らにはそれを示してまで世の中に見せなければならない自分が見ている真実と正義がある。タイトルになっている『ドン・キホーテ』の有名な一場面からもわかるように、私たちが思っているより彼らには悪意はないのかもしれない。ただその純粋さゆえに彼らがどこまでも頑なになるのだとすれば、陰謀論をはじめとする広義での真実を巡る議論を終わらせるのは不可能に近いほどの困難さがある。
  • 2026年8月27日
    群像 2026年 8月号
    「窓の中の私」北条裕子 時間の書き方に少し掴みづらいところがあるものの、抑圧とそれからの解放を望みながらも自らのうちに存在する諦念と相対する“私”の生きる息苦しさが、現実と幻想のあわいに揺蕩うように描かれていて良かったと思います。省みるだけならば、あるいはひかりある部屋の《鏡》でも済む物語かもしれない。けれど彼女が見ているのは、闇が無ければ立ち上がらない、それごとの内側の虚像めいた己の在り様や過去なのではないだろうか。 「こういう音で形とか愛」杉森仁香 大仰な語り口(成瀬あかりのような)に序盤はやや辟易しながら読んでいたのですが、中盤以降、主人公の鍍金が剥がれ始めて本当の人間性が見えてきたり、偽のSNSアカウントの方が注目され始めると、天才鬼才として何かを生み出すことができない人間の努力して演じる自分に対して悲しみが湧いてくる。何も手の中にないからこそ、素直でいることは難しい。
  • 2026年8月21日
    ハッピー山
    ハッピー山
    書いてあることはまったく意味がわからないのだけれど、その荒唐無稽さが逆に予測不能となって、リーダビリティは無いのにページを捲らせるという不思議な小説になっていたと思います。実際私はこのストーリー自体を面白い(笑えるという意味で)とは思わなかったのですが、意味や意義や芸術性などといった存在理由を探されがちな現代にあって、脱糞だの放屁だのまるでコロコロコミックの連載作品のような自由奔放な下品さをわざわざ小説の形で表現している作者の馬鹿馬鹿しさには、好きで読む作家におぼえるものとは別の好もしさを少し感じてしまうのです。
  • 2026年8月18日
    汽笛、聞こえる
    子どものみならず育児に於ける親の孤独をも扶け保る場所として、日本初の保育施設を開いた赤澤鍾美、ナカ夫妻の理念には読んでいて深い敬意をおぼえたのですが、物語の面から見るとかなり表面的な部分に留まっている印象が強く、なかでも最も過酷であったであろう戦前戦中が地の文数行の語りで済まされているのは、本来あった場所や人の歴史の肉を削ぎ落とすに等しく、胸に迫るはずだった言葉や光景もやはり同時に宿ることなく終わってしまったのはとても残念だった。
  • 2026年8月6日
    青春と読書 (8月号)
    「骨を盗む日」村崎なつ生 (青春と読書6月号〜8月号) 死後も縛られる、一族や家族の象徴としての墓から義姉の母の骨を遺言に基づいて盗む(解放する)という設定の大胆不敵さが良かったと思います。家父長制や女性蔑視に対して時に女性同士でも連帯してもらえない現実に、もどかしさや虚しさをおぼえることはあっても、個人としての自分の中では決して諦めず、感情の熱を保ち続けること。その強い意志を抱えて生きている今日の女性たちの疲弊が一日でもはやく報われ(というには是正された状態が当たり前過ぎではあるのだけれど)ますように。
  • 2026年8月6日
    青春と読書 (7月号)
  • 2026年8月6日
    青春と読書
  • 2026年8月4日
    みんな、好きが下手
    好きな人に「好き」と言葉で伝えることが出来ない若者の受け身な姿勢に、もどかしい共感をおぼえながら読みました。別れ際になって初めて吐露して縋るのではなく、みっともなく感じても日常的に素直でなければ、恋愛なんて上手くいくものではない。それはさながら作中で主人公がプレイする理不尽な死にゲーのようで、傷付くリスクを常に取ってチャレンジし続けなければ、次のステージに進むことは決して出来ない。
  • 2026年8月1日
    佐藤の告白
    佐藤の告白
    完全に収まることも、逆に完全に溢れることもない、いわば表面張力の悪意がうっすらと漂う教室で日々生活を送っていたかつての私(というか、もしかすると大人になって過ごす今でも)が気付かなければならなかったのは、当人らが話されなければ分かりっこない誰かと誰かの関係性をエンタメ的に消費してしまう、届くことない過干渉のその幼稚さだったなと振り返りながら思った。小説の中で佐藤の視点が書かれないのも、だからとても意味のある構成だったと思います。
  • 2026年7月26日
    タイム・アフター・タイム
    寄り添って応援したくなる恋心は勿論、倫理的には間違っている恋心にも嘘や不純なものが一切混じっていなくて、だから全員が愛おしく幸せになって欲しいと読んでいて自然に思えるところが本当に良かったです。そして《「冷静じゃない時の気持ちが、本当の気持ちなんですよ」》はやっぱり真理だなと。個人的なことをいえば、かつて私自身が抱えた、“あの人”を心から愛してしまった時のどうにもできない幸福感がいつぶりか分からないほど久しぶりに胸の中に蘇って苦しいくらいでした。
  • 2026年7月17日
    あなたが正しくいられたとき
    手軽に読めて、それなりに楽しめる短篇集になってはいるものの、芦沢さんの小説としてはかなり物足りない部分がある。特に前ふたつはあまり良いオチや伏線ではないように思う。あとがきで本作をごった煮と表現されているけれど、私には小さな和菓子が何種類か入ったアソートパックのように感じられる。
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