

ななり
@bluebook_mark
エンタメも純文学も
- 2026年8月18日
汽笛、聞こえる佐藤雫読み終わった子どものみならず育児に於ける親の孤独をも扶け保る場所として、日本初の保育施設を開いた赤澤鍾美、ナカ夫妻の理念には読んでいて深い敬意をおぼえたのですが、物語の面から見るとかなり表面的な部分に留まっている印象が強く、なかでも最も過酷であったであろう戦前戦中が地の文数行の語りで済まされているのは、本来あった場所や人の歴史の肉を削ぎ落とすに等しく、胸に迫るはずだった言葉や光景もやはり同時に宿ることなく終わってしまったのはとても残念だった。 - 2026年8月6日
- 2026年8月6日
- 2026年8月6日
- 2026年8月4日
みんな、好きが下手小林早代子読み終わった好きな人に「好き」と言葉で伝えることが出来ない若者の受け身な姿勢に、もどかしい共感をおぼえながら読みました。別れ際になって初めて吐露して縋るのではなく、みっともなく感じても日常的に素直でなければ、恋愛なんて上手くいくものではない。それはさながら作中で主人公がプレイする理不尽な死にゲーのようで、傷付くリスクを常に取ってチャレンジし続けなければ、次のステージに進むことは決して出来ない。 - 2026年8月1日
佐藤の告白中島花野,藤紘読み終わった完全に収まることも、逆に完全に溢れることもない、いわば表面張力の悪意がうっすらと漂う教室で日々生活を送っていたかつての私(というか、もしかすると大人になって過ごす今でも)が気付かなければならなかったのは、当人らが話されなければ分かりっこない誰かと誰かの関係性をエンタメ的に消費してしまう、届くことない過干渉のその幼稚さだったなと振り返りながら思った。小説の中で佐藤の視点が書かれないのも、だからとても意味のある構成だったと思います。 - 2026年7月26日
タイム・アフター・タイム吉田修一読み終わった寄り添って応援したくなる恋心は勿論、倫理的には間違っている恋心にも嘘や不純なものが一切混じっていなくて、だから全員が愛おしく幸せになって欲しいと読んでいて自然に思えるところが本当に良かったです。そして《「冷静じゃない時の気持ちが、本当の気持ちなんですよ」》はやっぱり真理だなと。個人的なことをいえば、かつて私自身が抱えた、“あの人”を心から愛してしまった時のどうにもできない幸福感がいつぶりか分からないほど久しぶりに胸の中に蘇って苦しいくらいでした。 - 2026年7月17日
- 2026年7月15日
青天若林正恭読み終わったド直球のスポ根青春小説で、端から新しさなんてものは目指さずに、作者自身の経験に基づいたノスタルジーの支えによって書かれている物語に微笑ましさや可愛らしさをを感じるところはあるのですが、小説の中に少しでもクセや捻れを求める私にとってはあまりにも真っ直ぐすぎて、すごすごと引き下がることしか出来ませんでした。 - 2026年7月14日
群像 2026年 5月号講談社読み終わった「ゾンビ回収婦」小砂川チト AIに仕事を奪われる職業がある、なんてことを聞くようになって久しい。そういうときその文脈にあるのは、労働という大きな存在の前で個別性を必要としない人間たちの領分が無くなるかもしれないという将来的な話のように思う。でもこの小説を読んで感じたのは、そんな無機質なものたちに後々代替可能な仕事を、日々あれこれ責められ、求められ、焦って傷付き摩耗しているイマの私たちのどうしようもない遣る瀬無さだった。この小説には直接書かれているわけではないけれど、“わたし”には家族や職場から背負わされてきた《愛情に由来する》言葉が幾つもあって、VRという向こう側の世界にNPCとして居場所をつくり、病的に入り込んでしまうことになってしまったのは、それら過去の影響があったのだろう。だけど、そうやって本当の痛みや恐怖心を抱えられる人間は、身体と魂を分断する別の世界じゃなく、ちゃんと個人としての私がひとつとして存在する世界で不安を抱えながら、それでも時に集団から逃げて生きなきゃいけないのだと改めて思う。【人間らしく(イヌクティトゥット)】あることを人間がもういちど見つけなければいけない時代かもしれない。 - 2026年7月12日
#台所のあるところ原田ひ香読み終わった作中作の深夜帯三十分ドラマを連作の柱に六人の女性の生活を等身大で描いていて、派手さは良い意味でまったく無いけれど安定した読み心地があり、作者らしさは十分に出ていたと思います。一方でドラマと女性たちの距離が近いように私には感じられて、現実ではそういうこともあるものだと分かりつつ、生活の中のドラマというより、ドラマのために生活が立ち上げられているような作為感がチラついてくるのは、形式としてのフィクションのむずかしいところだなと考えたりもしました。それからこれは作品自体とは関係のない部分ですが、終盤に二箇所誤植があるのは大切な物語を預かる側のチェック機能としてどうなんでしょうか。 - 2026年7月7日
アンチ・グッドモーニング八木詠美読み終わった意識を手放すという意味では眠る行為は小さな死なのかもしないけれど、そうなってくるとその小さな死によって目覚めている生の時間が支えられていることになる訳で、もっといえば不眠の場合は生の時間を消費して安らかな眠りの為に全力で健康を求めるようになってしまい、生と死、結局どちらのためにこの身体があるのか読んでいて分からなくなってくる。全体が長すぎる点、『不思議の国のアリス』のような夢的な世界観やラストの展開の手堅さが個人的にはややマイナスに働いて、つまらなくはないけれど面白いとまではいかないところに留まった印象でした。 - 2026年7月5日
読み終わった「丹心」仁科斂 打ち棄てられたマンション棟のことがネットスラングで爛尾楼と呼ばれている事であったり、くまのプーさんが一掃された後に『トイ・ストーリー3』のロッツォがもて囃されるようになった陰謀説がある事、コピー商品大国の中で本物である事が重要視されるラブブや人間らしく喋るAI音声技術等など、鏤められた「へー」となる現在の中国の情報が面白くはあるのだけれど、それが「へー」となる以上の何かを起こすことはなくて、流し見するビジネス番組で得られるものの域を出ていないように私には思える。メインのストーリーももっとドタバタして欲しい。少し真面目に書かれすぎているのかもしれない。因みに丹心は忠誠心という意味もあるらしく、《丹心 中国語》で検索すると、对党对人民一片丹心 = 党に対し人民に対し燃えるような真心を抱く、という例文が出てきて、その中国らしさににやりとしてしまった。 - 2026年7月3日
ファイア・ドーム(下)辻村深月読み終わった娯楽としての物語が斜陽と言われて久しい。様々なコンテンツが増える中で、物語というもの自体からかつてほどの引力は失われているのではないかと思われている。けれど本当にそうだろうか?身近な土地や日常の中に一滴のインクのようにセンセーショナルな出来事が落とされたとき、「もしかしたら、」「わたしが思うに、」「実は、」と根拠不明の噂を口にする人が必ず現れる。降って湧いた出来事に対して、完全な傍観者ではなく自分も物語る立場で半ば参加したいと、そう思うまでもなく行動に移してしまうそれは、人間の根源的な興味によって本来の姿からは捻じ曲げられてはいるものの、紛れもない物語の力ではないだろうか。噂を話すこと聞くことは、読んだり観たり、あるいは書くことより圧倒的にコストがかからない。私にはそれが飽きたらなさを埋めるために消費のごとく再生と拡散が繰り返されるショート動画と同じように見える。本来負うべき責任に無自覚なまま、非当事者であることの揺るがない自分が面白いと思うもの、信じるもの、信じたいものだけに縋るように元々が出来ている人間という生き物が“間違いのないように”生きるにはきっとこれからの時代はもっと困難になっていくのだろうと思う。けれどだからこそ同時に、真実を追い求めてあきらかにしようとする人間の強い心も私は最後まで信じていたい。 - 2026年6月27日
- 2026年6月23日
文學界 2026年6月号文學界編集部「悪い血」鈴木涼美 例えば美味しいものを食べ終えたときに、例えば綺麗な景色に感激した日の帰路に、例えば大切な人と過ごす時間の僅かな間隙に、ふと「こんな幸福を自分は得ていいのだろうか」と思う瞬間が私にはあります。犯罪に手を染めたことはないけれど、他者を言動によって酷く傷付けたことは幾度かあって、その事は過ぎ去っても尚、というより過ぎ去ったからこそ小さな、しかし深く刺さって抜けない罪悪感の棘としてじくじくと心に残り続けている。この小説の“私”が抱えているものはそれと同種の、けれどより濃く暗い棘ではないだろうか。風俗店で嬢として働き、時々で不特定多数とセックスをし、中学生だった頃には性被害に遭いながらもその対価の現金を受け取ったこともある、性や身体を蔑ろにしてきた自分の内側に、何も選ばなければ(放っておけば)うまれる命が意図しないタイミングで宿った事へのきまりの悪さ。《「何があってもそれに値する罪を自分が背負っていると思うな」》といくら言われても解放には程遠い救われなさ。感覚的な部分に留まる私の後ろめたさと比べて、事実として他でもない自分の血を分けた子どもの存在がある分、彼女が背負うそれらの苦しみは重い。ラストの解釈は読み手に依るところが大きいけれど、少なくとも再び彼女の元に夜は訪れる。ぐるぐると下る煩悶と幻想の螺旋の中で本当に救われる日はやってくるのかどうか。 - 2026年6月20日
読み終わった「ソリティアおじさんがいた頃」村司侑 タイトルと書き出しに反して、描かれるのは過去ではなく、ソリティアおじさんと呼ばれていた黒野田さんにお世話になっていた恋人の代わりに、彼の通夜へ行くことになった“わたし”の現在の数日間で、はじめはもっと違う適した看板があるんじゃないかと思ったりもしたのですが、読み進めるうちに段々と、この小説には語り手以外の人たちにとっての《ソリティアおじさんがいた頃》も書かれてはいないけれど書かれているのだと感じるようになり考えを改めました。現在からは決して手が届かないのに向こう側からは事ある毎に触れられ影響を受ける過去や記憶という少し理不尽にも思える存在にいつかなる私として私は今日も誰かとともに生きているんだなあとそんなことも思ったり。味噌屋、ソリティア、京都弁といったアイテムの選択も、それに過剰な意味を背負わせず小説から力感を抜く書き方も読んでいて気にならずとても巧かったです。何でもない物語がイコール退屈な物語になる訳ではない、つまり何を書くかではなく、どう書くかによって小説はいくらでも面白く魅力的になる、そのことを示す良い短篇だと思いました。 - 2026年6月17日
多類婚姻譚凪良ゆう読み終わった歴史小説や時代小説、あるいはそこまで遡らずとも昭和初期あたりを舞台にした物語を読んでいると、本人たちの意思が蔑ろにされたまま、あっさりと婚姻関係が結ばれるという場面に割りとよく出会います。家格が重要視され、恋愛結婚も稀という不自由な時代はしかし、夫婦になる“だけ”ならば障壁の少ない時代ではあった。それと比べて現代は真逆です。ほとんどの人が家という単位の軛から解放され個人として自由に生きられるようになった一方、本当の夫婦へと続く道には障壁が幾つも立ち塞がり、それに対してふたりで、ときにひとりで向き合わなければならなくなった。セクシュアルマイノリティ、ジェンダーギャップ、貧富の差、思考における性差のずれ。ただ愛している人と婚姻の契約を結びたいという一点の望みが、自由の代償のように遠くなってしまった私たちの切実な祈りが、どうかすべての人たちへ、何よりもこの国のルールを変えられる人たちへ届きますように。そう思わずにはいられない小説でした。 - 2026年6月11日
愛子さん中脇初枝読み終わった空襲で破壊された家々や鉄路も、怯えながら篭った防空壕も戦争が終わればやがて修復と埋め戻しによって以前の姿へと戻されてゆく。それは人々がそこで生活を続けていく以上必要なことではあります。けれど同時に、ほんの少し前まで生傷であったものが、ある日を境にただの痕跡として淡々と処理されるものに変わってしまう戦後という時間に対して、私はどうしても言葉ではうまく表せない蟠りを抱えてしまう。そしてその時間の流れの中で何より悲しく苦しいのは、街がどれほど直され整えられても、戦時下の空気という真に無意味な暴力に毟られ、抉られ、踏み潰されて空けられた心の空洞へは誰も責任を取ってくれず、戻してもくれないということです。終わりを迎えても本当には終わらない戦争をいま新しく始めない為のアクションをこの先も国には選択し続けて欲しいし、私という個人のレベルでも声をあげていきたい。たとえそれが小さくても。 - 2026年6月5日
雀ちょっちょ村木嵐読み終わった為政者による創作や出版への粛清に抵抗し文化そのものに殉ずることは、多くの場合美談として語られがちです。実際その人たちの中にある信念は何物にも代えがたい気高さを湛えたものであると私も思います。では理不尽な力の前に筆を擱くことを選んだ人たちのすべてが、ただ自らの命惜しさのみにすごすごと引き下がってきたのでしょうか。答えは当然、否です。人という生き物は独りで生きているわけではない。だからこそ時に自分自身ではなく友人や愛する人、そして家族を守る為に半身と同義のものを手放す悔しさを選ばなければならない瞬間がある。この小説の主人公である太田南畝を支える人たちは気持ちが良いほどに真っ直ぐで、濁りがなく、そして優しい。江戸に名を馳せるほどの彼が狂歌を辞めてまで守りたいと思った心の動きの説得力としてこれ以上のものはありません。狂歌のささやかなユーモアを混じえながら、人が人を想う気持ちを素直に書いた佳い歴史小説でした。
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