
橋本吉央
@yoshichiha
2026年7月6日
会話を哲学する
三木那由他
読み終わった
コミュニケーションとは、お互いの中に何らかの約束事をもたらすものである、という考え方はわかりやすかったと思う。だから、言葉尻や、言葉の表面的な意味が持つ辞書的な(シニフィアンとシニフィエ的な)意味が、コミュニケーションにおいてお互いの中でどのように頭の中に期待と約束として残るのかというのは、本当に単純な文字面だけで決まるものではない。
そもそもよく考えてみれば、人類はこれだけ言葉を流暢に操るけれども、そう進化する前もコミュニケーションは散々していたのだと思う。他の動物だってそうで、言葉がないとコミュニケーションができないわけではないとも言える。
それから、マニピュレーションの考え方。これも同じで、言葉の字義的な意味では人を傷つけたり、人に何かをさせたりすることが必ずしも認められないようなケースにおいても、言葉が発されるシチュエーションや関係性、力関係によって、その発話やコミュニケーションが相手にどういった行動を暗黙のうちに強要するのか、という観点がある。
そしてそれは、リテラルな発話の意味とマニピュレーションのレイヤーにおいて、発話者の意図が矛盾したり、一致していないようなこともあり、それをもって発話者が「自分はマニピュレートしようとはしていない」と主張するようなこともある。
そういう構造をよく理解しつつ、自分がコミュニケーションやマニピュレーションにおいて、不均衡な力関係や相手を傷つけるようなやり方をしないようにすること、そういうマニピュレーションをしようとする人には注意することが、やっぱり大事だなと思った。
ただ、「雑談が苦手だと思っている人におすすめ」という意味で役に立ったかというと、あんまりそういう感じではないかもしれない。ここに、自分に対するコミュニケーション不全があったのであった。