

橋本吉央
@yoshichiha
福島県に住んでおります。アラフォーです。アラフォーかあ。
本はまあまあ読むのですがプラクティカルなものばかりで、最近はもっと文学・哲学に触れたいなという気持ちです。
シェア型本屋の棚主もやっております。
- 2025年10月10日
- 2025年10月5日エビデンスを嫌う人たちリー・マッキンタイア,西尾義人買った読み始めた
- 2025年10月4日女の子の背骨市川沙央読み終わった2作ともすんなりと「読んでわかった」という感じにはならないような作品の気がする。 『ハンチバック』もそうだったが、非常に確固たる、アカデミックでソフィスティケイテッドな悪態の文体は常にあり、普通に読んでいるとなんとなく読者としてたじたじになりそうである。 でも、2作とも、悪態として明確に言葉にされていることの少し影の部分に、言葉にはならない苦しみがある、そしてそういう構造になっていること自体を語り手が認めたくない、拒否したいと思っているような、矛盾のようなものがあるのかもしれないな・・・と、ChatGPTとラリーをして思ったりした。正しいかどうかはわからないが、自分なりの読み方が少しはできた気がして、ちょっと嬉しい。
- 2025年10月4日女の子の背骨市川沙央読んでる表題作「女の子の背骨」。 主人公ガゼル(本名なのか、ニックネームなのか?)は筋肉が弱まる病気がある10歳の女の子。姉も同じ病気で、より重症であり、人工呼吸器、食道と気道を分割する手術などを受けている。 夏休みに、姉は日本において、父と母と叔父叔母と共にグアムにバカンスに来ている中での出来事や思うことを、姉への書き置いてきた手紙や過去のやり取りなどを回想として挟みながら語っていく。 病気が重い姉に周囲の注目が集まりがちなきょうだい児の問題もバックグラウンドとして感じさせつつ、一緒の空間にいながらも大人と子どもでどこか決定的に分断が起こる環境、そしてそれに大人は無自覚あるいは気付いていても何もしようとしない、さらに子ども側は実質主人公ガゼル一人になりがちな構造。そういう自由であるようでいて強い閉塞感を主人公のガゼルから感じた。 悪態文学・少女版であり、きっと作者も子どもの頃から周囲の大人たちを少し引いて冷めた目で観察していたのだろう(作家になるような人はそういう人が多そうだが)な、と感じたりした。 「オフィーリア23号」でもそうだけれども悪態の文体で紡がれる言葉としての不満に「必ずしも現れていないもの」が、むしろ大事なのかもしれない、それを隠すための理論武装し洗練された悪態、という構造なのかな・・・と想像したりした。
- 2025年10月3日女の子の背骨市川沙央読んでる「オフィーリア23号」。 難しいなーと思って思い出しながらAIに感想をぶつぶつ打ち込んで考えてみると、、、 安易に答えやスタンスを表明してすっきりするのではなく、いっぽうで「複雑だよね、両方あるよね、難しいよね」みたいに「安易な葛藤のメタ認知をする」のでもなく、身体的、内面的などこまでもわだかまりとして残るものを、悪態の文体を通してそこに見せているような・・・そんなふうに感じた
- 2025年10月2日
- 2025年10月2日ヤンキーと地元打越正行読み終わったおもしろかった。 「なぜもっと普通にこうしないのだろう」という感覚が、やはり自分の中に傲慢に生まれるように感じる。そういうことを再確認することは、自分にとって大事に思う。 その日暮らし的に「しーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)」のしがらみの中でどうにかこうにか生きている沖縄のヤンキー上がりの人々。その価値観や感覚をリアルに感じることができる。とはいえ、知った気になってしまうことは何よりも危ない気もする。 「うっとぅとしーじゃと地元」の構造を質的調査から解き明かした、というメタな評価をする自分もありつつ、それで終わってしまうことの傲慢さも感じる。じゃあそのリアルを自分はどう受け取って考え行動するのか、ということを、ほったらかしてはいけないようにも思う。様々な生活史をある種自分の中に住まわせるような、そんな懐の深いというか、空き空間のある自分でいたいなと思う。
- 2025年10月1日支援者のためのアサーティブコミュニケーション: ソーシャルワーカー・ケアマネージャー 社会福祉の現場で働くあなたへ中村雅代,安陪ひとみ,小向利佳子,山田紗梨,支援者のためのアサーティブコミュニケーション制作委員会,桑原陽子,森田汐生,牛島のり子,竹沢昌子読み終わった
- 2025年9月29日会話を哲学する三木那由他気になる読みたい
- 2025年9月29日俺の文章修行町田康読みたい
- 2025年9月28日水車小屋のネネ津村記久子気になる読みたい
- 2025年9月27日
- 2025年9月26日偉大な組織の最小抵抗経路 リーダーのための組織デザイン法則ロバート・フリッツ"ダンスを習おうと思ったとき、もし自分のミスを全部直そうとしたら、少しはましなダンサーになるだろう。しかしそれでは本当にいいダンサーにはなれない。ミスを直すことに終始していたら、どんなことも決してマスターできない。ベートーヴェンのピアノソナタ <熱情>を弾くために、自分のミスを全部直しても、弾けるようになりはしない。"
- 2025年9月26日偉大な組織の最小抵抗経路 リーダーのための組織デザイン法則ロバート・フリッツ読み終わったそれほど奇をてらったことは言っていないのだけれど、「問題解決をしているだけでは良いビジョンを実現できない」というのはけっこう大事な視点のように思った。 緊張構造、葛藤構造どちらも、フレームワークとしてアカデミックにしつこくこだわるということではないが、たしかにそういう構造の問題はあるよね、ということを理解しておくのはよさそう。
- 2025年9月24日街を変える小さな店堀部篤史読み終わった結果的にではあるが、恵文社一乗寺店をハブとして、店同士の文化のつながりみたいなものが生まれてきた、という過程が描かれていて興味深い。自分たちの地域性をよく理解して(場合によっては良い悪いあると思うが)、横のつながりの機会を大事にするということが大事なのかなあ。 小さなお店の小商いを中心として、地域の文化を作る、編集するということ。大型資本による画一的な経済圏とサービスの提供ではなく、その地に住む人がその地に根付いた視点で商売をしていくことの意味みたいなものを感じる。 なぜ画一的な大型資本のサービスのみでダメなのか(Amazonだけじゃだめ?マクドナルドとセブンイレブンだけじゃだめ?)を考えると・・・やはり人間には「人と人の違い」を大事にしたいという本能があるのではないかと思う。同じプラットフォーム、同じお店によって同じようなものだけを提供され、受け取り続けていると、同じような人間にしかならない。極端にいってしまえばだけど。でもそうではなく、人と人の違い、街と街の違い、国と国の違いというものがそこには存在するし、存在し続けてほしいという願いがきっと人間にあるのではないかなと思う。
- 2025年9月23日月のうた左右社編集部読み終わったアンソロジーで手に取りやすくてよい。 以下の歌が印象に残った。情景のイメージがわきやすいものご好きなのかな。 柔らかな布団の隅に腰掛ける月のひかりに漕ぎ出しそうだ ゆうはんはポテトチップス一袋つまんで歩く月をひだりに あかるくて冷たい月の裏側よ冷蔵庫でも苺は腐る
- 2025年9月23日
- 2025年9月23日読み終わった遊びから始まる英才教育、と言う印象。まあでも、お受験的な詰め込み教育よりはずっと良いのだろうなと思う。子どもの興味関心を伸ばすことを大事にすると言うのは確かに良いことなので、悪くはない。 ただなんかランチョンマットに日本の歴代首相、みたいなのは面白い反面興醒めするような感覚もあった。学びのフックになるものをたくさん仕込もうと言うのはその通りなのだが、それでもやはり「東京のお受験」的な印象を受けてしまう、自分の価値観を感じた。 とても大事だなと思ったのは「子どもの話はちゃんと言い終わるまで聞く」「親と子どもの関係だけじゃなく、パートナーとの関係もめちゃ重要」と言うあたり。特に、パートナーとの関係は、子どもに何かを教え込むこととはまた違うけれどもすごく重要で、それだけで家庭の雰囲気、子どもの将来の家庭イメージが変わるので、そこに言及しているのは良いなと思う。具体的なハウツーはそんなにないけれど。むしろ「良い教育のための夫婦のパートナーシップ」みたいな本のニーズとかありそうな気がする。
- 2025年9月21日
- 2025年9月21日反知性主義森本あんり気になる読みたい
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