
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2026年7月7日
プシコナウティカ
松嶋健
読んでる
この方法(現象学的分析)の重要性は、まさに医師自身を直接ゲームの中に投げ入れるところにある。彼は、観察者として外にとどまることはできず、直接参与しなければならない、症状そのものではなく彼〔病者〕が自らをあらわにするその様態(modo)を捉えようとしながら。
確かにヤスパースも述べていた。症状の記述だけでは不十分であって、その記述は観察者自身のうちに、彼の経験とか生きられた何かを引き起こさなければならない。ただこのようにしてだけ、観察者は、この症状の記述を内側から強く生きることができるのである。[Basaglia(1953)1981:3-4]
(中略)そうではなく、目の前にいる存在が、彼自身のうちに何かを触発し、引き起こすという位相について語っているのである。そのとき、主体と客体、観察者と観察される者、という二分法は崩れ、「わたし」と「あなた」を区別することができないような一つの運動が発生する。
〔この運動は〕さらに、主体性と客体性との間の完全な水平性(completo livellamento)にまで至る。というのも、「わたし(Io)」は目の前にいる人の「あなた(Tu)」と混ぜ合わされて、主体(病者)と世界(医師)は、もはや区別された二つの「モノ」ではなく、一方が他方を補いあうようになるからである。[Basaglia(1953)1981:8-9](p.92-93)
このくだりは精神医療のみならず私たちが生きるうえでも必要な在り方を記述しているはずで、本屋という場所でも当然に意識と実践が可能なものだ。

