ごうき
@IAMGK
2026年7月6日
草の花
福永武彦
読み終わった
「愛することは信じることだ、この一瞬を悔いなく生きることだ。不安が何だろう、死が何だろう、この魂のしずけさ、この浄福、この音楽、この月の光……。僕は今死んでもいい、こうやって、君を愛しながら、いま、——そう思い、あとはただそれを口に出して言うことだけが残った。」
好きだ。もっと皆に知られるべき名作。最近、素敵な作品にばかり出会う。これらの素敵な作品は皆私の血肉になり私の生命活動に大きく寄与しているのがよく分かる。やはり目的意識を持って本を選ぶと言うことは大切だ。
さて、本作についてであるが、この作品は「冬」「第一の手帳」「第二の手帳」「春」の四部構成となっている。最初の章ではサナトリウムでのある2人の人間の交流が描かれているが、私はどうもサナトリウム文学に惹かれる節がある。サナトリウムの、死を目前として一日一日をまるで大切な宝玉を撫でるかのように大切に、懸命に、しかし何事もなく生きる人々の淡麗と、作者の透明感あふれる今にも消え入りそうな文体がマッチしていて、大好きなのだ。そこには死を目前にした者にしか見えない生の脆さがあり、冷たい悟った雰囲気が荘厳と構えている。福永武彦の文体はそれを一番明瞭に描き出している。
続く「第一の手帳」「第二の手帳」では、主人公が恋愛に挫折したシーンが書かれる。主人公はある2人の人間を愛していると錯覚し、けれども1人には愛することの不安から、もう1人には愛されることの不安から拒絶されてしまう。絶望した主人公は、己の孤独のみを信用し、孤独の裡に生き、孤独を靭くしようと決意する。
ここで気を付けておかなければならないのが、この物語の主題は「愛」ではなく、「孤独」であるということである。主人公は孤独の裡に愛を実現しようとしたが、それは叶わないことであろう。山方方夫は「そうだ。孤独とは、だれも手を下して自分を殺してはくれないということの認識ではないのか」と言ったが、まさしく主人公のいう孤独とはこれだろう。そして、その孤独の上に、愛が建つはずもない。
私はこの作品がとても好きなのだが(私は自分の価値観を大きく変える作品よりも、共感できる作品の方が好きなのである)、一点、自分の考えと違う点がある。福永武彦は愛することを拒んだ登場人物に「愛するというのは、つまり愛されることを求めるということじゃないんですか」と語らせた。主人公はこれに対し「ただ愛していればいいんだ」と答えたが、いや、それは愛ではなくて恋だろう。恋には幾分かの欲望が含まれており、愛には多分な受容が含まれている(しかし、愛は恋によってでしか成就されない)。だから人間は事物を愛することはできても恋することはできない。母性を抜きにすれば、多くの人間は見返りがなければ何かを愛することはできない。唯一それを自可能とするガソリンは憧憬であるが、憧憬は肥大化すると自分の中で相手を壊し、愛を堕落させてしまう恐れがある。今回主人公が愛しているのはその相手ではなく「その相手との世界」であり、その人に抱いているのは恋心なのであろう。
彼は自分に愛する能力があると強く確信していた。しかし、だからこそそれに破れた時、孤独を選び、死を選んだ。彼は文字通り「愛に破れた」のである。