草の花

48件の記録
  • v
    @5155
    2026年4月10日
  • deepend
    deepend
    @deepend
    2026年4月8日
  • 静架
    静架
    @sytt-en
    2026年4月8日
    わたし、自然が好きみたい
  • 而
    @shikamo
    2026年3月29日
    汐見、内省的で酷く純粋な人だとは思う 自分を通してなにか別の存在を愛そうとする人間に好かれた忍と千枝子の方に自分の気持ちが向きがちだった
  • 可
    @fuwari9
    2026年3月23日
  • 可
    @fuwari9
    2026年3月22日
  • あまりにも高潔な魂に圧倒され、読み終えても数日は引きずってしまう。すごくいい文学を読んだという実感。表紙のイラストがどういうシーンなのか理解してから改めて見ると、切なくてたまらなくなる。
    草の花
  • 海潮音
    海潮音
    @sanpintea120
    2026年3月8日
    第一章まで読んだけど、涙止まらんです。 何者ですか、この人…😭 読み終わりました。こんなにぶっ通しで泣いたの初めてかもしれないです…。こんな高潔な愛があってたまるか…🤦‍♀️
  • こたか
    こたか
    @kotaka
    2026年2月26日
  • りな
    りな
    @yuiquartz
    2026年2月23日
  • soma
    @llevogafas00
    2026年2月23日
  • ま
    @okamo12
    2026年2月17日
  • Libro
    @erika0326
    2026年2月15日
  • 『草の花 (新潮文庫)』福永 武彦 池澤夏樹さんのお父上だと知って、読んでみたいと思った。 なんと、儚く綺麗で内省的な愛の物語だろう。 ここまで強烈なのに、こんなに清潔な愛とは。 文庫版の月のように美しい小説だった。 藤木と汐見との友情は、不思議なものだった。 こんなにも恋愛感情にも似た友情というものは実際あるものなのか。 そして、やっぱり汐見は死にたかったのかが最大の疑問。 潔癖。潔癖すぎて苦しい。ああ、もっと汚れててもいいのにと思う。汐見はさぞかし生きにくかっただろう。 汐見は物凄く博識だったんだろう。 だからこそ、色んなことに矛盾を感じてジタバタしていたんだろうなと思う。 うー。ジワジワくるお話だったなと思う。 同時に福永武彦の作品をもっと読みたくなった。 同時期の三島由紀夫の文章もそれは綺麗で、読み応えがあるが、あちらは明るいのに対して、こちらは陰鬱な美しさがあって、私はこちらの方が趣味に合った。
  • べべこ
    @bebeko
    2026年2月10日
  • 藍
    @ai_uesugi117
    2026年2月8日
  • えまり
    @emari0626
    2026年1月28日
  • えまり
    @emari0626
    2026年1月26日
  • 冬
    @eiennofuyu
    2025年11月17日
    作中作は勿論、初めのサナトリウムでの描写の美しさと言ったら他にないです
  • ヒキトユキ
    ヒキトユキ
    @yukhik
    2025年10月29日
  • かな
    かな
    @kk71400026
    2025年9月29日
    第二の手紙の中の、キリスト教や信仰に関する台詞が興味深かった。普段なら読み流してしまいそうだけど、昨日マタイ受難曲を聴いたのもあると思う。
  • ryomoriwaki
    ryomoriwaki
    @ryomoriwaki
    2025年9月10日
    汐見が持つ芸術に対する純粋性への憧れと、現実の人間関係における純潔さへの願望が複雑に絡み合っている。 汐見は詩や文学といった芸術の世界での「純粋さ」を理想としながら、同時に恋愛や友情といった私的な関係においても同様の純潔さを求めてしまう。この二つの領域での純潔さを同一視してしまうことで、汐見は深い孤独に陥る。この矛盾が彼の愛の体験を複雑にし、最終的に死への憧憬へと導いていく。 「僕はこの計画を多少芝居じみているとは思った。しかし作品を美しく構成することが芸術家の仕事だとすれば、現実を美しく構成することも、また一つのしごとではないだろうか。特に僕のような失敗した芸術家にとって、最後の一頁を小説にではなく、現実の上に書きたいと思うことは、せめてもの貧しい願いだった。」 今まで読んだ本の中で一番繊細で美しい恋愛小説だった。
  • 重そうだな、と身構えてましたが意外とすんなり文章がはいってきます。
  • Miyoshi
    Miyoshi
    @miyoshi
    2025年9月6日
  • 諸処
    諸処
    @shosho
    2025年7月28日
  • 冬
    @eiennofuyu
    2025年7月27日
    昔大好きだった本。 最近信仰について考えているので、軽い気持ちで再読し始めたら、この時代の文学ならではの暗い死の雲に覆われて、頁を閉じてしまった。 こんなに繊細な文を書く作家を私は他に知らない。
  • 冬
    @eiennofuyu
    2025年7月16日
    壊れそうな美しさの物語
  • onyoro
    onyoro
    @onyoro
    2025年6月8日
  • たまお
    たまお
    @tamao
    2025年4月24日
  • kokesaka
    @kokesaka
    2025年4月15日
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2025年4月9日
  • ・
    @utau
    2025年4月2日
  • せんさー
    @sensor
    2025年3月11日
  • biscuit
    @biscuit
    2025年3月9日
  • 八十
    八十
    @yonda_08
    2025年3月8日
  • るこぴ
    るこぴ
    @rucochandesu
    2025年3月5日
  • sasai
    sasai
    @sasai_74
    2025年3月5日
  • 紗笑
    紗笑
    @elmer_sae
    2025年1月31日
  • memo
    @winkmoon
    2023年2月2日
  • chika
    chika
    @koitoya
    1900年1月1日
    草の花 は、サナトリウムで、なかば自殺のように成功率の低い手術を受けた青年・汐見を、友人である主人公の視点から描き、その後、汐見の死後に託された二冊の手帳に記された「二つの失恋」に関する独白、さらにそれを読んだ主人公の章から構成される小説である。 ⸻ 汐見は、感受性が強く、現実への違和感を抱き、理想や純粋性を過剰に信じる傾向がある。その結果として、彼は孤独へと追い込まれていく。 汐見には共感するところが多い。 「何ごとをする気力もなく、何ごとを考える気力もない。それでいて幾つもの写象が、とりとめもない聯想の糸に繋がって、或いは過去の記憶へ、或いは未来の空想へと、私たちを導く。しかしその何れもが、耐えがたい程暗いのだ。少年の日に夢みた生きるということは、現在のような、こんな惨めな状態を指すのではない筈だった。生きるという言葉の中には、燃え上るような、一身を賭けて悔いないような、悦びや悲しみが彫り込まれていた。それなのに、今、生きることは一日一日の消耗にすぎなかった、ーすることなく考えることもなく、ただ願い倦怠の中に。そして人生のコースを違えてしまったことから生じる悲しみが、現実的なさまざまの困難を伴って、重苦しく私たちの心を鎖していた。」(『草の花』福永武彦 p24-25) この感覚はよく理解できる。心を消耗しすぎると、すべてがどうでもよくなり、ただ一日一日をやり過ごすことしかできなくなる。 汐見は決して暗い人物ではなく、むしろ明るく機敏な青年として描かれている。しかしその内側には、深い孤独がある。人間は悲しみを抱えながらも明るく振る舞うことができるし、そもそも生に執着しなくなった人間特有の明るさというものも存在するのだと思う。 彼の破綻は、二度の失恋として描かれる。 それは 恋愛論 における〈結晶作用〉によるものといえるが、そもそも彼は世界との接続が不安定な人間だった。恋愛は、その不安定さを露呈させるきっかけにすぎなかったのではないか。 「美しい魂がある、その魂の認識のしかたがある。だって当の本人は、自分が美しい魂の持主だなんて考えてやしませんからね。僕は藤木のそういう謙虚なところがたまらなく好きなんです。藤木の魂を理解しているのは僕だけです。僕は人間の中にあるそういう美しいもの、純粋なものを、一度発見した以上、僕自身の魂、この汚れた魂をも美しくし、また他人をも美しい眼で見て行くことが出来ると思うんです。美しい魂の錬金術、と僕は名づけたんですが、僕自身がこの魂を発見したということから出発して、みんながもっと美しく、もっと幸福に、暮して行けるようになれると思うんです・・・・。」(『草の花』福永武彦 p123-124) 「ーそれは君の誤解だ。君は物の表面だけを見ているんだ。 ーそうかもしれません。しかし汐見さんが本当に苦しんでいるかどうか、表面以外にどうして分るんです?僕なんか何の価値もない人間なのに、汐見さんにはもっと別のように僕が見えるんでしょう。僕たちはそうした、表面だけの、眼に見えるものの中に住んでいるんです。そこからは抜け出せないんです。 ーそんなことはないよ、藤木、そうした見える世界から見えない世界にはいって行く、それが愛なんだよ。愛するということは世界を創り変えてしまうんだ。」(『草の花』p123) このやりとりにおいて、藤木は「自分以上のものとして見られてしまう」ことへの違和感を語っている。相手の愛が、自分の実像を越えてしまっている。そのギャップに苦しんでいるのだろう。 「あなたは夢を見ている人なのよ。ええそうよ。昔あなたは、兄ちゃんを好きだった頃にも夢を見ていらした。あたし兄ちゃんの言った言葉が忘れられないわ、汐見さんは夢を見てる、けれど僕には見られないって。」(『草の花』p198) 「それにわたくしは、このわたくしとして、この生きた、血と肉とのあるわたくしとして、愛されたいと思いました。あの方が、わたくしを見ながらなお理想の形の下にわたくしを見ていらっしゃると考えることは、わたくしにはたまらない苦痛でした。わたくしは平凡な女でございます。それをあの方は非凡なように御覧になりました。そのような思い過しはいつかは覚めるものでございます。わたくしはいつか幻滅の嘘であの方から眺められるのかと思えば、ぞっと寒気立ちました。あの方は夢を見て暮すかたでございましたし、わたくしは現実をしか見るすべを存じておりませんでした。」(『草の花』p306) 結晶作用がもたらす苦しさとは、まさにここにある。 理想化はやがて解けるものであり、そのとき、それを受け入れられないのではないか、関係を組み替えることができないのではないか、という恐怖が伴う。 藤木(兄)は描写が少なく断定はできないが、千枝子もまた恋愛における典型的な失敗を犯している。それは、自分を過剰に小さく見積もることだ。これは『恋愛論』における「疑惑」の段階を越えられなかった状態ともいえる。 愛の試み を読んでから本作を読めたことは非常に大きかった。 「ウェルテルの悲しみは、読者にその悲しみを追体験させることで人おのおのの持つ孤独を意識させる。が、誰もウェルテルに倣って自殺しようとは思わない。作品の発表後に、多くのウェルテル病患者が自殺したからといって、ゲーテは彼の描き出した絶望的な孤独に責任を持つ必要はない。真似をした馬鹿者たちが、果してウェルテルほどに孤独を痛感していたとは思われない。(中略)絶望的な作品の真の効用は、読者がそれを追体験することによって、そのような種類の絶望を乗り越えさせる点にある。それは免疫ということに似ている。折角のワクチンで本当に病気に罹るというのでは馬鹿げている。」(p13『愛の試み』福永武彦) これはまさにその通りだと思う。 「君は実に生きようという気持の強い人だ、僕はそれに敬服している、それは君に芸術家としての自覚があるからだ。芸術家は生きなきゃならない、仕事をしないで死んだのじゃ何にもならないからね。君の、いつかは必ずいいものを書いてみせるという気持、それが君という人を生かしているのだ。僕なんかそうじゃない、僕は芸術家になりたいと思ったことがある、が、若い時は誰だってそんなことを考えるのじゃないか。それに僕は、物を書かないでも、物を見ることによって芸術家でありたいと願った。或いは、生きることが芸術でありたいと願った。 生きるということは、その人間の固有の表現だからね。で、僕はそのように生きたのだ。」(『草の花』福永武彦 p41) これに似たような言葉を美大を卒業したときに私も言った記憶がある。 だが、芸術を作らないと決めた人間が、「生きること」によって芸術を表現することは可能なのだろうか。そもそも人生が芸術であるとするなら、それは永遠に完成されない未完の作品ではないか。死によって完成するのだとすれば、それは作品と呼べるのか。作品とは本来、作家が生きているあいだに完成され、評価を受け取るまでを含めて成立するものではないのか。 「僕等のように芸術家でない人間にとって、人生は彼が生きたその一日一日と共に終って行くのだ。未来というものはない、死があるばかりだ、死は一切の終りだ。現在というものはない、……そう、多くの場合に現在さえもないのだ。そこには過去があるばかりだ。それは勿論本当の生きかたじゃあるまい、今日の日を生きなくて何を生きると言うのだ。しかし人間は多く、過去によって生きている、過去が、その人間を決定してしまっているのだ。生きるのではなく、生きたのだ、死は単なるしるしにすぎないよ。」(『草の花』福永武彦 p42) 「僕には現実というものが分らない、僕は今やっている戦争なんか、これっぽっちも感激しない。いつ兵隊に取られるのかと思うと、厭で厭でしょうがない。しかし、僕にはこの戦争に反対する力も、やめさせる力もない。それだったら僕の方から逃げ出して行く、せめて僕の内部だけは、戦争に拘束されずに自由である他にしようがないじゃないか。 (中略) ーそんなの、でも卑怯じゃないかしら?と千枝子は紅茶茶碗の中をスプーンでゆっくり掻きまぜながら、顔を伏せて言った。 ー卑怯?なぜ? ーだってあたしたち、古典の中に生きてるんじゃないもの。」(『草の花』p195-196) 「孤独の中にわざわざ自分を閉じこめて、苦しみ抜いて、それがただあなた一人の問題にしかすぎないなんて、そんな寂しいことがあるでしょうか。汐見さんのように苦しい立場にある人が、なぜ信じる方に賭けられないのかしら?」(『草の花』福永武彦 p264) これらの言葉が示すように、汐見の生き方に共感し、同情するのであれば、それを単なる共感にとどめず、「免疫」として自分の生に反映させる必要があるのだと思う。おそらくそれこそが、福永武彦の意図した読まれ方なのだろう。 この作品は、共感させながらも同時に自分自身を相対化していくことを求めてくる、そんな気がした。 すごく面白かった。 前に読もうとしたとき全然読み進められなったのに。 そのときはまだ親友が生きており、自分も自分の未来も信じられていたからあまり読む気にならなかったのかもしれない。 私は汐見に似ている考えの人間なのかもしれないが、『愛の試み』の言うとおり、文学は免疫にしなくてはいけない。いい流れで本を読めたな。
    草の花
  • 北空雪
    @northskysnow
    1900年1月1日
    池澤夏樹の父親として知った福永武彦。他にもいい作品はあるが一番心に残っている。主人公が良い。
  • ゆき
    ゆき
    @y_u_k_i_304
    1900年1月1日
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved