
加非
@chioneko
2025年3月27日

安全に狂う方法
赤坂真理
読んでる
二章の途中まで読み進めた。
読み始める前の自分にとってアディクションとは、語弊を恐れず言うならば、自分にとって興味のある一分野に過ぎなかった。
なのに、どうしてアディクション当事者である筆者の言葉がここまで自分のことのように思えるのだろう。
何者でもない自分を何者かにしたかった。もがけばもがくほど、周囲との埋まらない溝を感じる。自分だけ違うスノードームの住人のように思えて仕方ない。それでも生きるしかない、この産まれ落ちてから感じ続ける欠落を抱えて。
けれど、もしその欠落を一時的にでもぼやかす方法があれば。埋めるわけでも新たな何かを得るわけでもない。ただぼやかすもの。
そんなものがあれば、自分は依存しなかったと言えるだろうか。自分はアディクションになっていないのでは無い。アディクションとなるものに偶然選ばれなかっただけだった、そう思わずにはいられない。
アディクションによって生じるドーパミンは、多幸感よりもら欠乏感と強固に結びついているらしい。今のご時世、得るためではなく一時的に埋めるために生きている人々が一体どれ程いるだろうか。
