
乖離
@karu
2026年7月11日
本とは何か
難波優輝
読み終わった
@ 紀伊國屋書店 新宿本店
「読書ってそんなにえらいのだろうか。」
カバー帯に書かれた問い。
著者が前作の刊行時に書店回りをしている際に書店員から出てきた言葉らしい。私もいつもこの問いを抱えながら本にかかわる仕事をしている。
盲目的に本は良いものとはとても言えない。
ではなぜ本は売れないのか。ではなぜときに読書家は高圧的なのか。
本の特権性をひけらかす言説は少し怖いとすら思う。
本書ではまず読書を「パフォーマンス」として捉える。鑑賞者がいる音読も、自分ひとりで完結する黙読も、あらゆる読書をパフォーマンスとして考えてみる。
「読書パフォーマンス」と定義づけることの何が嬉しいか?
それは、読書という行為を、演奏や踊りといった他のパフォーマンスと同様に、一歩引いた第三者的な視点から評価出来るようになること。
p.29
読書パフォーマンスのうまいへたは何で決まるのか。それは、そのパフォーマンスに寄せられる期待を基準にしないことには定まらない。では、基準となる期待とは何か。 実は、期待は一つではない。いろいろな期待がある。
(中略)
読書パフォーマンスは根本的には自由だ。どんな基準に基づいてもいい。けれど、一つの基準を選んだら、その基準に基づいてよしあしは決められそうだ。
「読書パフォーマンス」という定義づけによって、さまざまな芸術の鑑賞について論じてきた美学の知の蓄積を読書に適用することが出来ると言い換えても良い。
著者は美学者で、美学の方法を社会に開こうとしている人だと思う。私も不真面目な学生時代にちょっぴり美学を学んでいたので、こういう応用が出来る人に憧れる。批評系のZINEとかまた作りたくなってきた(脱線)
そんなわけで著者はパフォーマンスを手がかりに、小説、人文書、ハウツー本、雑誌、マンガ、楽譜、レシピ本、SNSでの本紹介、コーヒーテーブルブック、積読、書店めぐり……とさまざまなジャンルの本と読書について論じていく。
読書を第三者的に論じるといっても、否応なく著者自身の価値観や読書体験に紐づく論考なので、さらに私自身の読書体験とも照らして読んでいく。
小説、人文書、ハウツー本については概ね分かる〜って感じ。
コーヒーテーブルブック、楽譜については、そういう考え方読み方するんだおもろって感じ。
雑誌、SNSでの本紹介、については分かるような分からないようなって感じ。
書店めぐりについては若干楽観的過ぎる気もしつつそうであって欲しいって感じ。
他のジャンルの読書について、私自身の読書について、読みながら自分でも論じてみたくなる面白い本だった。
もっと他の人と「どうやって本読んでるの〜?」ってカジュアルに話をしてみたほうが良いのかも。読書はひとりで完結出来る行為だけど、パフォーマンスとして他者に開示してもいいはずだし。
ちなみに、紀伊國屋書店新宿本店で刊行記念の著者イベントに参加してゲットしたので難波さんにサインしてもらった。学生時代から論文を読んでた人が目の前にいてやや緊張してあんまり話せなかった。
たくさん本読みます!





