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乖離
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@karu
ぬーん
  • 2026年7月11日
    かか
    かか
    pp.71-72 そんなら小さい頃に、まだかかが優しく厳しいかかであった頃に、かみさまのまましんでほしかった。 荒井由実の「やさしさに包まれたなら」に   小さい頃は神さまがいて   不思議に夢をかなえてくれた   小さい頃は神さまがいて   毎日愛を届けてくれた って歌詞がある。「魔女の宅急便」の映画においては、魔法のメタファーでも母のメタファーでもあるように思える温かなこの歌詞の祝と呪。同一化して離れられないままに目を凝らして見るとグロテスクな部分を生々しく書いた小説だった。 関西方言とも九州方言ともつかない「かか弁」を、最初は子どもの書いた作文のようで読みにくいと感じていたはずだった。それなのに気がつくと何ら違和感なく読み進められるようになっていて、「かか」の言葉遣いが読者である私にもまとわりついて染み込んできているようで怖かった。 そして何より、SNSの閉じた生温いコミュニティでの不幸合戦に覚えがあり過ぎて居た堪れなくなった。 当てはまらない同世代もいるだろうとは思うけど、個人的な実感として宇佐見りんはつくづく私の世代の作家だと思う。
  • 2026年7月11日
    本とは何か
    本とは何か
    「読書ってそんなにえらいのだろうか。」 カバー帯に書かれた問い。 著者が前作の刊行時に書店回りをしている際に書店員から出てきた言葉らしい。私もいつもこの問いを抱えながら本にかかわる仕事をしている。 盲目的に本は良いものとはとても言えない。 ではなぜ本は売れないのか。ではなぜときに読書家は高圧的なのか。 本の特権性をひけらかす言説は少し怖いとすら思う。 本書ではまず読書を「パフォーマンス」として捉える。鑑賞者がいる音読も、自分ひとりで完結する黙読も、あらゆる読書をパフォーマンスとして考えてみる。 「読書パフォーマンス」と定義づけることの何が嬉しいか? それは、読書という行為を、演奏や踊りといった他のパフォーマンスと同様に、一歩引いた第三者的な視点から評価出来るようになること。 p.29  読書パフォーマンスのうまいへたは何で決まるのか。それは、そのパフォーマンスに寄せられる期待を基準にしないことには定まらない。では、基準となる期待とは何か。 実は、期待は一つではない。いろいろな期待がある。 (中略)  読書パフォーマンスは根本的には自由だ。どんな基準に基づいてもいい。けれど、一つの基準を選んだら、その基準に基づいてよしあしは決められそうだ。 「読書パフォーマンス」という定義づけによって、さまざまな芸術の鑑賞について論じてきた美学の知の蓄積を読書に適用することが出来ると言い換えても良い。 著者は美学者で、美学の方法を社会に開こうとしている人だと思う。私も不真面目な学生時代にちょっぴり美学を学んでいたので、こういう応用が出来る人に憧れる。批評系のZINEとかまた作りたくなってきた(脱線) そんなわけで著者はパフォーマンスを手がかりに、小説、人文書、ハウツー本、雑誌、マンガ、楽譜、レシピ本、SNSでの本紹介、コーヒーテーブルブック、積読、書店めぐり……とさまざまなジャンルの本と読書について論じていく。 読書を第三者的に論じるといっても、否応なく著者自身の価値観や読書体験に紐づく論考なので、さらに私自身の読書体験とも照らして読んでいく。 小説、人文書、ハウツー本については概ね分かる〜って感じ。 コーヒーテーブルブック、楽譜については、そういう考え方読み方するんだおもろって感じ。 雑誌、SNSでの本紹介、については分かるような分からないようなって感じ。 書店めぐりについては若干楽観的過ぎる気もしつつそうであって欲しいって感じ。 他のジャンルの読書について、私自身の読書について、読みながら自分でも論じてみたくなる面白い本だった。 もっと他の人と「どうやって本読んでるの〜?」ってカジュアルに話をしてみたほうが良いのかも。読書はひとりで完結出来る行為だけど、パフォーマンスとして他者に開示してもいいはずだし。 ちなみに、紀伊國屋書店新宿本店で刊行記念の著者イベントに参加してゲットしたので難波さんにサインしてもらった。学生時代から論文を読んでた人が目の前にいてやや緊張してあんまり話せなかった。 たくさん本読みます!
  • 2026年7月11日
    すべての、白いものたちの
    すべての、白いものたちの
    タルトック(月のように丸い餅)のように白く、白い産着に包まれた、産まれて2時間で死んだ姉。 白いものたちを見て、思いを馳せて、書き留めて。いくつもの白い断章によって、私の身体と彼女の生を重ね合わせる。 言葉による復元、受肉の本。 白い姉に生命を与える土地は、雪のように白く崩れ焼き払われた都市・ワルシャワ。 都市は「粘り強く自分を復元してきた(p.33)」。 pp.45-46  しなないで しなないでおねがい。  その言葉がお守りとなり、彼女の体に宿り、そのおかげで私ではなく彼女がここへやってくることを考える。  ふしぎなほど近しく思える、自分の生にも死にもよく似ているこの都市へ。 たくさんの白いものが、姉の再生のためのモチーフとしてあらわれる。私が特に惹かれたのは塩と骨。 白い塩の丘に足を踏み入れるインスタレーション。 p.86  あれをしたいなら、一つも傷のない足を持っていなくては。写真を眺めながら彼女はそう思った。あそこに載せていいのはきれいに癒えた足だけだ。あの山――どんなに白く輝いていても、影のところは寒々と冷えているあの山に。 身体の中にある白い骨。 p.119  疼痛があるので、彼女は全身のX線撮影をした。海の底のような群青色をした写真の中に、白くかすれた骸骨が一体、立っている。人の体の中に、石の物性と似た硬いものが控えているのが、驚くべきことに思えた。 ミネラル質の白いものが好きなのかもしれない。 長らく積読してしまっているうちに文庫版も出てしまったのですが、複数の白い紙が本文に使われているのが素敵なので単行本で買って良かった(写真参照)。
    すべての、白いものたちの
  • 2026年7月11日
    拾得物 南贍部学園生徒手帳
    ARGノベル入門って感じ(トランスメディア性はないけど) 生徒手帳の作り込みや書き込みも凝ってて新鮮で面白かった。 内容は軽めであんまり怖くもない。 この手の仕掛け優位のホラー作品でもっと物語性とか情緒的な部分高めるにはどうしたらいいんだろう。
  • 2026年7月4日
    死にたがりの君に贈る物語
    未完の小説を遺し一人の小説家が死んだ。 小説のシチュエーションをなぞるように熱心なファンたちが集まり廃校での学校生活が始まった。 タイトルや表紙の雰囲気から最終爽やかな青春群像劇っぽい感じになるのかなと思ったけど、想像以上に切実な人生と物語の話だった。 この物語によって生かされてる。 この物語のために生きてる。 そういう感情には覚えがあって、リアルなこの実感の前には、その物語が虚構かどうかは些細な問題になるんだと思う。
  • 2026年6月28日
    潔白
    潔白
    殺人事件の犯人として死刑執行された父。その無実を信じて再審請求をする娘。組織の論理と個人の正義の前で葛藤する検事。過去の捜査、DNA鑑定の疑惑。そして無実の人を死に追いやった真犯人。 骨太な小説だけど、不思議と読みやすくページをめくる手が止まらなかった。 公共的善や司法の力による社会統制みたいな大きな視点から、最後には個人的な贖罪や裁きに収束した印象。 現実はそれらのバランスを取りながら少しでも理不尽がないように調整調整していくしかないのかもしれないと思った。
  • 2026年6月28日
    金の角持つ子どもたち
    中学受験を題材に、努力することで自分を変えようとする人の力強さや、未来への希望を描いた物語。 サッカーを辞めて中学受験をしたいと突然両親に言い出した小6の俊介。戸惑いながら俊介を応援し自分の人生や夢を見つめ直す母、葛藤する俊介自身、真摯に寄り添う塾講師と視点が入れ替わりながら中学受験期の一年弱を追っていく。 私は中学受験が縁遠い地域で育ったので、わざわざ受験する意味ある?と俊介の学校の教師や同級生のように想像力の足りない考え方をしてしまっていたかも。 目標を定めて努力するという経験そのものに大きな意味があるのかもしれないと思えた。
  • 2026年6月18日
    月と六ペンス
    月と六ペンス
    ロンドンで出会った無口な男。 絵を描くことに狂った男は、パリ、やがてタヒチに 生まれついての道化師ことストルーヴェが滑稽で哀れでとても愛おしい。 何年経っても色褪せない、人間が描かれた小説だと思った。
  • 2026年6月14日
    増補新版 いま、地方で生きるということ
    ゴールデンウイークに地元への帰省の途中、新しくできてた本屋で購入。 2011年、東京を離れ東北や九州で生きる人びとを訪ねて回った記録。 時期的に震災の影響が色濃い。15年経っても土地に根ざすということに大きな出来事を与えた災禍だったと思う。 当時は自分の意思で土地を移れるような年齢では無かったのに、気が付けば地元から遠く離れた都会に来てしまった。 地元に帰るというのは現実味が無いけど、ずっと都会に住むというのも違う気がする。 p.114 「なんだ、あるじゃない!」 そう、どの土地に行ってもきっと、面白いものも美しいものも生きる術もある。それに私が気づけるかどうか、選べるかどうかという話なのだ。 p.293 大事なのはむろん"移住"でも"地方"でもなく、「自分たちが生きてゆく社会を自分たちでつくってゆくこと」だ。 私はどんな社会を選べるだろうか。
  • 2026年6月14日
  • 2026年6月14日
    わたし初音ミク こまっているの
  • 2026年6月14日
    にぎっちゃだめ!
    にぎっちゃだめ!
  • 2026年6月14日
    みてごらん、こんな めちゃくちゃにして!
    「この国をちらかしたのは誰?」MOE7月号p50
  • 2026年6月14日
    くっすん大黒
    「くっすん大黒」「河原のアバラ」収録。 町田康読むの初めて (雑誌に寄稿したエッセイとかはちょくちょく読んだことあるけど) 表題作は、飲んだくれて大黒のごとく浮腫みきった顔をした主人公が、部屋に転がる座りが悪く腹の立つニヤニヤ顔をした大黒人形を捨てに行く話。 「河原のアバラ」は非常識な同僚をぶちのめして職場のうどん屋を追われた主人公が金のために何やらダークなトラブルに見舞われた男の遺骨を運ぶ話。 出てくる人間が皆、妙ちくりん。 古着屋に襲来するユオロップカブレのおばはんチャアミイ。 中年女性を誑かしけったいな蛸の芸術家上田。 とかとか 時代感や言い回しは私からすると少し古めかしくブラウン管で観てるみたいな感じなんだけど、くだらなさと滑稽さとたぶんちょっと悲哀みたいなものは普遍で面白い。 p.88 で、自分は豆屋になろうと考えた。しかし、いったいどうしたら豆屋になれるのであろうか。 どうやったらこんな小説が書けるの。
  • 2026年6月13日
    絵をみるヒント増補新版
  • 2026年6月13日
    ハイパーハードボイルドグルメリポート
    ぜったいおもろいやつ
  • 2026年6月13日
    いまここ
    いまここ
    みずみずしい光に満ちた写真と言葉が響き合う。 文字組みも流れるようで素敵。 英訳が銀のインキで刷られている。
  • 2026年6月10日
    ケアと編集
    ケアと編集
    医学書院のシリーズ〈ケアをひらく〉は、当事者研究を世に開いた、とても好きなシリーズです。 この本はその編集者が、シリーズを世に出す中で出会った人びととのエピソードと、編集という営みを並べて綴りながら、ケアと編集について考えた本です。 ケアに関する書き手の語りと、編集者がそこから感じたこと、編集との共通項。 言葉を編む際の指針として印象的だったのは「接続詞はドアを閉める」という節。 『逝かない身体』という、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した実母を介護した川口さんの本を編集しているときに気づいたことだという。この本の内容自体も示唆に富んでいるけれど、私が拙く説明するよりも実際に読んでほしい。 p.159  文章同士が緊密につながりすぎていると、読者はその中に入れなくなるのだと思う。(中略) 文と文のあいだが緩いと、すきまに入ることができる。そのスペースにしばらく佇んでいると、部屋と部屋をわたる風が気持ちいい。風にしたがって文章の中を歩いていけば、おのずと行くべき方向は見えてくる。それが文章を体験するということだ。 言葉の感覚と身体感覚がリンクするような説明が腹に落ちる。私も接続詞が多く説明的になりがちなので意識してみたい。 この本も〈ケアをひらく〉も結論先取で要約できるような本ではない。病を負う身体や、ケアを受ける身体、やってきた言葉を受け止め編集する行為の現在性に重きを置く本だから。 でも思い出す手がかりとして最後に引用をしておきます。 p.199 今、ケアとは何か、と聞かれたらこう答えるだろう。 「それ自身には改変を加えず、その人の持って生まれた〈傾き〉のままで生きられるように、背景(言葉、人間関係、環境)を変えること」と。 編集もおそらく似たような行為なのだろう。文章に改変を加えるより先に、その人や文章の〈傾き〉が輝きに変わるような背景(文脈、構成)をつくっていく作業が編集の本態ではないか。そうしたやり方を、わたしはケアする人たちから学んできた。そして、それ以外の編集のやり方をわたしは知らない。
  • 2026年6月7日
    「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考
    p.54まで アート思考の有用性を分かりやすく伝えようとするあまり「花職人」とか「数学」との対比とかちょっと比喩が不用意な感じはする。本文中にも弁明が書いてあるのでそこツッコむのは良くないかもですが、本題の鑑賞に入る前に違和感覚えちゃうと読み進める手が止まる。
  • 2026年6月7日
    世界の市場
    世界の市場
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