
きらた
@kirata
2026年7月11日
読み終わった
ホラー
Jブックス版が発売された当初に読み、なんとも言えない気持ちになった作品
乙一作品は他にも数作読んだ記憶はあるが、やがて読まなくなってしまった
《なんか苦手だな》
そんな印象だけが今もずっと続いている
(隙あれば自語り)
様々な筆名を持つ乙一の、デビュー作である本作を、再び買い直してみる気になったのは、ここ数年で読んだ別名義作品が好みに合ったからだった
名義毎に作風を変えているらしいとの噂は聞いていたが、こちらでの名義もホラー作品
何故こちらは好みに合い、何故私は乙一作品を苦手だと感じているのか
年月を経て苦手意識に変化が起きたのだろうか?
そんな疑問を抱き、昨年ふらりと買ったのが本作(文庫版)だった
2025年の夏フェア対象にもなっていて入手しやすかった事もあるが、《1番最初に読んだ乙一作品》だった事も手を伸ばす原動力に繋がったのだと思う
(自語り、まだ続いてた)
“わたし”は9歳の子どもで、花火大会を控えたその夏も、今までと同じように、のどかで平穏に過ぎていく筈だった
友達の家でアイスを食べ、山に行って木に登り、友達のお兄ちゃんの姿を見かけて手を振る
けれどそこで、いつもの日常は“わたし”に別れを告げてしまった
泣きながら兄にしがみつく友達と、“わたし”を見下ろす2歳年上の友達の兄
──その日、“わたし”は友達に殺された
そして幼い2人の兄妹は、“わたし”の死を隠す為、“わたし”の身体を隠蔽しようと決断する
この話は、殺された“わたし”の視点で語られる、“わたし”の死体を隠そうと行動する幼い兄妹の数日間を追った暗黒の冒険譚──
読み返してみて、昔ほどではないが、作品から漂う《キモチワルサ》は健在なのだと気が付いた
そして、自分にとって苦手だと感じるのが、イヤミスにも通じる後味の悪さだとも理解出来た
救いのなさ、と言い換えても良いのかも知れない
話を読み進める毎に強まって行く《キモチワルサ》は兄の存在だろう
素朴で何処か懐かしいようなどこにでもある田舎に暮らす彼は、妹からも“わたし”からも好意を寄せられる素直でしっかりとした優しい少年だ
しかし“わたし”が死体となり、妹に泣き付かれて以降、彼の隠された面が顔を覗かせてくる
確実に[そう]だとは明言されないが、端々で覗かせる態度や表情が[その資質]である事を物語っている
明るい光を放っているようだった少年に潜んでいた闇の顔が、何度も繰り返しながら姿を現す
しかし、恐ろしいのは、闇の顔を持っていた事ではなく、そんな姿を覗かせても尚、少年の態度は優しい兄のまま変わらない所なのだと思う
罪に怯え恐怖に震え縋り付く妹の姿との対比もあり、兄のその[一般的には受け入れられない資質]は、より異質さを放ち、それが《キモチワルサ》を引き立て、闇暗さを深めていく
しかもそれだけでなく、最後の最後に少年の[それ]が霞のような軽さに感じるほどの存在が現れるとのオチが待ち受けているのも居た堪れない
誰も救われず、何も明らかにされず、ただそこには絡みつくような闇と、暗澹たる未来への予感が漂うだけだ
勿論そんな終わり方だから、読後感もスッキリとはいかない
けれど《これだから良いんだよ》との感想も抱く自分がいて、嫌いだと突き放す事も出来ない、困った作品なのです
また、死体となった“わたし”が語り手となって、起きている事を淡々と語るその奇妙さ故に描けた結末は、恐ろしさとあどけなさとほんの少しの滑稽さを感じ、なんとも居心地が悪いのだ
今回改めて読んで感じたのは、殺された“わたし”が《感情を交えず語る》との表現方法を思い付いた作者への畏怖でした
なんでそんな事を思い付けたんだろう‥?
自分が死んだ事に対してさえ“わたし”は感情を動かさない
死とともに感情も抜け落ちたの如く
“わたし”の死で“わたし”自体も人ではない何かに変わってしまったのか
読者の理解が及ばない《ナニモノ》かに
‥そう考えていくと、1番恐ろしい存在は、語り手の“わたし”だったのかも知れません
あ、同時収録の「優子」は何処となく夢野久作みを感じた気がします
好き嫌いで言ったら「優子」の方が好きだなぁ
でも、作品の印象深さでは表題作が勝ってると思いました
結論
やっぱり乙一は苦手かも知れん←アー‥
切れ味が鋭すぎるのか、嫌なものを持たされた気分になるのがホント‥勘弁してくださいって感じなのでした
