
DN/HP
@DN_HP
2026年7月11日

ミニチュアの妻
マヌエル・ゴンザレス,
藤井光
読んでる
「奇想」という言葉を使って紹介される小説を読むとき、そこにイメージされるのは現実離れした出来事や状況、それらにドタバタと右往左往する人々を大袈裟に滑稽に描くユーモラスな物語、とそんな感じで。
この本の一編目「操縦士、副操縦士、作家」もそんなイメージをもって読み始めた。ハイジャックされた飛行機がダラス上空を20年間旋回し続けている、というかなり破天荒な設定の短編。
作家が書き留めるその20年間の間の出来事や思索には、破天荒下故の滑稽さやユーモアがあって欲しい気がしていたけれど、実施にはそんな状況の中にも現実と同じように人生があり、人生があれば挫折、思い悩みがあり、悲しみや不安があり、死だってある。未来もあるけれど、そこから想像される未来には希望ではなくて、しっとりとしたあきらめしかない。あり得ない状況で描かれるそれらはより強烈に訴えかけてくる気がする。
これはシリアスに受け止めなければならない物語かもしれない。そう受け止めて省みてみれば不安にもなってくる。その不安はたしかな言葉にすることが出来ないけれど、訳者の藤井光さんの「訳者あとがき」にある「ポップカルチャーやSF的な要素を作品の設定に用い、そこから個人の抱え込んだ妄念や、歪んだ世界の姿をえぐり出していく」という文章を読んでみれば、わたし個人のなかのなにかもたしかにえぐり出された、ような気もしてくる。





