犬山俊之 "台湾漫遊鉄道のふたり" 2026年7月11日

台湾漫遊鉄道のふたり
台湾漫遊鉄道のふたり
三浦裕子,
楊双子
[本] 日本人である私は『台湾漫遊鉄道のふたり』をどう読めばいいのか。 日本翻訳大賞、全米図書賞(翻訳部門)、そして国際ブッカー賞を受賞し、世界で高い評価を受けている本作。私も、もちろんすばらしい作品だと思うのですが、単に「おもしろかった」で済ませてはいけない気がしています。 というのも、この作品内では当時の植民地主義がはっきり批判されており(私はそう読みました)、私も台湾を支配した側の日本人の一人としてこの小説から問いを向けられていると感じたからです。  * 作中、「進歩的」な日本人作家・青山千鶴子は台湾人通訳の王千鶴に次のような言葉をかけます。 「我想跟千鶴小姐當朋友」 「私、千鶴さんと友達になりたい」 “I would like to be friends with you.” この台詞に、私はちょっと狼狽えてしまいました。 植民地支配する側と、される側の人間が植民地下の台湾で「朋友/友達」になれるのか、というのは小説内の話です。 しかし、この小説を書いているのは、現代台湾人作家で、想定されている読者は現代の台湾人。 そして、この台詞はこの章の最後の一行で、台湾人である千鶴の返答は書かれていません。そして数行分の空白。 要するに、この沈黙によって読者に反応を委ねているのだと思います。当時の台湾人が、支配する側の人間から「友達になろう」と言われてますよ。あなたなら、どう応えますか、と。 「善意」から発せられた言葉は台湾人の側にはどう聞こえるのか。 ここでは、単に「当時の」インテリ日本人の思い上がりが批判されている、というだけでなく、現在の日本人の無知も含めて「見られている」視線を感じます。 80年前の青山と、現在「日台友好」を口にしながら台湾を訪れる日本人と何が違うでしょうか。 植民地化、皇民化教育を押し進め、50年にわたって台湾人の言葉を奪うということをしておいて、今ぬけぬけと台湾で日本語教室をやっている私も、この小説に「見られている」と感じました。 この小説が読まれれば読まれるほど、日本人は世界から「見られる」ことになるでしょう。 やはり、我々日本人がすべきは過去の日本の加害を知ることです。過去に日の丸の旗の下で日本人はこの島台湾で(そしてアジア各地で)何をしたのか。その加害の歴史を自分自身の問題として受け止め続けること。それが、このを読んだ「感想」になるのではと思うのです▼ 追記 三つの言語を比べならがら、パラパラ読むのは楽しいですね。台風の「おかげで」ちょっと時間ができたので。 「我和小千在緣廊剝荔枝來吃」 「私と千鶴は、縁側で荔枝(ライチ)を剝いて食べていた」 “Chi-chan and I sat eating lychee on the engawa veranda.” ALT テーブルの上に本が三冊並べて立てかけてあります。 手前から Taiwan travelogue』Lin King訳 Graywolf Press 『臺灣漫遊錄』春山出版社 『台湾漫遊鉄道のふたり』三浦裕子訳 中央公論新社
台湾漫遊鉄道のふたり
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved