
イチ
@one
2026年7月12日
急に具合が悪くなる
宮野真生子,
磯野真穂
読み終わった
映画が非常に面白かったので、原作を買った。映画とこの書籍は全く異なる内容だが、ところどころに宮野と磯野のエッセンスが映画に溶け込んでいたことを感じ取れた。偶然を受け止めて、あなたと生きる勇気を持って、その物語に飛び込むことは、なんて美しいのだろうか。
人生において重要な、「分岐ルートのいずれかを選ぶことは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくこと」である。世界への信と偶然に生まれてくる「いま」に身を委ねる勇気が必要。
アザンデ人の妖術は、「二つの独立した事象がなぜある瞬間にある場所で交差したかを説明する」、「失われた環〈ミッシング・リンク〉を埋める役割」を持つ。妖術は、不幸の原因を自分の外側に出すことができる。しかし、偶然性は決して原因を説明してはくれない。ガン患者であることは「私」という人間のすべてではない。ガンという不運から自分の人生を取り戻そうともがいている。自分がガン患者であるという物語に従うことは、自分の存在を「患者」という役割で固定すること。「不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まる」。妖術は原因を語るが、悲しみを解消してくれるわけではない。→死を伴う妖術には復讐が許されているから、遺族が物語に押し込まれることはない。妖術者を探す託宣は認められている。「目の前に合理的に見える説明形式や、わかりやすい物語が提示されたとき、人はそれを受け入れるべきだという社会的な通念は現代社会にも強く存在している」。他人を自分の物語に巻き込むことや、自分が他人の物語に巻き込まれていくことへの抵抗感は、「それ以上問えない理不尽に対して、意味を与え、人生を方向付け、それに従順になってしまうことへの居心地の悪さ」に基づいている。6便の磯野の言葉遊びの説明の部分、よくわからない。和辻哲郎によれば、私たちが生きていく中で最も重要な倫理的な基礎は「信頼」であり、それは「わからないはずの未来に対してあらかじめ決定的な態度を取ること」である。「約束」とは、死の可能性や無責任さを含んだうえで、本来取れるはずのない「決定的態度」を「それでも」取ろうとすることだ。身体図式の欠落、自己意識と身体の関係、まなざされる身体、媒介としての身体、どれも気になる。
「それぞれの人間が持つ特性にラベルがつけられ、ラベル同士のあるべき連結の仕方が、関係性を具体的に作る人々の外側にいる、ラベルについて深い知識を持っているとされる人たちによって、頻繁に提示されることに私は少々違和感を覚えています」→本当にその通り!
最初から決まっている適切な接し方など無い!
人はみな、さまざまな当事者性にまたがっていて、それゆえに当事者であることに安住できない不安定さがある。
三木清「人間が利己的であるか否かは、その受取勘定をどれほど遠い未来に延ばし得るかという問題である。」
10便での磯野の言葉「その人が大切な存在になればなるほど、その人に『さようなら』をいう日の手ざわりがより確かになってゆく」は、磯野視点から死を了解しようとする準備が見える、素晴らしい言葉。
