
Sanae
@sanaemizushima
2026年7月13日
謝罪論
古田徹也
読み終わった
韓国から帰ってきて、戦後の韓国との関係や日本に蔓延る歴史修正主義などを考える中で、謝ることについて一度考えたかった。
そんななか、ウィトゲンシュタインの著書で有名な古田徹也さんの著書を見つけたので、手に取る。
私がいちばん気になっていた集合的責任(アーレントの用語)のこと
・自分自身がしていないことについて問われること
・自分の自発的な行為では離脱できない集団に属しているがゆえに負うべきもの
戦後世代がどのように責任を負うかということについて「自分では動かしえない事実によって、人が謝罪の義務を負うことはありえない。」
「むしろ、相手からの謝罪の要求がどのような内容であり、どのような理由や背景の下になされているのかを理解した上で、それに対して自分がどう対応するかということこそが問われていると言える。」(p230)
韓国の日帝時代の博物館に行ってわかったことだった。
「最も重要であるべきなのは各自の認識や信念、価値観、目的といったもの、それから相手との相互理解の意思といったもの」(p230-231)
コミュニケーションが起点。歴史認識を持った上で韓国と仲良くしていきたい。
会社が何か不祥事を起こしたとして、社長が辞任し、賠償金を払って終わり。本当に終わりなんだろうか?と思うことも今まで聞く話ではあった。
最近ではそもそも真相究明もせず、うやむやな記者会見で弁解にすらなっていない、再発予防のための策も特にないという情けないことも耳にする。
韓国ではセウォル号での真相解明を今でも人びとが声を上げて訴えているという。梨泰院での事故も路上で叫ぶ者もあった。
謝罪というのは本来は人から促される前にするものではあるが、組織の闇深い隠蔽に立ち向かう韓国の人には刺激をもらったし、改めて謝罪ということを考える良い機会になった。









