
じょるじゅ。
@kameupaupa
2026年7月16日
批判的日常美学について
難波優輝
読み終わった
@ 自宅
ここ数日で急に数独にハマってしまい、読書が疎かになっておりました…笑
難波先生の著書を拝読するのは、これで3冊目になります。
こちらの著書は、日常のあらゆるテーマについて美学の観点から批判的に捉え、構築し直そうという試みになります。
実は「美学」という哲学ジャンルについて、よく知らないまま難波先生の本を読み始めてしまったため、美学について未だにふわっとした認識しかなく、観点がズレている可能性がありますことご容赦いただけますと幸いです。
それぞれの章で「そういう捉え方があるのだな」という驚きと、「確かに自分もそう思っていたな」という共感をしながら読みすすめさせていただきました。
特にコミュニケーションのところなどは、大学でコミュニケーション論を齧っていたこともあるので、世間一般で言われるコミュニケーションと、本来の意味とで大きな乖離があるのはおっしゃる通りだなと大変深く頷きました。チャネルとも呼ばれたりしますが、人はその場その場で適切にコミュニケートするため、様々な伝達手段から最適なものを選ぶと考えられています。
「コミュ障」という言葉が広まり出したのは、私が学生の頃だったと思うのですが、その頃は就活の中で企業が「コミュニケーション能力の高い人材」を求める傾向が強まったことから派生したと記憶しています(今でいう「ガクチカ」のようなものでしょうか。勘違いだったら申し訳ありません)。
ただ、企業や社会が求めているコミュニケーション能力と、学生の頃までに求められたコミュニケーション能力とは別物であると、社会に出てから知ることになる…というのが、私たちの年代でした。
個人的には、良くも悪くも何かに「意味をもたせる」ということは、自分や誰かをある種の傾向に誘うことになると考えています。難波先生がご指摘されていた通り、自分でも道徳的なものと美的なものが混ぜ合わさった状態で、世界を認識しているなと痛感しました。
現代では社会通念等に影響されることのない純粋な美的感覚(景色を綺麗だと思う、誰かを慈しむなど)は、なかなかないように思います。悪しき美的感覚は修正が必要ですが、修正の際にあまりにも良い美的感覚へと持っていきすぎることも、ある種の意識操作になってしまうかもしれません。
まだまだ勉強不足でお恥ずかしい限りですが、美学という分野もかなり興味深いなと感じました。




