
梔子
@asago_404
2026年7月18日

ままならないから私とあなた
朝井リョウ
読み終わった
技術の発展でどんどん便利になっていく世界。
いつぞや某SNSで見た『私たちが数秒・指先ひとつで得られる知識は昔の人が命をかけてでも知りたかったこと』という投稿を思い出す。けれど私たちは、昔の人が容易に出来たことが、便利すぎるが故に出来なくなっている。
便利さに慣れ、思考することを止めるのはどうなのか、そこに効率の良さを求めてしまったら、そもそもそういった事柄をする意味が無いのでは?と思う事が増えているのだけれど、作中の『自分が生まれた時に既にあった便利な物は使っておいて、新しく出来て自分の人生を否定されそうなものだけを受け入れず突っぱねるのはずるい』という言い分にははっとした。
利便性や効率の良さを求める理由・求めてはいけない理由に対し、双方が確固たる信念ようなものがあるのならいいのではないか。要は、世間がこうだからそうしているというふうになるなよという事なんだろうけど、便利すぎることが当たり前になると違和感を持つことすら出来ないし……と思ってしまう。そろそろ私もめんどくさい大人の仲間入りなのかも。思考して欲しいだけなのにそう思われてしまうのも寂しいなぁと引けずにいる笑
全く別の作品なのだけど
〝大衆から無駄と言われがちなものに傾倒し崇め救われてきたからだろうか。無駄を減らすことに躍起になっている人は、自分自身が無駄な存在だと気づいてしまった時どうするのだろう。本当に無駄ではないことなんて、無駄の中にしか存在しないのではないだろうか。〟
というひと文を思い出した。
𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠𓇠
P.191
世の中はどんどん便利になっていくし、目標の達成に費やす時間や手間だって大幅に省ける。だけど、だからといって、これは意味がないから、これは無駄だから、とあらゆるものを削ぎ落としていったら、そこに残るのは、誰にとっても必要なもの、誰にとっても意味があること、それだけだ。たったそれだけを身に付けた私たちは、確かにあらゆることが無駄なく遂行できるようになっているかもしれないけれど、きっと、心も体も同じ形をしている。
そうなると、重なり合ったところで、何の発見も、影響も、与え合うことができない。自分自身では引き起こせない感情の揺らぎに、出会うことができない。
誰と同じようにもなれないから、私は誰かの何かを探り当てたい。
その往復運動の中でのみ、私は、私だけができることに出会うことができて、私が私であることを知ることができる。