
ゆい
@no1sin
2026年7月18日
苦海浄土
中村桂子,
加藤登紀子,
池澤夏樹,
石牟礼道子,
赤坂真理,
鎌田慧
読み終わった
> >充分に年をとった老人たちが、丘の上の作小屋や、機の岩蔭に座って首をかしげ、膝の上に、完成された芸術のように掌を組んで、来たるべきおむかえの気配に耳をすましている景色というものは、しばしば感動的なものだった。それはたいてい、松風の音や、魚たちがつくる波の色やその上に浮かぶ椿の花かげや、土の香や秋の光世とともにあった。
年とった者たちが、若いものたちの居場所から少しはなれて、そのようにして待っているのは「おむかえ」だけではない。いのちの終りに近く、一生のうちに出逢ったものたち、子どもや孫たちや、自分の親や祖父母や友人たちや、つまり自分の命につながるものたちはもちろん、家畜たちや、手塩にかけ哀憐をかけたものたちとの、より深い再会を、おむかえを待っている間に味わっているのである。つまり、この世との名ごりを、そのようにして惜しんでいるのだった。
>深い慈光に和んだ年寄りたちのそのようなまなざしに、首をかしげ、ときどきひとみを合わせて寄り添うのは、忙しい親たちからはなれて、ひとり遊びをしている孫たちだった。まだ稚くてこれから育つものたちと、おむかえを待っているものとが、こわれた舟のかげや、丘の上の椿の下の、たびかずらに巻かれた大きな平たい岩の上にならんで乗っている姿があれば、畠や海の上で働くものたちは、風向きや雲行きを見るのと同じようにその景色を眺め、一日の仕事の区切りをつける。舟の上からはるかな丘をみやり、「じいちゃんの風邪ひかすけん、早よ、もどろ」
などと云うのである。(P.867)
