
ゆい
@no1sin
2026年7月18日
苦海浄土
中村桂子,
加藤登紀子,
池澤夏樹,
石牟礼道子,
赤坂真理,
鎌田慧
読み終わった
>出京可能な患者たちを呼び寄せることにして、越年用の宿屋を探す作業がはじめられた。営繕係たちが、本郷の山水館なる宿を探しあてた。料理係たちが、ハムエッグ式宿屋ではなく、自炊させてくれて、せめて雑煮と野菜のゴッタ煮くらいできるようなところを、という条件をつけて申しこみ、探し当てたのである。風土と水と食い物の違いと、路上生活のため、患者たちは疲労の極に達していた。
チッソ体部たちの前では辛うじて横になり、ひじ枕のような格好でいる川本、佐藤さんも、顔面土色となり日に日に類はこけ、夜になると身内に絶えず深い痙華をはしらせて、まぶたや指の先がぴくぴく動きながらねむるようになった。
一月四日、もと訴訟派患者湖上マサエ死亡の知らせ。胎児性で体の全然うごけぬ十四歳の娘一二枝を残して死亡す。寝たきりの一二枝に初潮がはじまったとき、
「どげんしても先には死なれん。なあ、うち殺してから死なんば」
自分も大儀そうになって来た体をかすかによじってそう云っていた。
母親の方が急速に重態化し、その死はほぼ予測されていたので、この度の上京前に、わたくしはその床を見舞った。娘のための訴訟を降りて一任派になったため、彼女と内縁の夫には一時金が降りて、家を新築できた直後のことである。茂道のカルメンと云われた肢体は青ざめてはいたけれどまだおとろえていなかったが、まぶたの上に確実に、死が染みこんでいた。その影をさしのぞきながら、「小母さん、……せっかくよか家のでけましたとに、早う良うなって、もどりまっしゅ」
なんの甲斐もないことを、わたくしは云った。
「うんね。もう、家も要らん、銭も要らん、なあんも、要らんところにゆくとばい」
青く沈んでいる眼光をうっすらひらいて、彼女は非常にやさしく、微かに笑った。(P.986)