
ジクロロ
@jirowcrew
2026年7月18日
身体の美学入門
伊藤亜紗
読み終わった
再認は、目的が外部にあります。相手から何らかの印象を受け取るけれども、私の意識は、すぐに次の行為に移ってしまう。印象そのものに立ち止まることがない。
一方、知覚は、「有機体の全身に連続的にくまなく広がる波に乗って進行する」(同)。意識がはつらつと活動し、生き生きとした感情が湧き上がってきます。この比較を前提にするなら、結局再認とは「自由に展開する機会をえる前に展開を阻止されてしまった知覚」なのです。
(p.143-144)
「再認」と「知覚」の違い。
あまり意識できていなかった区分、勉強になる。
「わかる」とは外部にある(論理)構造を理解の枠組みとして利用することで、事象を理解すること。
その認識の枠組みが他者からの「借り物」であるからこそ、「再認」と呼ばれること。
「知覚」は、いわば「名辞以前」(中原中也)のまなざしで、言葉によるフレームなしに外部(外界)を感じ取ること。完全に個体的な認識方法であるがゆえに、他者との共有を目的とした「手段」としてではなく、知覚そのものを目的として認識を得ること。
そして後者のほうが身体的、情緒的であるということ。

