身体の美学入門
145件の記録
おきょう@kyontk2026年9月14日読み終わったとても面白かった 復習してからまた感想書こう〜 2026/09/17 復習完了〜 いや〜難しいな〜、でも面白いなあ〜 第3,4章とても興味深かった。読めて良かった。
小野 妹子歩@imokov2026年9月1日買ったまだ読んでる美学(感性を扱う学問)は今着実にブームなのか。その背景には生成AIの台頭も関係しているのだろう。 美しさとは何かが問われる一方で、美しく生きられないことへの共感もまた静かな熱を帯びている。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月29日まだ読んでる@ カフェ第5章おもしろい。「正義のプロセス」と「エロス的プロセス」という重要な整理も登場。第6章では後者をさらに掘り下げていくらしい。楽しみ。 〈うっとりは、日常を覆っている規範的な感性の働きに穴を開け、対象固有の魅力に奉仕するような例外的な状態を作り出します。[...]それは、未知への開かれた感性であり、対象に即して応答を組み立てようとする点で、倫理的な可能性を秘めています。〉(134-135頁) 〈対象に囚われ、はっとして時間が止まるような感覚の中で何が起こるのか。デューイの知覚論の面白さは、それが「見たものが私の中でどう展開していくか」という対象の主体性に注目している点です。〉(142頁) 〈美学の考える人間とは、主体より大きなものです。[...]メンケによれば、人間とは、「主体でないような潜在力をもち、主体ではないような遂行をなすための場」でした。〉(146頁)


JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月29日読み終わった@ 自宅第6章、重要な論点が盛りだくさん。多くの人に読まれてほしい。 〈その人だけがもつ、いわく言いがたい何かに惹きつけられること。これが魅力というものの働きです。[...]その人がいることによって、その場に新しいものの見方が作り出される。そのことが、その人以外の人々にとっても、その組織にいることの意味や居心地を変える。本章では、このような意味でのエロス的プロセスがもつ倫理性について、考えていきます。〉(167-168頁) 〈スタイルは比較を超えた概念です。既存の価値基準を保持したまま、表面的な形や運動だけを見て「いびつだ」「流暢ではない」と判断するのではなく、その背後にある歴史に思いを馳せ、その固有性に圧倒されるとき、私の基準はすでに揺らいでいます。〉(185-186頁) 「他者の肉体への欲望自体が問題になることではない。重要なのは、そこから出発して、その欲望がどう進化するかだ。」(キム・ウォニョンの言葉、186頁) 〈「スタイル」は「個人の表出」ではないということ。その差分に生まれるのは、おそらく「逃げ場」のようなものです。〉(190頁)



JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月28日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第4章読み終わる。ブラック・アーツ・ムーブメントの話がメイン。 〈自称としての差別化が主体性の問題と関わってくるところが、黒人の美学の特徴です。〉(130頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月27日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第3章読み終わる。醜悪な歴史の数々を堪能できる。 〈ヨーロッパの啓蒙主義時代にしろ、アメリカのジャクソン流民主主義の時代にしろ、平等をうたうときにこそ、その裏側で見世物小屋のような他者化の装置が求められるというのは示唆的です。〉(87頁) 〈醜という美的判断の裏面には、私たちは何者かというアイデンティティのゆらぎや、それに起因する不安がうごめいています。〉(97頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月26日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅〈身体に対する美的判断がなぜ重要なのかと言えば、その結果が、その人との出会い方を決めるからです。[...]生身の身体を前にして無関心であることは不可能であり、それが「巡り合い」も「出会い損ね」も作り出しているのです。〉(41-42頁) 〈リベラルな規範が、感性の保守化を温存してしまうことさえある。これが、感性のあなどれなさ、やっかいさであり、人間の複雑さという意味では面白さの核心です。〉(52頁) 〈繰り返しますが、法律は重要です。でも、感性に法律という首輪をつけることはできないのです。人間の理性は、重要ですが万能ではありません。〉(57頁) 第2章も面白かった〜。キム・ウォニョン読み直したくなった。
も@ym2026年8月26日読み終わったなにかに惹かれたとき、 どこにどのような魅力を感じたのか なぜそれが好きなのか 理性的に言語化できないのは自分の能力の問題だけだと思っていたけれど、 「いわく言い難いなにかに惹き付けられる」という感覚は確かに存在していて、これが"魅力"なのだと分かり、 「私はなぜ澄乃紬(宝塚の娘役)が好きなのか?」 という永遠の謎にひとつの答えが出た気がした。 いつぞやの全国ツアーでなんとなく見つけ、 ほかの公演でもなんとなく存在を認識し とくに目立つ場面がなくてもなんだか気になってしまう 単に顔が好みなだけではない"何か"を言語化したいとずっと思っていたけれど、 彼女には「いわく言い難いなにかがある」 それだけで今はいいように思えた。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月25日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅〈美学は、「私の中の他者」についての学問なのです。〉(21頁) 〈「人間」と「主体」のズレにこそ、考えるべき問いがある。〉(22頁) 〈個人のレベルでの感性の陶冶を考えるためにも、結局社会を経由しなければ、本質的なアプローチにはならないのです。〉(32頁) 第二章読み終わり、第三章では〈法律でも制度でもしばることのできない、社会をつくる非言語的な領域の根深さ〉(33頁)に迫っていくと。そしてそのタイトルは「感性、このやっかいであなどれないもの」。無駄のない構成、かっこいいなあ。

JUMPEI AMANO@Amanong22026年8月24日読み始めたお風呂読書@ 自宅〈感じるとは違いがわかることである。したがって美学とは、違いについての学問である。〉(ⅴ頁) 〈美学研究の歴史が教えるように、私たちの感性は、道徳にしろ正義にしろ法にしろ、あらゆる「◯◯すべき」という命令から逃れて働きます。〉(ⅸ頁) さすが伊藤先生、文の運びがうますぎる...。「はじめに」読み終わり、本編にも期待。



m4@m42026年8月23日読み終わったうっとり する。 というくだりで祖父江さんを思い起こし、彼のスタイルについて考えたのだった。(スタイルについては第6章で取り上げられている) メモはiPhone/フォルダでpdf化し、オブシディアンにあげてclaude codeにキーワードをリスト化してもらっている。(pdfが濃いめになるように万年筆を使う) upしたpdf(といっても画像なのだが)に書き込みできるプラグインを入れて、感想はそこにも書き足せるようにした。




socotsu@shelf_soya2026年8月13日読み終わった伊藤さんの本って大体とても読みやすい文章(口語で書かれているということだけではなく)でよく読むとかなり難しいことが書いてあってうれしい。わたしたちひとりひとりの感性もまた、その人が生きている社会的に大きく影響され、形成されているものであり、社会にとって好ましいから・遠ざけられるべきものだからそれを美しく思う・嫌悪する、ということ。リベラルな社会とリベラルな感性のイコールでなさ。一方で逸脱する感性について、出会い直し。
- いいとよ@iitoyo2026年8月11日読み終わった日常用法とは異なる、学問としての「美学」を扱った本。内容は真面目ながらとても読みやすかった。 感性の在り方について明暗両面から書き出した上でいくつかの事例と歴史の流れを受けた現代的な視点が得られた。自分のものの見方を再考するきっかけになった。
アオアカ@akatsuki2026年8月9日読み終わった規範や基準から逸脱したものにやたらわくわくしたり、言語化も全然出来ないがヤバい凄い尊いうっとり…と圧倒される事って結構ある。それを理由を説明もできず、言語化もできず、知性に落とし込めないワシって…クヨクヨ。とか思っていたけれど、本書を読んで、そもそも知覚して己の感性が揺り動かされてそれ以上でも以下でもない、感性に導かれるのもよい、と思い直しました。本書ありがとうありがとう。
高尾清貴@kiyotakao2026年7月22日買った@ magmabooksチームメンバーから、どう意思決定をしているのか、と問われ、身体感覚が…と説明するものの、それで僕のやっていることの芯をとらえた説明になっているかも分からないし、さらに相手もポカンとしているし、というミーティングをした帰り道に、この本に出会い、買った。

ジクロロ@jirowcrew2026年7月18日読み終わった再認は、目的が外部にあります。相手から何らかの印象を受け取るけれども、私の意識は、すぐに次の行為に移ってしまう。印象そのものに立ち止まることがない。 一方、知覚は、「有機体の全身に連続的にくまなく広がる波に乗って進行する」(同)。意識がはつらつと活動し、生き生きとした感情が湧き上がってきます。この比較を前提にするなら、結局再認とは「自由に展開する機会をえる前に展開を阻止されてしまった知覚」なのです。 (p.143-144) 「再認」と「知覚」の違い。 あまり意識できていなかった区分、勉強になる。 「わかる」とは外部にある(論理)構造を理解の枠組みとして利用することで、事象を理解すること。 その認識の枠組みが他者からの「借り物」であるからこそ、「再認」と呼ばれること。 「知覚」は、いわば「名辞以前」(中原中也)のまなざしで、言葉によるフレームなしに外部(外界)を感じ取ること。完全に個体的な認識方法であるがゆえに、他者との共有を目的とした「手段」としてではなく、知覚そのものを目的として認識を得ること。 そして後者のほうが身体的、情緒的であるということ。

しらすアイス@shirasu_aisu2026年7月16日読み終わった以前読んだ井奥陽子の『近代美学入門』と共通する部分もありつつ、「感性」のあり方によりフォーカスした内容だった。 感性のもつ規範的な側面と逸脱的な側面、そのどちらをも使って私は仕事をし、生きていっているなと思う。 学問としての美学は、今の世の中にとって重要だと感じる。人の身体に限らず、何かを見て「美しい」とか「好き」とか思ってしまうことを、多くの人は「それが自然な感情だ」「本能だから仕方ない」などと捉えてしまいがちだが、そうではない、という前提がもっと普及したらいいのに。

いっちー@icchii3172026年7月8日気になる急に具合が悪くなるをとうとう全く別の友人からもおすすめされて、やっぱりそういうの好きそうに思われてるし好きなんだろうなと思いながら、Xで検索してたら、この映画とこの本が同じこと言いすぎてるらしいのでマーク。 やっぱり伊藤亜紗さんよな〜〜

suama@sususuama2026年7月8日読んでる生理的に無理という表現に感じていたずるさみたいなもの、本能だけが価値観を決めているかのような甚しい勘違いに無自覚なのに正当な理由として提示されがちなところだったんだよな
octo@mothmanoir2026年6月24日読み終わった美学という学問の成り立ち、概説から、その美学が主に扱う「感性」のままならさを経由してその、社会性、可塑性に突入していくという大まかな流れ。 感性の可塑性、「(著者の言葉では)逸脱的な側面」に現代社会を取り巻く諸問題の解決のための鍵を見出している点が非常にアクチュアル。伝統的な美学のお話から現在の我々が直面している他者理解の方法までシームレスに話題が繋がっていく構成が見事という他ない。 感性のままならさを説明する際にダマシオの理論を、感性の規範性を検討する際にアフリコブラを、感性の逸脱性についてはデューイの認識論を引用する手際が鮮やか極まりない。 伊藤亜紗にしか書けない全く新しいアプローチの美学入門書。これからの必読本!



ぽち@goomoo2026年6月21日読み終わったとても面白い本でした、帯からお分かりかもしれませんが差別とかの文脈もある本ですし、美学の本だからといって難しいと思って敬遠しなくても大丈夫だと思います、まずは前書きを読んでご自分に合いそうかどうか確認してもらえたら! あとほんとにびっくりしたことがあって、わたしは差別はいけないと思っているにもかかわらず、自分の中に差別的な視点があることに気づいて落胆することが度々あるのですが、それはよくある事例であることが記載されていて驚きました(感性の保守性)。勉強が足りないので、もう一度読み直したいとおもいます。 最近、本を読んで、人間の個別性(用語が適切でないかもしれません)の興味深さ、と、観察の大事さをいろいろと感じるところです、勉強をつづけたいなとおもいます。






ぽち@goomoo2026年6月20日すごい全然関係ない話で申し訳ないんだけど、一文字違いの著者さんを誤認することが多くて、伊藤亜紗さんと伊藤亜和さんを本日まで同一人物だと思っていた… あと中野信子さんと中野京子さんとか…認知がガバガバ…

i.@rom-random1900年1月1日読みたい私のまわりにいる人々は、私が何者であるかを忘れさせてくれません。彼らが私の身体にどう反応するか。そして、どう関わってくるか。ちょっとした表情のこわばりや態度の変化が、鏡のように「私が何者であるか」を跳ね返してきます。そして、それに応じて、私は身の置き方や立ちふるまいを微調整することになる。忘れたくても、他者が私のアイデンティティを絶えず思い起こさせてきます。 しかもその「他者」が、しばしば自分の返している反応に無自覚であったりする。ある人が自分の身体とどう付き合うかは、多分に、その人のまわりにいる他者の無意識的な反応によって、良くも悪くも共同作業的に作り上げられていくものです。

























































































