小石川 "国境の南、太陽の西" 2026年7月15日

小石川
小石川
@mkgaogao
2026年7月15日
国境の南、太陽の西
26/52 30代になってから毎年読んでいる 読むたびにイズミ、有紀子、島本さんの三者三様の人間模様に感動する 過去に損なったもの、今も損なわれているもの、これからも損ない続けざるを得ないもの、という時間軸でそれぞれ「喪失」を担う三人が物語を動かし続けて、主人公に主体的に動くことを促しつつ、今までどこか他者から求められることに無頓着な主人公を描き続けてきた作風から一歩踏み込み、「自分も求められる存在なのだ」と伝える作品に、全体としてなっているように見える 『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』と並べて同じテーマ性を持つ中期三部作としたい気持ちすらある(『ダンス・ダンス・ダンス』は初期作の4作目という位置付けだが、これも喪失とそれへの向き合いに今までの作品との違いが伺える作品でもある) それぞれが喪失と主人公の主体性と他者へのコミットメントを中心とした、今までと明らかに作者が書きたいことが変わっているのがわかる作品だと感じる 有紀子が「資格」の話をし、イズミを傷つけたことに端を発する主人公の自己嫌悪と「人を裏切る」ことにひとつの結論を用意するシーンが忘れられないほど印象に残っている 自分が「こうしたい」「こうあるべき」「こうに違いない」の姿勢から、「どうするべきか」「どうあるべきだと思うか」「これについて見直すべきか」という他者の視線と他者へのコミットメントを促しつつ、物語として(個人的には)これ以上ないカタルシスへ向かう名シーンだと感じる "「私は思うんだけれど」彼女は言った、 「あなたは私に向かってまだ何も尋ねてない」 「明日からもう一度新しい生活を始めたいと僕は思うんだけれど、君はそれについてどう思う?」と僕は尋ねた。 「それがいいと思う」と有紀子はそっと微笑んで言った。" このシーンから、おそらく有紀子にとっての主人公こそが、主人公にとっての島本さんなのではないだろうかと感ぜられるところが素晴らしいなと思う 形や細部は異なっているとしても、どうあっても失いたくない、「全てを取るのだ」と思える相手が自分なのだと、主人公は島本さんがいなくなってから有紀子に打ち明けられるという構造が主人公を変え、果ては読者を変え、そして作者自身が変わっていることを表しているように思う これを男側からの身勝手な赦しを乞う態度を表していると批判的に見ることもできるが、読めば読むほど、理性的な対話がなされ、それに寄り添う感情的なものをないがしろにしようとはしない姿勢がはっきりわかるところがあると思う それゆえに男女という対比で語られるより、もっと根本的な「許す側と許される側」という対比で語られる、許されざることと許されることを考えることができる作品だと感じた
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