328 "バラバラな世界で共に生きる" 2026年7月22日

328
@millefeuille_328
2026年7月22日
バラバラな世界で共に生きる
投票は限られた選択肢のなかから選ぶ(或いはいずれも選ばない)ことしかできず、信任投票のように、場合によっては「はい」か「いいえ」しか言えないのだけど、たいていの意見はそれぞれの間とか、まったくの範疇外にあるのがほとんどで、私たち社会動物は常に妥協を強いられる。 とはいえこの妥協ってやつは、英語では「com(ともに)-promise(約束する)」と言うように思い遣りなのでこれは良い。 危ないのはややもすると妥協の意見があたかもどんぴしゃりであるかのように、はっきりと、コントラスト強めに分類されてしまうことだ。 真理を目指す哲学は会話を終わらせようとする姿勢で分断の温床になり得る。妥協的なグレーを白黒のどちらかに引き込むかのような引力を生む。 ジョナサン・ハイトのモラルの5分類 1.危険 2.公正さ 3.グループ性 4.権威 5.純粋さ において、1,2は左右どちらも意識高いが、3以降は右に偏る。論点になるあとの3つを見れば、共同体の維持においては宗教の果たす恩恵と同じだけの危うさは容易に想像されるな、なんて記憶も掘り起こしつつ。 先日空海の展示を観たばかりなのも手伝って、仏教の中道、つまり、二辺の左右どちらかをとらないばかりか、まんなかすら拒否し、ただこの二辺から離れる。言語で真理には至れない。これも思い出していました。 仏教の思想は実社会と照らし合わせると身も蓋もねえ! って話に陥りがちなのだけど、実際本音にちかい、どっちつかずな意見はどうしてもごにょごにょした物言いになってしまうから説得力がなくて弱いのだよね。 結論を目指すコミュニケーションではとくに弱体化してしまう。 すこし前に手話の会に参加しまして、聾唖の方たちとアクティビティを通じてお話してきました。 いやあ、まあ、表現力がはるかに豊かで仰天したのですよ。 私が「13日の金曜日」を伝えたくて下手な身振り手振りをしていたら、司会の方がものすごく上手なジェスチャーでジェイソンを演るわけです。歩き方とか、手に武器をもつ仕草、動きのテンポ感とか、観察力が段違いで、自分が普段からいかにものを見れていないかをまざまざと痛感。 相手がなにを伝えたいのか、そして汲み取ろうとしてくれているのか、言語に頼りきりにならないがゆえに生じるその献身的な姿勢には朱さんの説く「会話(conversation)」の少なくとも一端が表れていたように思う。 「──ただテキストを読んだり、ことばの取り扱い方や話し方を洗練させるような、“知的な”作法を身につけることではなく、そもそも目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体をもってそこにいるという、その平凡で当たり前の事実とちゃんとつきあっていくことなのでしょう。(p.194)」 自分と他人はちがう、という強烈な実感を得ざるを得なかった人たちが、それでも手を取り合う選択をしてここに居る。かっこよかったなあ。 4章までは正直、ローティの解説書でしかなく、著者が出てこない、ほとんど翻訳と大差がない新書だなあと微妙な気持ちで読んでいたのだけど、巻末で『100分de名著』のテキスト改稿と明かされて納得(イベントでも言及してたのに忘れてたね!)。 でも、と気づいたのは、これ明かされたからといって書籍の内容にはなんら変わりはないということ。 つまり、6章仕立てのうち4章分という大半が解説に費やされていて新書としては物足りない事実はそのままなんですよ。 それでも納得できてしまった。その感情自体に、人は捉え方の些細で相対しているものへの拒否感を克服できるというポジティヴな実感を得られた。
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