バラバラな世界で共に生きる
778件の記録
𝕄𝔼𝕋𝔸𝕐𝔸@mty2026年10月4日読み終わった「リベラル」であるためにもっとも重要なこととは、ただテキストを読んだり、ことばの取り扱い方や話し方を洗練させるような、知な作法を身につけることではなく、そもそも目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体をもってそこにいるという、その平凡で当たり前の事実とちゃんとつきあっていくことなのでしょう。(194頁) 「リベラル」であるとは、そうした道なき道を一歩一歩たしかめながら歩もうとすることです。その道を行く以上、絶対的な〈正しさ〉をわがものとして他者を裁くことはできません。むしろ自身や「われわれ」に向けられる、心地よいばかりではない反省とことばづかいの改訂をしていかねばなりません。(199頁)
ユーフラテス@osirizm_78782026年10月4日読んでる読み終わった話にならないと、会話を諦めてはいけないと思った。 相手のことばを言い換えることができる。 苦痛は非言語である。渦中にいる人は言葉にすることができない。振り返れば相手にも自分にもそのような場面があった。 言葉を探すことを諦めたときが、本当の終わりだ。
ふかふかキャット@rah_7922026年10月3日読み終わった難しかった! 100分de名著で見たやつだな〜の記憶でなんとか乗り切った部分がある。実際そのテキストに加筆修正したものだそうです。 序盤はなんとなく言っていることに共感できる〜と思いながら読める。われら/やつらで分断しない。自己の偶然性を認める。アイロニーを持つ。残酷さをなくそうとする。 でもより正しくあるためには何をすればいいのかっていう指南書にしようとすると終盤で「でも相手がそんな気これっぽっちも持っていなかったら?」と迷子のような気分になった。哲学って考えるよすがにこそなれ万人に普遍的な指針とはならないのか。普遍的なものがあると信じてしまうことが分断を生むからそれでいいのか。ぐるぐるしてきた。つまるところバラバラなまま共に生きるしかないのか。タイトル回収の感。 新書ってだいたいカバーデザイン統一されているけど、こういうカバーは手に取りやすくて本当にいいねと思いました。

yt@yt2026年10月1日読み終わった「自分たちの「ことばづかい」に目を向けるという具体的な方針は、かつての秩序が失われ、分極化が進み、ますますバラバラになってしまった世界の中で、それでも私たちがどう生きていくのかを考えるための手引きになるはずです」(p8) 自己の偶然性を認識して連帯の契機を生み出すローティ入門。 「どうやって会話を継続させることができるのか」(p133) アイデンティティポリティクスでは会話が終わってしまうから。 「まずは自身がマジョリティ側として果たすべき責任を全うしなければなりません」(p165) 対テロ戦争において焦点化すべきもの。 われわれという範疇を広げること。 「その場かぎりかもしれない、見ず知らずの他人と、なにかを共有したり、本質において一致するのではなく、あくまでバラバラのままで、しかし共にいることに耐え、できればそれを楽しむこと」(p193)









- Masayuki Kojima@myrskj2026年9月30日読み終わった自分の大切にするもの、しないものを仮でも決める(終極の語彙)。そしてそれを真理のように扱わずに常に訂正されることに開き続ける、というローティの考え方に、普段自分が考えていることと符合する点が多くて「これだ!」という気持ちになる。のだが、後半の9.11時におけるローティの応対は「言ってることとやってることが年を経て乖離しました」にどうしてもみえてしまい、うまく咀嚼できなかった。「我々(アメリカ)」の道徳性に基づきて言動するしかないことと、他者に対する想像力を持つことは両立できないのだろうか。とても難しいことではあるのだが、それは「会話」を手放すことと同義なので、あれれ、となってしまう。

しろのすけ@tovikun2026年9月30日読み終わったまさに自分が今向き合っていることそのもので、興味深く読んだ。 自分が正しいと思っていることを疑い、他者を許容する。これほんとに難しい。今まで大切にしてきたことを壊すのだもの。 でも今までのやり方で行き詰まりを感じていることも事実。これが出来るかどうかで今後の自分が大きく変わるのだろうという予感はある。



勝村巌@katsumura2026年9月27日読み終わった本書はアメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931–2007)の思考を、SNS時代の分断やポピュリズムといった現代的課題の真ん中へと接続し直す試みとして刺激的な一冊だった。 ローティの歩んだキャリアは異色である。15歳でシカゴ大学へ飛び級入学した神童であった彼は、イェール大学で博士号を取得後、名門プリンストン大学の教授として当時のアメリカ哲学界の主流であった分析哲学の最前線に立った。 しかし1979年、主著『哲学と自然の鏡』を発表したことで状況は一変する。「世界をありのままに映し出す鏡」としての従来の哲学観を根底から解体し、学会の主流派から猛烈な反発を受けた彼は、実質的にアカデミズムの中心から追放(干される)に近い形となった。 哲学的命題と言える、真理を追求する姿勢そのものに会議を挟んだというのだから、相当に批判的態度だったのだと思う。 のちにバージニア大学の人文学教授、次いでスタンフォード大学の比較文学教授へと籍を移し、伝統的な「哲学」の枠組みそのものを踏み出して独自の領域を切り拓いていった。 この「脱・分析哲学」の足場となったのが、アメリカ独自の哲学伝統であるプラグマティズム(実用主義)であったとのこと。 プラグマティズムはアメリカの近現代の哲学動向としては重要な考え方でローティよりもひと世代前の哲学者だが、ジョン・デューイの教育哲学などにも結びつく考え方である。 プラグマティズムは経験主義とも言われており、そこでは、知識や概念というものは、世界に存在する客観的な「絶対的真理」を写し取ったものではなく、「人間が環境の中で生き抜くための実用的な道具(ツール)」に過ぎない。 ローティはこの考え方を徹底的に推し進め、世界に絶対的な正しさの基盤など最初から存在しないという「偶然性(contingency)」を出発点とした。 絶対の心理とかではなく、その場に至る組み合わせに対応することで人生が続いていく。それはいつも出たとこ勝負の関係性が全て、というような考え方である。つまり、経験主義なのである。 ローティはその考え方を推し進め、私的な「個人の自己創造(プライベート)」と公的な「他者との連帯(パブリック)」を論理的に一本化して統合しようとせず、「私的/公的の領域を明確に切り離す」という極めてプラグマティックな処方箋を提示したのである。 読み進めながら私が深く考えさせられたのは、この「私的な領域と公的な領域の分離」という思考の枠組みが持つ、現代におけるきわめて切実な実用性である。 実際、自分などは普段、1人の時はとても他人には言えないようなことを永遠と考え続けている。 現代は、デジタルテクノロジーやAIの浸透によって「自分の本当の思い(本音)」と「公的な監視」の境界線が急速に解体されつつある時代だ。 例えば、AIチャットボットに対してふとした好奇心や歪んだ欲望から殺人の計画や不謹慎な相談をしたとする。 現在の技術環境や社会規範においては、そうしたAIとのやり取りのログがプラットフォーム側で検知・解析され、場合によっては警察や外部組織に通報・共有されるような社会が、すでに現実のものとして目前に迫っている。 実際、殺人事件が起こった後に、その計画をAIに相談していたことがログからわかり、そのAIの会社が訴えられたこともあり、最近ではそういう起こっていない事件でもAIの通報により事前の逮捕がなされた例も存在する。これは完全に「マイノリティリポート」の世界だ。 検索履歴や生成AIとの対話記録に至るまで、あらゆる思考のログがセンシングされる空間において、人間が真に何を考えているかという内面の領域までもが公的な規範や監視の網の目へとなし崩しに晒される危険がある。 私自身、人間として心の中で渦巻いているあらゆる思考や、どろどろとした本当の本音を、そのまま他人に明かすことなど到底不可能だ。 どれほど他者と親密であろうとも、あるいは社会的にどれほど良識ある振る舞いを心がけていようとも、人間の内面には公の場には決して出せない偏頗な考えや残酷な妄想が必ず潜んでいる。 気がつくと心の中の死ね死ね団や死ね死ねブルースが首をもたげてくるのだ。 このように「本当の思考」と「社会的な振る舞い」の乖離に怯えざるを得ない時代において、ローティの哲学は極めて強力な「内面の防衛線」を提供してくれる。 私的に何を考え、どれほど歪んだ想像を巡らせていようと、それは個人の自己創造の領分(純粋にプライベートなもの)であり、公の場に引っ張り出して絶対的な正しさを証明する必要もなければ、他者に露出・弁明する必要もない。 重要なのは、公的な場に躍り出た際に「他者に対して残酷な振る舞いをしない」という最低限の約束(パブリックな連帯)を守れるか否か、ただそれだけである。 内面の本音と公的な振る舞いをロジカルに切り離すことで、私たちは「内面の真に自由な思考」を守りつつ、社会においては良識ある市民として他者と不必要な衝突を避けて共存することが可能になる。 こういう哲学の考え方があるのか、と思った。自己同一性というのが、豊かな生活に直結するものだとうっかり考えていたけど、そうではないのか。自己が分裂していてもそれはそれ、これはこれ、というように棲み分けをしっかりできれば、そちらの方がむしろ社会生活はうまくいくのか、と光が見えた気がした。 ローティは、のちの著書『偶然性・アイロニー・連帯』(1989年)において、自らの価値観を絶対視せず常に疑いを持つ「アイロニスト」でありながら、公的には他者への残酷さを避ける「リベラル」であり続けるという「リベラル・アイロニスト」の生き方を提唱した。 さらに興味深いこととして、彼が1998年に発表した政治評論『国を形づくること(Achieving Our Country)』で残した驚きの予言的洞察がある。 同書の中でローティは、アメリカの左派(アカデミズムやリベラル層)が文化的なアイデンティティ・ポリティクス(セクシュアリティや人種などの権利運動)に過度倾斜し、労働者階級の直面する経済的格差や生活の困窮を軽視し続けることへ強い警鐘を鳴らした。 このまま格差が放置されれば、見捨てられたと感じた労働者層の不満と怒りが爆発し、やがて彼らの欲望を代弁する「強いポピュリスト(強権的な政治指導者)」を自ら選び出すだろう、と予測したのである。 この記述は、2010年代半ばにドナルド・トランプが台頭し大統領に選出された政治状況を、20年も前に見事と言える精度で言い当てた「予言」として、近年世界中で大きな再評価を受けることとなった。 分析哲学の象徴的な座を捨て、社会や政治の実践(プラグマティズム)へと目を向け続けたローティだからこそ到達できた視座であったと言える。 「自分の本音や価値観が絶対的に正しいわけではない」というアイロニカルで冷めた自覚を持ちながらも、公の場においては「他者を不当に傷つけず、会話を中断しない」という実践を粘り強く守り続けること。それが本心かどうかはこの差異関係ない。 関係性とコンテクストの問題なのだ。どんな観念を抱えていようが、振る舞いで隠して生きること、それはアイロニカルに可能なのだ、そう言われると救われる気もする。 SNSなどで「自分の正しさ(私的な本音)」を公的な正義として振りかざし、他者を敵に回して攻撃し合う過熱した現代社会において、ローティが提示した「私的/公的の切断」というロジックは、不当に内面を曝露されずに正気を保ち、バラバラな者同士がしなやかに共に生きていくための極めて強力で実践的な思考の作法なのではないかと感じた。 そういう考え方を教えてくれる面白い一冊でした。

1129_ymoi@1129_ymoi2026年9月25日読み終わったとても良かった。 はじめはなんだかなぁ。言ってることはわからなくないけど、本当にそうなのか?と思っていたけど、終盤にかけてそういう建て付けならわかるかも。とどんどん解像度が上がっていった。 その一方で、リベラリズムが目指すべき、残酷さの回避と開かれ、修正可能な会話のあり方みたいなものは、いまの日本の中ではほとんど無力に思える。 政治に関して、少なくともSNSを見る限り、自分の投票行動や"推し活"が、いかにスマートに見えるか、勝ち馬に乗っているか、正しき者に追従しているかを競うゲームの体をなしていて、政治的議論がなされているようには思えない。無秩序な情報の煙幕と乱雑なラベリングによって、左右どういう立場であっても、攻撃の応酬に終始し、開かれた会話は難しくなっている。 投票をはじめとする政治への関与は、多数派であることも少数派であることも関係がないし、唯一の正しい結論という幻想を盲信することでもない。民主主義の本質はプロセスであり、多数決は妥協案の一つでしかない。 私は承服しないが、数字というものにあくまでこだわり続けるのであれば、拮抗した選挙結果は、反対者が最大値になるということでもある。そのことについて深く留意すべきだなと。 結局のところ、本書での残酷さの回避や緩やかな連帯の構想を実践し続けても、相手が「論破した」ように見せることや会話の断絶、そして排除を目的としているのであれば、ただ私たちは殴られ、汚名を着させられ、排除されていくだけではないか?と思ったり。




Sanae@sanaemizushima2026年9月25日読み終わったリチャード・ローティ研究の著者による本。 「ことば」とその使い方について考えることは、政治について考えることであり、社会について考えること(p8) 中身の議論がほとんどないまま”日本人ファースト“で世間が二分されたのは記憶に新しい。ひとりひとり思いを聞いていくと、案外向こうにいると思っていた人が近かったり、近いと思った人が遠かったりして、パックリ二分というわけでもなかった。対話も大事だけど、ゴールのない会話もすごく大事だよなぁと思った。 なんでも簡単にレッテルを貼る速度がスマホを使うようになって異常に加速した感じがある。 ルワンダでのジェノサイドを例にとり、ツチの人びとをゴキブリやヘビと呼ぶことで、徐々に罪の意識なく虐殺という最悪の事態を招いた当時の状況を示していた。ことばづかいは大事なんだと改めて考える。 連帯は「発見される」のではなく、「小さき断片」を手掛かりに「構築され」ると著者はローティから引いている。 「連帯」とは、小さな共感や一人ひとり個別の人間に対しての同情やシンパシーといったものを手がかりにつくっていかざるをえないもの、と著者はいう。(p104) 連帯を改めて考えたとき、大事にしていこうと思った考えだった。小さな断片をつなげていきたい。 「リベラル」であるとは、そうした道を一歩一歩たしかめながら歩もうとすることです。その道を行く以上、絶対的な<正しさ>を我がものとして他者を裁くことはできません。むしろ自身や「われわれ」に向けられる、心地よいばかりではない反省とことばづかいの改訂をしていかなければなりません。(p199) ハッとするところだった。時折見返して忘れないようにしよう。 ローティのこのテーマについてもっと知りたかったらこの本で、いうガイド付きだったので、初めて読むのに良い。他の著書も読んでみたいな。









1129_ymoi@1129_ymoi2026年9月24日読んでる日本には海外の炭鉱労働者や成長産業からの失業者、阻害された白人男性みたいな、周縁化され不満の高まった大きな労働者集団のまとまりみたいなのが見えづらい。一次産業なんかもどちらかと言えば与党支持者が多かったりする。 その上で、最終帰属先が日本国とか漠然としたものになっているような気もしていて、アイデンティティ政治にピンと来ないのかなと思ったり。 そうなるとローティのバラバラなままでまとまる、緩やかな連帯みたいなのは、あらゆる差異が無視されたまま、大きな、日本国民というアイデンティティに収斂されてしてしまって、難しいのかなと。 もっと偶然性の帰結としてのヒエラルキーやアイデンティティを意識すること、バラバラであることの自覚がないと、バラバラなままでの連帯は難しそうかなと。 なので、リベラルが弱くなったという世界的現象とは何か違う働きがあるんじゃないかと。エリートやグローバリストみたいな人が与党にもその支持者にも沢山いるし、労働者もマイノリティもいて、わかりやすい特定の集団との対話の可能性が掴みにくいのかと。 だからこそ、リベラルの目指す道筋が日本ではより見えにくく、ここまで衰退してきてしまったのだと。 (追記) たとえば、実際に自分がなにか職場から理不尽な扱いを受けて初めて、自分が「労働者」でしかないことを発見したり、制度上の恩恵から外れてから初めてひとりの「市民」でしかないと発見するような。そんなある種のすれ違いのようなものが、日本には存在している気がする。 本書での立場は、あくまで統一的真理としての「正義」やリベラリズムを目指すのでなく、共通の解があるわけでなく、消極的に残酷さを回避する、その場を共有し維持するという方向性だと思うが、そのためには大括弧の「日本国民」みたいなものから、それぞれ個別の経歴を持つ人間であるところまで認識を変えなくてはならないと思った。
- 本を食べない山羊@goat1234562026年9月24日読み終わった私たち人間や社会は受肉したボキャブラリーである」「できる限り残酷さを社会から減らしていく<残酷の最小化>」」多様性を語る言葉として「人権」を絶対視すると、「あいつらは俺たちと同じ人間じゃないから侵害してよい」という風になりえるので、基本的な価値観やアイデンティティをともにしない他者同士が「人権を守る」ではなく「残酷さを減らす」ことでバラバラな状態で共に生きる、というローティの論に納得した。残酷さ」への想像力をはぐくむために文学やジャーナリズムが有用、という話にはわくわくした。そうですよね……! 内容がよいのはもちろん、表紙が可愛いので一生手放さない。

uni@uni_books2026年9月21日読み終わった公私をわける、人権という本質を基盤にせず残酷さを減らすという目標のために連帯する、会話を終わらせない。 バラバラなまま、「われわれ」/「やつら」と線を引かずにわれわれを拡張する。そのためには哲学ではなく、文学やルポルタージュなどから共感を深める。 対立構造にあるように見える主張は、どちらであってもモヤモヤしてしまう。たたかい/勝つ、などのことばづかいに違和感を覚える。それは少しはマシかもしれないと思っている政党の人たちの言葉に対しても同じで、なんともいえない感覚を持て余していたので、言語化の手伝いをしてくれたように思えた。 勧善懲悪のお話が大人になってスカッとしなくなった。見ることはあるけど、登場人物みんなのことを想像する癖がついた。でも当たり前に見過ごしているものごとはたくさんあって、無知を知らされるたびに恥ずかしくなる。それを繰り返すのは悪いことじゃないんだと勇気をもらえた。 一人分の力。どういうことばを使うか考えること。実際にことばをつかうこと、背景を調べて知ること。わたしができることを、ひとつずつ、実践して、間違っていたら修正して、ひとつずつ。


ねぎ@spice16g2026年9月19日読み終わったとてもおもしろかった。すべてを理解できたわけではないし、もやもやのすべてが晴れたわけではないけど、分断された世の中がしんどく感じられるときに繰り返し読みたい本だと思った。いくばくかの勇気をもらった。

Matilde@i_griega_20252026年9月19日読み終わった結局、会話を続けていくしかない、ということなんだな。 なんとなく、仏教哲学でいうところの「三句の法門」に通ずるところがあるかなとも思った。 私の理解度がまだまだなので、しばらくしたら読み返したい。
- planetoshi@planetoshi2026年9月15日読み終わったリチャード・ローティの哲学を紐解いてくれる本書。バラバラな世界でバラバラな人が共に生きるために重要なことを教えてくれる。これまで触れた本などを通して作り上げた散在した仮定がいくつか結びつくような感覚で、共感する内容だった。実践するのは難しいが、大事に携えて前に進んで行きたい。


モルモ@mol_mo2026年9月15日読み終わった会話を終わらせないようにする、凄く大事だと感じたけど、自分も含め皆そこまで強くなれるのかなとどうしてもネガティブな方に考えてしまう……。 でも個人としてはやっぱり努力していくべきで、その勇気を貰える本。 ポップな表紙とは裏腹にかなり歯応えがある内容でした!

t-e-t@mitsu_06302026年9月12日読み終わった最近はどのような視点でもネガティブなことばになっている「リベラル」について、改めて考える機会をくれた本でした。「正しさ」と「善」、本来押し付けるものではないものがSNS社会を通して一方的な発信される。「あんな人たち」ということばを浴びせられた側も「あんな人たち」で応答してしまう現代の中で、本当の「リベラル」とは自身の見えるところから良くしていくことができる、それを諦めない態度だと理解。


amy@note_15812026年9月5日読み終わった感想政治系リベラルやっぱり哲学って難しい。筆者は噛み砕いてくれたけれど、それでも途中むむむ…となるところがあった 私はやっぱり分断されている状況がもどかしく、どうすればいいんだろうと考えていたのだけれど、ローティ哲学に少し興味がわいてきた。 ”「正しさ」とうまくつきあっていくためにも「正しくなさ」にも目を向ける必要がある”というのは、いまの私にとてもしっくりときた。 また左派が承認の政治を求めたことでマジョリティが剥奪感をいだいしまうメカニズムにも触れながら、会話をしていくことを諦めない内容に勇気をもらえた


黒髪@love2026年9月2日@ 曹洞宗 白瀧山祥巌寺6章。互恵性の話が出てきて驚いた。党派を超越して遠く離れた誰かの生活の苦しさや喜びと自分の生活を比べて、貰いすぎている/負担を強いられているなんて感じることができるか?移民が得しまくっているという言説で溢れているじゃないか
胡乱@Oolong_tea92026年9月2日読み終わったローティさんの哲学、とても好きな考え方でした。 最近特に、相手方の事情や背景を鑑みずに「私たちこそ正しい!私たちの意見に賛同できない人は〇〇(日本人だったりアメリカ人だったり人間だったり様々)ではない!」というような論調がすごく嫌だなと思っていたところ。 読み始めて、「偶然性・アイロニー・連帯」の話だったのか!と驚いた。 100分de名著のコーナーで見かけて頭の片隅に残っていた本に、こんな形で出会うとは。 当時は「どういうこと?」とあまりピンと来ずスルーしていたのだが、本書を読み終えた今、「偶然性・アイロニー・連帯」が何を表しているのか、それがなぜ「共に生きること」に繋がるのかを、なんとなく理解できた。 「ことば」に関する部分では、私の大好きな「虐殺器官」の話も例に挙げられていたのも嬉しかった。 ルワンダの虐殺に関しては、ツチ族・フツ族という区分を作ったことがその引鉄になったことは知っていたけど、それに引き続く簡単な言い換えは意外と単純なもので、それだけで残虐な行為のハードルを下げてしまえるというのが恐ろしい。 言葉が人の考え方を必ずしも正しく表すものとは思わないが、繰り返し使い続けるとその考え方が内面化され、言葉に引きずられるような形で自分の価値観も自覚なく変わってしまうということは、これまでも確かにあったかもしれない。 「常識を疑え」という言葉があるけども、「これは当たり前」「これはこういうものだから」で片付けていた物事を、定期的に考え直してみることが、分断解消への一つの道なのかもしれないな。 結局のところ、「私たちは皆違う」ということを理解した上で他者への共感と思いやりを持ち、自分が「よい」と思うことをその都度選び取っていくしかないのだろうなと思う。


余白@Akane2block2026年9月2日読み終わった「ことばづかい」が人を殺し得る、という箇所が印象的だった。 また、クラブとバザールの話で、1人の人の中で一見矛盾している発言や態度は共存しうるし、そうあるべきだ(だいぶ意訳、私の解釈)というのはとても納得できたし、自分のこととして落とし込めた。 終盤のトランプ政権からの政治的な話は、知識が足りず難しかったので、いつか読み返したい。 最後に、著者から次に読む本をお薦めしてくれたのも良い本だった。




黒髪@love2026年9月2日読み終わった@ 曹洞宗 白瀧山祥巌寺読了 ・普遍への幻想が打ち砕かれた時代にどう共生していくのかという議論の本はよく読むが、いずれも「高尚すぎる」と感じてしまうのはなぜだろうか… ・会話が“できない”と嘆いている前で会話でバランス感覚を掴む話をしないで欲しい。ローティにとって「会話」はきっと広義であって、私たちの一挙手一投足が「会話」のポテンシャルを持っているのだろう。だが、例えば、朝家を出て車で職場に向かい男だらけの工場で働き車で家に帰る間のどこに、終末の語彙を訂正しうるだけの質量を持った「会話」が介在しうるのだろう。 ・私たちには「クラブ」が壊滅した時代に生きているし、もはや「クラブ」をつくったり加えてもらうリソースすら乏しくなってきている。(読書クラブすら高額なものが多い) ・哲学が重要ではないのなら、哲学への批判もまた重要ではないのかもしれない。

黒髪@love2026年8月30日シンパシーについて連帯について本質主義への批判@ 白滝3章まで読了。虐殺の言語学があまりに移民排斥をする某政党のようで背筋が凍る。しかし物語的解釈と、リベラル・アイロニストの文化的な解釈の間にはリソース効率性の非対称性がある。

つなかん@minanim2026年8月27日読み終わった偶然性 終極の語彙 バザールとクラブ 人間や社会は受肉したボキャブラリー ことばによる「非-人間化」 小説、エスノグラフィの力 加害者たりうることへの感情教育 自覚していないたくさんの<正しさ>
kiyo@soccerlove2026年8月26日読み終わった自身のモヤモヤを解消したくて手に取った本。 結果解消には至らなかったが、 自身が互恵性を強く意識してコミュニケーションをとっている可能性に気づいたと思う。 また、ローティが言うところの「会話」の持つ意味を言語的に理解するところから「自分とはちがうひとが、同じ生身の身体をもってそこにいる」という事実を、そして自分自身も他者にとってそのような存在であるという点は認識していきたい。 「会話」をあえて軽視してしまっている気がするんだよなぁ。 「ことば」遣いを意識したところで、テキストベースのコミュニケーションにはやっぱり限界があるんだろうか。
黒髪@love2026年8月24日@ 旭岳温泉 湯元 湧駒荘露天風呂で1章を読了。ローティー唱える。「アイロニー」というコンセプトについて、個人的には高尚すぎるもののように感じた。たしかにバラバラなままで共生するには”アイロニー”は必要であると思う。だがしかし、そういった共生にリソースを割く余裕がなくなったから現代のようなバックラッシュが起こっているのでは無いだろうか。

るり@utatanest2026年8月22日読み終わった対蹠人の思考実験の話が面白かった。 相容れない二つの主張について、それぞれの主張をする者が、相対するものについてわからなかったとしても、自分たちの言葉で言い換えはできて、そこについてのコミュニケーションをとることができるかも、というのはとても救い。これって対蹠人じゃなくて地球人同士でもある話だよな。 分からないけど、共にあるとかわからないままそこに置いておく、みたいなことって無理そうに見えたり、実際難しいことも多いけど、丁寧に目の前のもの/ひとに向き合い続けることで、少しずつ進んでいくのかなと思う。どういう「ことば」を使うか、心ではなく、私たちが発するものについて、考えていかないといけない。




ゆう@yu_05152026年8月20日読み終わった「リベラル」であるために最も重要なことは、知的な作法を身につけることではなく、目の前にいる自分とは違う人が同じ生身の身体をもってそこにいるという平凡だけど当たり前の事実と向き合うことなのではないか…てとても開かれた考え方で好き。面白かった[照れる]いくら御託を並べても現実は綺麗事ではまとめられないしその綺麗事でどうにもならないから争いが生まれること、みなに共通するような正解はなくて会話し続けることに意味があるということ。答えはないってスッキリしないかもしれないけど私はとても腑に落ちた。 ジェノサイドで市民が殺人を犯す仕組みについても書かれていて、恐ろしかった。人は簡単に自分自身を騙して人を人とも思わず殺すんだ。



かも@magazinebook2026年8月17日読み終わった世界でも国内でもそれぞれが正しさを主張しながら衝突する時代に、心に留めておくべき考え方を学べた一冊でした。 絶対的な正しさの探求以外の道を会話という手段で模索し続けるローティの姿勢は、特定の宗教を持たない日本人の多くの人からも共感を得やすそうと感じました。 絶対的な正しさのもとで、やるべきことをブレイクダウンしながら進めていく方が誰かのせいにもできるし楽ではあるが、この国は過去にそれで大きな過ちを犯しているので、もっとたくさんの人がローティの考え方に触れて、一人ひとりが自分の頭で考え続け、周りの人々と会話して、自分の考えをアップデートし続けることのできるレジリエンスを持てるようになったらいいな、自分もそうありたいな、と思いました。ひとまずは諦めずに会話をし続けます。

ましろ@mochimochi_4122026年8月17日読み終わった後半の哲学の歴史的なところは 知識がなくて読みづらかったけど 全体的には知識が浅くてもわかりやすく とても読みやすい本だった 帯の「わかりあえない他者を敵にしないために。」という文言に惹かれ購入 もう辞める職場で 他者にとって敵になってしまい わたしにとってはわかりあえない人になってしまい 分断してしまった それ故、最近はこの手の本が気になる わかりあえないとき それでもそこにいる人と どうやっていけばいいのか やっぱりひとつの正解なんかなくて それでもやっていくしかない ということにはなるのだけど 話を聞く聞かれる 会話をする そういうことを積み重ねていくしかない 諦めて不貞腐れて絶望したって 生活も人生も続くから
- ピンチョス@Opintyo55662026年8月15日読み終わったすべて理解しきれた訳ではない(しきれる訳がない)が、おもしろかった。 例えば職場でよく使われる単語があって、伝わりやすいから無自覚に自分もよく使うことがあるが、そういう言葉遣い一つ一つに慎重にありたいなあと思った。 誰かの思想を「内側から」考える、というのは私が怠けている姿勢だと思った。「この人はこういう経歴で〜」みたいなとこを読み飛ばして、主張の内容だけ、文字面だけ摂取しようとしがちなので、自戒になった。
とめ@m_ake2026年8月13日読み終わった面白かった。 「ロリータ」で描かれる「カスビームの床屋」の話など、めっちゃ興味深くて「ロリータ」読みたくなった。 道すがらで出会った、たった一人に対して、どのくらい大事に思えるか。この辺り、ドラマ「銀河の一票」のザネリのことを思い出した。



読む蔵@mah1_k2026年8月12日読み終わった読み終わった!最近もやもやしていたことが晴れていく気持ちで読んで、とてもおもしろかった。マーカー引きながら2周目したい。 昔のツイッターは間違いなくクラブだったけど、今はバザールになってしまったよなぁと思った。 わたしは自分を比較的常識的な人間だと思っていたけど、「常識」も「普通」もたまたま偶然わたしがその環境で育っただけという認識を持てるかどうかは大きいと思った。 つい、特定の正しい言葉があると考えてしまいがちだし、相手を正そうとして、わたしたちはSNSで殴り合おうとしてしまう。 そこからどうやって会話を続けていくのか。インターネットって、悩むことが多いけど… p47より引用 ″私たちが使うことばも私たちのありようも偶然の産物なのだと言われると、どうにも心もとない感じがしてくるのもまた事実です。しかしローティが言うように、そうした確かさへの執着をほうきすることで、私たちはことばを使ってより自由に自己創造ができるというポジティブな面が開かれる。″
ゆえ丸@yue_0522026年8月12日読み終わったバザールとクラブ…公共の場と私的な場 建前と本音とはよく言いますが、いや、建前大事ですよね。うん。 公私を一貫せねばみたいに思ってた時期もありました! いやいや、無理だし、建前は必要だ。 転職活動なんてそうじゃないか。 上司が嫌だ、仕事つまらない、給料もっと欲しい そんな本音ぶつけてもどこもとってくれないし、 本音を職場にそのままぶつけたところでヤバいやつと思われて終わりである。 建前は必要だ。 また空間をただ共有できるだけでも良いと思うよ。 やたらめったら喧嘩売ってたらそれこそヤバいやつである。 われわれを拡張する これ大事と思う! 某インフルエンサーがたまに自分の正しさについて論じている事があるんだけど、 おそらく本人は相手の事情だの考えている事など無視してるんだよね。 自分は正しい、相手は間違っている 私もあったよ。そう言う時期がさ。 でも正しさは人によって違う。 あと世間一般の正しさと自分の正しさはイコールであるとは限らない。 何とかバラバラでもやっていくために、法だの道徳だのがあるのだ。 周りは居心地いい人だけでいいとそのインフルエンサーは言っていたが、それ宗教だからー! 俗世では無理だからー! 宗教内で色々解決できればいいんだろうけど、そんなの無理くさくない!? HSPとかそう言う問題ちがうよ、ただの想像力の欠如だよ。 とはいえ、難しい問題もあるとは思う。 それでもお互いどうにかこうにかやっていく、妥協点を探していく、分かり合える部分、分かり合えない部分をみつける、そうしあって生きていくしかないのだと思う。 ちゃんと理解してないこともあるので、またパラパラと読もう。




為田裕行@tamehiro2026年8月11日読み終わったブログに書いたNHK「100分de名著」でローティの「偶然性・アイロニー・連帯」をはじめて朱さんの解説で知って以来、ずっとリチャード・ローティが気になっています。タイトルの「バラバラな世界で共に生きる」もとてもいいですが、3部構成のそれぞれのタイトル「Ⅰ バラバラな私たちを理解する」「Ⅱ バラバラな世界を直視する」「Ⅲ バラバラなまま共に生きる」もめちゃいいです。「ことばづかい」とか「バザールとクラブ」とか、最近気になっているキーワードの多くは、朱さんの言葉で伝えられているローティの考え方だったりします。

カノ@kanotetsuya2026年8月11日読み終わった選挙でモヤモヤしたときに読みなおしたい本となりました。/「バラバラな世界で共に生きる」読了後、自分にできることをしてみる。|狩野哲也 #読書感想文 https://note.com/kanotetsuya/n/ne5578099f6a6
海亀@umigame2026年8月7日「わかりあえない他者を、敵にしないために」「〈正しさ〉で殴り合う世の中で、『会話』の可能性を問いなおす」という帯のコピーに、大いに期待してこの本を購入した。しかし、本の内容が期待を超えてくることはなかった。「リベラル」とは残酷さを遠ざける立場、というようなことが書いてあった。私自身はリベラルかどうかはわからないが、「反暴力」「反戦争」だなと、勝手に納得した。
らこ@rakosuki2026年8月7日読み終わったタイトルとかわいい装丁に惹かれて購入したが、これは本当に本当に読んで良かった!今こそ読むべき、知るべき内容だった。目から鱗だった。付箋がビッシリになってしまった。 ローティの哲学を知らなかった私には難しい部分もあったが、ローティの引用だけでは複雑な箇所を著者がかなり噛み砕いてわかりやすく説明している。 以下、備忘録 ・私たちはことばを使うことによって自己を創造している ・会話を継続させること自体に意味がある ・ことば使いをケアすることによって会話を続ける=文化政治 ・バザールとクラブ →正しい建前と正しくないかもしれない本音は共存してよい ・リベラルとは、「残酷さを減らすこと」 ・残酷さへの感性を磨き、共感を育む →フィクション、エスノグラフィ、ジャーナリズムの可能性 ・絶対的な〈正しさ〉をわがものとして他者を裁くことはできない、複数の〈正しさ〉が共存できる社会を目指す この分断された社会でどのような心持ちで生きていけばよいか、大きなヒントをもらえた。 「NHK100分de名著」のテキストも読んでもう少し理解を深めたい。









山田ねこ@yamada_neko2026年8月3日読み終わった「バラバラな私たちは、だからこそお互いが必要で、そしてそのためにはそれぞれに異なる(正しさ)を踏まえて、それでもいっしょにやっていけるような仕組みと、そして個々人として都度のふるまいを考えていかなければなりません。それは、どこまでも終わることのない営為です。」(引用) 分かり合えなくても(分かり合う必要はなく)ただ隣にバラバラの心と体を持つ人がいて、バラバラのまま共に生きていくことを考えていけば、争いはなくなるのかもしれない。それぞれの途方もない努力が必要。


てぃ@bookt2026年7月31日読んでる今で半分ぐらい。 非人間化の内容、なかなか興味深かった。 関東大震災の時に、朝鮮人や中国人虐殺してたのは知らんかったな。 子供のいじめとかそーやけど、お前ウンコや!とかってレッテルを貼ること多いけど、偶然ウンコつけられて水かけられたりドブに投げられるんかな。 これが、お前アリンコやな!ってレッテル貼られてたら、アリやから無視されてるで済むやろーから、レッテルの偶然性もありそう、、




だっしー@chik_4482026年7月30日読み終わったむずかしかった! 一つにはローティの独特の「ことばづかい」に馴染めず、こういう意味かなと自分なりに解釈した読みが正しいのか心もとない。 もう一つ、「会話を止めない」を具体的にどう実践したらいいのか、考えるとなんだかあやふやになってしまう。 ただ、著者がローティの哲学を追究する真摯な姿勢に感銘を受けた。それによって自分が少しでも「拡張」されているといいのだが。

汐見@siomi2509272026年7月30日読み終わったリチャード・ローティという哲学者の思想を解説しながら、「リベラル」のあり方を問い直し、他者や公共との関わり方の前向きな可能性が提示される。 私たちは本質的なことを持たない偶然に満ちた存在であるという考え方。みんなバラバラなことを理解し、バラバラなままで「連帯」を目指すこと。 「人間や社会は具体的な姿形をとったボキャブラリーである」というのも興味深かった。ことばの持つ力や誘導性は悪用もされ得る。公の場で恣意的に使われる言葉、無意識に人々が口にするようになってきた言葉、など社会のことばの変化にもできるだけ敏感でありたいと思った。






せねしお@Senecio_5112026年7月27日読み終わった本の主題へと至るまでの道筋の中だけでも、印象的な話がいくつもあった。 ・ローティによる従来の哲学の否定と再定義 ・「心」はデカルト以降の発明品 ・「偶然性」によって生まれてきたと言える歴史と哲学 ・「偶然性」から生じる「連帯」の契機 ・ナボコフの『ロリータ』で描かれる「無関心という残酷さ」 ・アイデンティティ・ポリティクスは「会話」を終わらせる 終盤のアメリカ政治の話は難解だったけれども、上に挙げたどの話題も自分にとって示唆に富んだ良い本だった。- 328@millefeuille_3282026年7月22日読み終わった投票は限られた選択肢のなかから選ぶ(或いはいずれも選ばない)ことしかできず、信任投票のように、場合によっては「はい」か「いいえ」しか言えないのだけど、たいていの意見はそれぞれの間とか、まったくの範疇外にあるのがほとんどで、私たち社会動物は常に妥協を強いられる。 とはいえこの妥協ってやつは、英語では「com(ともに)-promise(約束する)」と言うように思い遣りなのでこれは良い。 危ないのはややもすると妥協の意見があたかもどんぴしゃりであるかのように、はっきりと、コントラスト強めに分類されてしまうことだ。 真理を目指す哲学は会話を終わらせようとする姿勢で分断の温床になり得る。妥協的なグレーを白黒のどちらかに引き込むかのような引力を生む。 ジョナサン・ハイトのモラルの5分類 1.危険 2.公正さ 3.グループ性 4.権威 5.純粋さ において、1,2は左右どちらも意識高いが、3以降は右に偏る。論点になるあとの3つを見れば、共同体の維持においては宗教の果たす恩恵と同じだけの危うさは容易に想像されるな、なんて記憶も掘り起こしつつ。 先日空海の展示を観たばかりなのも手伝って、仏教の中道、つまり、二辺の左右どちらかをとらないばかりか、まんなかすら拒否し、ただこの二辺から離れる。言語で真理には至れない。これも思い出していました。 仏教の思想は実社会と照らし合わせると身も蓋もねえ! って話に陥りがちなのだけど、実際本音にちかい、どっちつかずな意見はどうしてもごにょごにょした物言いになってしまうから説得力がなくて弱いのだよね。 結論を目指すコミュニケーションではとくに弱体化してしまう。 すこし前に手話の会に参加しまして、聾唖の方たちとアクティビティを通じてお話してきました。 いやあ、まあ、表現力がはるかに豊かで仰天したのですよ。 私が「13日の金曜日」を伝えたくて下手な身振り手振りをしていたら、司会の方がものすごく上手なジェスチャーでジェイソンを演るわけです。歩き方とか、手に武器をもつ仕草、動きのテンポ感とか、観察力が段違いで、自分が普段からいかにものを見れていないかをまざまざと痛感。 相手がなにを伝えたいのか、そして汲み取ろうとしてくれているのか、言語に頼りきりにならないがゆえに生じるその献身的な姿勢には朱さんの説く「会話(conversation)」の少なくとも一端が表れていたように思う。 「──ただテキストを読んだり、ことばの取り扱い方や話し方を洗練させるような、“知的な”作法を身につけることではなく、そもそも目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体をもってそこにいるという、その平凡で当たり前の事実とちゃんとつきあっていくことなのでしょう。(p.194)」 自分と他人はちがう、という強烈な実感を得ざるを得なかった人たちが、それでも手を取り合う選択をしてここに居る。かっこよかったなあ。 4章までは正直、ローティの解説書でしかなく、著者が出てこない、ほとんど翻訳と大差がない新書だなあと微妙な気持ちで読んでいたのだけど、巻末で『100分de名著』のテキスト改稿と明かされて納得(イベントでも言及してたのに忘れてたね!)。 でも、と気づいたのは、これ明かされたからといって書籍の内容にはなんら変わりはないということ。 つまり、6章仕立てのうち4章分という大半が解説に費やされていて新書としては物足りない事実はそのままなんですよ。 それでも納得できてしまった。その感情自体に、人は捉え方の些細で相対しているものへの拒否感を克服できるというポジティヴな実感を得られた。


よろこびイサンディ@yorocobi_isandy2026年7月19日読み終わった本書を語る有識者が揃って「バザールとクラブ」への言及をするのは、おそらく社会学用語としての「サードプレイス」という人口に膾炙した概念があって、それで理解の素地が均されていたからなのだろう。 「サードプレイス」で慣れ親しんだ構造を「バザールとクラブ」へと微調整し、置き換えた。 本書にて、「サードプレイス」への言及こそなかったが、推して知ることができるし、だからといって、別にその一連が悪い訳でもない。 昨年末、下村寅太郎がライプニッツについて著した本を読了した際、犯した過ちを忘れている訳ではない。 20世紀後半のアメリカを舞台に活躍したローティの、その著作に当たるより前に、哲学的な流れをなぞる必要を、僕はまだ覚えている。 ただ、こうも魅力的に哲学者を表現されると、一足飛びにローティの著作に当たっている未来も想像に難くない。 そして、撃沈して、僕は哲学史の復習に戻ってくるのだ。 ローティについての本書を手に取ったのは、先んじて読了していた鼎談本の話者の一角としての朱氏の著作だったからであって、哲学への好奇心が引導した結果、という訳ではない、という、あて所に尋ね当たらない、退屈な言い訳をして、筆を置くことにする。
静と動@Kaz20252026年7月19日読み終わったまた読みたい学び!哲学分野の本にカテゴライズされるのでしょうが、読みやすく、理解しやすい本です。分断と対立が世の中のデフォルトとなる中、正しい建前と正しくないかもしれない本音の使い分け、我々と奴らの定義を考える…、等等考えたことがないテーマをリチャード・ローテという哲学者の著作から読み解いた本。もう一度読んで、自分なりの考えまとめてみよ😙
上田 エリカ@erika-coordinator2026年7月19日読みたいPage Turnersで三宅さんがオススメされていた本。 三宅さんは、著者とご友人。 竹下さんがCROSS DIGでインタビューされてる。
よろこびイサンディ@yorocobi_isandy2026年7月17日読んでるこの前の5月に出版されたばかりの新書である。 20代の頃はよく読んでいたが、随分と久しぶりにNHK出版新書を手に取るのではないか。 先だって、読了を迎えたネガティブ・ケイパビリティについての鼎談本における話者のひとりである朱氏が著した本書は、氏の専門であるローティについての入門書である。 文章自体は至極、読みやすい。 著者自身も読みやすいように腐心しているのではないか、と思う。 ただ、漫然と読んでいると、頭に入ってこない瞬間があるのは、おそらくローティの醸した哲学の難解さ故なのかもしれない。 僕はローティの本を読了したことがなく、本書でも丁寧に取り上げられている『偶然性・アイロニー・連帯』という本の、その独特なる書名を知っているばかりである。 正直に言えば、『正義論』を著したロールズと本書のローティを混ざって認識していたくらいだ。 20世紀後半に活躍した哲学者とあって、理解するための下地が隔絶している訳ではない。 200ページを僅かに超えるくらいの本書である。 今月中に読了を迎えられるといい。


犬@misato_log2026年7月15日読み終わったずいぶん前に読み終わったのだけど私には難しくてなかなか感想を書くことができなかった。表紙は可愛いけどぜんぜん新書だった。でもこの表紙じゃなかったらきっと手に取ることはなかったから出会えてよかった。 印象的だったのは、私たち自身と私たちが営む社会を考えるためには「ことばづかい」こそが大切である。という主張。言葉によって人びとは区別され、それが分断に繋がっていく…というのは個人の体験としても“わかる”なぁ〜といった感じ。 自分が所属していない組織と敵視してしまうことって大なり小なりあるもんな。 また、リベラルとは「残酷さこそが私たちがなしうる最悪のことだと考え、それを避けることを求める思想」と書いてあり目から鱗だった。普遍的なルールをみんなで守っていくことではなく、バラバラな価値観を持つなかで、お互いにとって「残酷」であることを避けようとする考え。腑に落ちた。 「自分がされて嫌なことは相手にもするな(相手も然り)」という教育を受けてきたし、未だにそのような思考になるけど、自分がされて嫌なこと=相手が嫌なこととは限らないよな〜と思っていた。だから、自分がされて嫌なことではなくて、目の前の相手は何を嫌がるのか。それをしないためには何ができるかという考えを持っておく必要があると感じた。 とはいえまだまだ全然理解が追いついておらず、多分3割も理解できていないと思うので、定期的に読み返して理解できる範囲をすこしずつ広げていきたい本でした。

木村久佳@kuCCakimura2026年7月15日買った@ 青山ブックセンター昨日は青山ブックセンターで開催された永井玲衣さん&朱喜哲さんのトークイベントに参加しました。 めちゃくちゃおもしろかったんですが特に、朱さんによるローティの考え方の説明が目から鱗というか、特権とは本当に、意識していないと自分がそれを持っていることに気づけないなと再認識させられました。 「ローティは、聞こえてきた声や言葉を評価する我々マジョリティのことを批判的に見ている。わかるように言ってとか、当事者が言ってくれないとわからないとか、当事者をそこに押し込めようとしていること自体が問題である。 我々はマジョリティでしかなく、相手が発した言葉が意味として通じるか、一方的に判断する側であることを認識することから始めなければならない。」 私たち個人はもともと統一された自我もなく、「私」もまたバラバラなのだという朱さんのお話もなるほどに溢れてました。本も読みつつ、イベントのお話ももう一度噛み締めたいです。


- こだぬき@tanugetti2026年7月12日読み終わった「公正(フェアネス)を乗りこなす」を以前読んで、とても面白かったので「バラバラな世界で共に生きる」も読みました。 前者を読んでいなかったら、理解がより難しかったかなと思います。本書を読む上での補助線になりました。それでも理解できないというか、つかめない箇所もあり、むしろ「公正(フェアネス)を乗りこなす」で分かったような気になった「正しさ」が、本書でまた掌から零れ落ちていくような感覚がありました。わざとそうなっているのかもしれない??
kay@hanauri2026年7月11日読み終わったリチャード・ローティの哲学を、比喩を用いながらわかりやすく説明している。読みやすい本だったが、わたしは正直なところ中々考えがまとまらないでいる。本書における「「われわれ」は拡張できる」という点は、宇野および岩渕の著作にも通じるところがあった、と、思う。わたしたちは「同じ人間」だから連帯できるのではなく、他者に思いを馳せ、小さな手掛かりから「われわれ」という範疇を広げ、それによって連帯するしかない。わかりあえないとしても、「会話」を打ち止めない。本書で特徴的なのはこの「会話」という考え方だろう。 対話でも議論でもなく、見果てぬゴールや、目指すべき正しさ、共通の目的などは持たず、相手のことばづかい(ことばづかいも本書において大変重要な点だが)を知ろうとする姿勢を持ち続ける、つまり「会話」をやめずにいることが肝要であるという。「(前略)そもそも目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体をもってそこにいるという、その平凡で当たり前の事実とちゃんとつきあっていくことなのでしょう。そして、それはきっと、私たちの誰もが失敗を重ねながら、日々磨いているはずのことなのです。」(p.194)、この文章にはすごく胸がキュッとなった。 著者はこういう意味では書いていないのだと思うけれども、もしかしたらわたしたちはそもそも、そもそもである、相手をわかろうとする生活における会話自体が、かつてよりずっと少なくなっている部分があるのではないだろうか。核家族化が進み、少子化が進み、地域から人は消え、子どもも大人もみんなが忙しく、格差が広がり、コロナ禍で生活が分断され、かつて挨拶ひとつくらいのコミュニケーションでつながっていたはずのSNSですら以前のようなのんびりしたやりとりはほとんどなくなっている。わたしたちには、お互いをわかりあうための場自体が、なんだか減っているような気がするのだ。 国会前のデモに参加した人たちは口を揃えて「同じことを考えている人たちに会えて安心した」と言う。それは政治への危機感からだけなのだろうか。ZINEが流行っている。自分の言葉で語り、相手の言葉を読み、自分とは異なる他者がいることと出会い直している。わたしたちは本当はもっと、話がしたいのではないだろうか。


あさだ@asadadane2026年7月7日読み終わった新書@ こもれび書店学生の頃に深く考えず使っていた言葉(「美容室”難民”」、「(タブーの意で)地雷」、「ご主人・旦那様」「奥様・お嫁さん」等)を20代になってから使わぬよう意識するようになったが、正にそのような「ことばづかい」への向き合いについて書かれていてするする読めた 歯科の受付業務をしていた際、患者さんから「普段お母さん・奥さんと呼ばれるから、貴方には名前で呼んでもらえて嬉しい」と言われたことがある 些細な言葉の差が人を救いも貶めもすることを胸に刻んでいきたい ローティの言葉がトランプ台頭の予言かのようだと言われたらしいが、現在の日本も決して他人事ではないと感じる こんな時代だからこそ、「正しさ」という棍棒で他者を殴らぬよう気をつけながら対話を大切にしたい

ふるえ@furu_furu2026年7月4日読んでる大衆の、社会の文脈でなく、個人の物語が共有されることで「連帯」することの可能性が開かれるのではないかと思っていたけれど、読んでいたら個人の物語だからこそ共有できなかったり、そこで会話を終えてしまうことも十分に考えられて、その危うさも同時にあることを認識する。






高橋典幸@takahashinoriyuki2026年7月2日読んでる@ 電気湯展示『バラバラな世界で共に生きる 共存の実践』を観覧。墨田区の銭湯 電気湯にて。銭湯内の待合室、脱衣場、浴室の処々に新書『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』(著者:朱喜哲)からのフレーズや文章、銭湯ことばが展示。銭湯時間の中でふと目に入る言葉たちを味わう。思い出に栞などを。 展示『バラバラな世界で共に生きる 共存の実践』 期間:2026年6月7日(日)〜7月3日(金) 会場:銭湯 電気湯 東京都墨田区京島3丁目




玉りん堂@tamma_11232026年7月2日まだ読んでる組織の中にいてどうして人は分かり合えないのかと日々悩む中で手に取った一冊。 読み始めるとローティ哲学を単に解説した内容かと思いきや、身近な問題とも符合するところもあり、読み進める。バラバラなままでそれでも共に生きる、という言葉を噛み締める。



J.B.@hermit_psyche2026年7月2日読み終わった本書を精読して感じるのは、これが単なる思想入門でも時事評論でもなく、ローティ哲学の内的緊張(反基礎づけ主義的な認識論と、なお擁護されるべきリベラルな政治的理想との間の、決して完全には解消されない裂け目)を、著者自身が意図的に温存したまま読者に手渡している点である。 多くの入門書は、この裂け目を「私的なアイロニーと公的な連帯を分離すればよい」という定式によって埋めたつもりになるが、朱はむしろその定式そのものが抱える不安定さを隠さない。 公私を分ける発想は、確かにローティが『偶然性・アイロニー・連帯』で提示した戦略的な回避策ではあるが、フェミニズム批評やベルント・マグヌスらが早くから指摘してきたように、私的な自己創造の言語と公的な残酷さ回避の言語を截然と分けること自体が、権力関係の非対称性を覆い隠しうるという批判に開かれている。 本書がこの批判に明示的には深入りしないまま議論を進めている点は、読者によっては物足りなさとして映るかもしれないが、これは新書という媒体の制約というより、むしろ著者が実践としての会話を思想史的整合性よりも優先させたことの帰結として理解すべきだろう。 本書の最大の知的貢献は、ローティの反表象主義的な言語観(真理を世界との対応としてではなくことばづかい(ボキャブラリー)の効果として捉える立場)を、単なる相対主義への転落として片づけずに、むしろわれわれの境界を漸進的に拡張していくための積極的な倫理的資源として再構成した点にある。 ここで重要なのは、ローティの立場がクーンの通約不可能性やデイヴィドソンの根源的解釈・三角測量の議論と接続されているという事実を、本書が明示的なジャーゴンを用いずに、しかし正確に踏まえていることである。 デイヴィドソンにとって、異なる語彙体系の間に共通の物差しを想定する必要はなく、それでもなお相互理解は慈悲の原理を通じて成立しうる。 ローティはこの発想を政治哲学の領域に転用し、客観性ではなく間主観的な連帯を真理の代替物として据えた。 本書が痛みへの想像力を正しさよりも上位に置く構成を採用しているのは、まさにこの転用の帰結を平易な言葉で語り直したものであり、この移し替えの手際は評価に値する。 同時に、本書がローティの予言(『アメリカ未完のプロジェクト』における、グローバル化に取り残された旧来型労働者階級が、いずれ強権的人物を担ぎ上げるだろうという1998年の見立て)をトランプ現象の予見として扱う点については、いくぶん慎重な留保が必要である。 この予言のレトリック的な魅力は強く、書籍の商業的訴求力にも直結しているが、厳密に言えばローティのこの記述は経験的な社会予測というより、彼自身が終生こだわり続けた感傷教育(sentimental education)の失敗、すなわち連帯の基盤を理性的合意にではなく感情的同一化の拡張に求めるという理論的立場から演繹的に導かれた帰結であった。 本書がこの点を予言が当たったという驚きの物語としてではなく、ローティの理論構造そのものから必然的に導かれる帰結として(つまり偶然の的中ではなく理論の内的整合性の証明として)読者に提示できているかどうかは、本書の哲学的誠実さを測るうえで重要な試金石になる。 実際に読む限り、朱はこの点を単なる予言的中譚に還元せず、むしろローティの連帯概念が抽象的な人類愛ではなく具体的な同胞意識の輪の拡張として構想されていたことの必然的な帰結として位置づけており、この整理は思想史的に手堅い。 もう一つ指摘すべきは、本書がローティのプラグマティズム言語哲学的な系譜(セラーズの所与の神話批判、デューイの道具主義、ブランダムの推論主義的意味論)との接続をどこまで明示するかという編集上の判断である。 朱自身の専門がまさにこの系譜にあることを踏まえれば、本書はより専門的な議論を展開することも可能であったはずだが、あえてそれを抑制し、公共的な対話可能性という実践的主題に焦点を絞り込んでいる。 この抑制は、一般読者への配慮としては正しい判断であると同時に、ローティの反表象主義がなぜ相対主義やなんでもありのニヒリズムに帰着しないのかという、批判者たち(バーンスタイン、ハーバーマス、あるいはより厳しくはアラン・ソーカルら科学哲学側からの攻撃)への十全な応答を、本書の枠内では提示しきれていない、という限界も同時に生む。 とりわけハーバーマスとの対比、すなわち理想的発話状況における合理的討議による合意形成を志向する立場と、ローティの「会話が続く限り真理性は問題にならない」というエスノセントリックに開き直った立場との間の緊張は、本書が扱う「分断の時代にどう会話を続けるか」という主題そのものの成否を左右する核心的な論点であるにもかかわらず、正面からの理論的対決としては簡潔に済まされている印象を受ける。 とはいえ、この理論的な物足りなさを補って余りあるのが、本書が終始一貫して保持している倫理的な構え、すなわち論破ではなく立ち止まることを知的態度の中心に据えるという姿勢である。 これはローティが終生嫌悪した理論への逃避(政治的実践の困難さを理論的解決可能性へとすり替えてしまう知識人的悪癖)への警戒を、本書自身が実践してみせているとも読める。 つまり本書は、ローティについて理論的に語りながら、同時にローティ的な仕方で語ること、すなわち完結した体系を提示するのではなく、読者との会話を開いたまま閉じるという構成を採用しており、この形式と内容の一致こそが、本書を単なる解説書以上のものにしている最大の理由である。 総じて本書は、ローティ哲学の核心にある基礎づけなき連帯という逆説(普遍的な理性にも神にも訴えることなく、なぜ我々は残酷さを避けるべきだと言えるのかという問いに、理論的な保証ではなく実践的な習慣づけによって応答しようとする逆説)を、思想史的な精度を大きく損なうことなく一般読者に開いた点で、日本語で読めるローティ入門としては現時点で最も達成度の高いものの一つに数えられる。 同時に、この逆説を最後まで「逆説のまま」提示するという著者の選択は、読者に安易な結論を与えない代わりに、読了後もなお「では自分はどう会話を続けるのか」という実践的な問いを手放させない。 これはローティ自身が望んだであろう読後感に、おそらく最も忠実な仕上がりだと言える。
ブックスエコーロケーション@books-echolocation2026年7月2日新刊入荷サイン本@ ブックスエコーロケーションブックスエコーロケーション、7月2日(木)open。11‐19時。 朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』NHK出版新書 わかりあえない他者を、敵にしないために。〈正しさ〉で殴りあう世の中で、「会話」の可能性を問いなおす。話題書のサイン本が入荷しました!








- 萌@macmac_03152026年6月30日まだ読んでる5月は小説をごくごく飲んで読書の仕方や楽しさを思い出していた。6月に入ってからは、少し難しそうなテーマにも挑戦。これはあとちょっとで終わりそう。一回でわかりきらなくって巻き戻したり、他の雑誌などと行ったり来たりしながら。ことばづかい、想像力、リベラル、アイロニスト、いろいろ

ふるえ@furu_furu2026年6月28日読んでる本の中で語られる「われわれ」と「やつら」という分断を生むものや、「やつら」としてしまったものを「われわれ」に拡張できるのかを読みながら考えていて、永井玲衣さんの『世界の適切な保存』を思い出す。大きな文脈に捉えられてしまうものではなく、個人の物語や感情に触れることで「わたし」と「あなた」になれるような(そこに回収していいのかはわからないけれど)、そんな気がしている。


stfm@stfm2026年6月28日読み終わったテーマは非常に興味深くおもしろいけれど、哲学ならではの表現や解釈でやはり難しく、何度も読み解くような読書。 立ち止まると読みきれないので、わからなくてもとりあえず読む。 そのなかで気づきのあるところを拾って、取りこぼしたものは再読時に、くらいの気持ちがちょうどよい。
鳩原@biscuit79952026年6月27日読み終わった電子でサラッと読んだだけでは理解しきれなかった部分が多いかも。 「尺度を探し求めようとする誘惑は、世界あるいは人間の自己が、本有的特性、つまり本質を持っていると考えてしまうより一般的な誘惑の一種である。」 ローティという哲学者の言葉。私たちに言語化できるような『本質』なんてものは無くて、言葉を使うことで自己を創造してるんだぞ、という話らしいのだけど割と衝撃的だった。 だけど、『ことばづかい』がその人らしさを作っているという考えはしっくりきた。 『わたし』なんてものはわたしたちが遣うことばから偶然生まれたものであり、ことばを変えれば『わたし』もまた書き換えることができる…… うぅん難しい。 一人じゃ飲み込みきれないから、誰かとこの本について話してみたい。

F@Nova_12062026年6月27日気になる近所の図書館ゆる言語学ラジオでクラブとバザールの話が出たのと、Chromeのおすすめに著者の人の対談が出てきたので。 読む前の感想としては、もはや僕は常にバザールで生きてもいい気がする

- 萌@macmac_03152026年6月23日買った読み始めた本と商店街2026 BOOKNERDさんブースにて 近所の大型本屋さんでパラパラして気になっていた本、憧れの本屋さんで出合い直せたので即決。読み始めます
寿司鳥風呂ねろう@Udon89292026年6月23日読み終わったリチャード・ローティの哲学を著者である朱喜哲さんを通して読み取っていく1冊。 哲学という難問を上手く噛み砕いてくれてるので、ローティという人物の魅力を知ることができました。 分断の世の中で自分は一体何が出来るのか?と思っているのであれば特別な事をしなくてもいい。 「ことばづかい」を気をつけていく、まずはこれでいい。 バラバラな世界で共に生きるには。


Michika@0610shun2026年6月21日買った読んでる私=privateでどのようなことを思っていたとしても、 公=publicな場ではバラバラなそれぞれの "善い"とするものを持ち寄って、 合意できる言葉を探っていこうという内容に感銘を受けた。 物事の核となる真理に迫っていくことよりも 理解のヒダを横に広げていくイメージ。 自分と考えがまったく違う、 お互いにわかりあえるのだろうかという状況で 想像力を広げて言葉を尽くすこと。 言葉は人と人が影響を与え合う大事なツールだからこそ、 これでよし!これで正解!ということはなくて、 見直しながら対話していく必要があると解釈した。 哲学はやっぱり理解しきれていない部分もあると思うので、 読み返したらまた新たな発見がありそうな本!









lily@lily_bookandcoffee2026年6月21日読み終わった・公な場の「善」と、プライベートな場の「善」は分けるべきだ。 ・リベラルは自分たちの考える「善」を正義と見做して押し付けていないか? ・「正義」とは、独りよがりなものではなく、さまざまな「善」を擦り合わせて見出すものでは? ・そのためには対話が必要で、相手を黙らせるようなことはするべきではない。 とても身につまされる、面白い本だった!


やお@yao_tao_2026年6月21日読み終わった簡単ではない内容だけれども、ローティの言葉づかいと人生をことばを尽くしてかみ砕いて案内してくれていて、今年1, 2番目に読んでよかった本。 あまりにつらく思える世界で、諦めないで「会話」を続けて生きていこうと思える、時々読み返したい1冊になった。 伊藤計劃「虐殺機関」を再読したくなる。
lily@lily_bookandcoffee2026年6月20日買った読み始めた@ 本屋B&B読んでいる とても面白い ・相手を人と見做さない状況では「人権を守れ」の声は届かない ・アイデンティティポリティクスを突き詰めると、「おまえにはわからない」と対話を打ち切ってしまう。そしてそのような状況に追い込んだ多数派にこそ責がある。




ni@u_kiuki302026年6月19日読み終わった一月かけてゆっくり読了 『偶然・アイロニー・連帯』が気になりつつ、100分de名著を見逃していたのでこの機会に少し勉強できて良かった 〈正しさ〉と思いやりの間で立ち往生するとき、いつも私はその場合にするべきふるまいがわからず、結局流してしまうかその人の側を立ち去るということをしていた 私とあなたが同じ場所に立っていないことに絶望したり諦めたりしないための方法としての、リベラルというふるまい方について学んだ 〈一番大事なのは会話をつづけること〉 一つの事柄への探究をめざさない、基礎づけ主義をやめる、われわれが偶然の産物であることとバラバラであることを認め、改訂の可能性を前提として外側に開いておくこと 人権や人間の基礎的条件などに依らず、会話しことばを改訂していくことで「われわれ」を拡張する 〈ことばを外に開いておく〉 つねに改訂の可能性にひらいておくこと 〈残酷さを減らすために努力する〉 公平で正しいものを守るためではなく、残酷さを減らすためにふるまうこと バランス力としてのリベラル、互恵性を見る力 共感性を広げていくこと でも結局「われわれ」を拡張していくとしても「われわれ」がある以上外部ができてしまうのでは?それならば個人という一番小さな単位で連帯していく方が他人を傷つけずに済むのでは?とか、バザールとクラブでの公私の意見は本当に統一しなくて良いのか?とか、まだ全然解決できない疑問もあり 具体的な行動に落とし込むことができるまで、考えつづけたい



azu@dddd_0092026年6月18日買った読み終わった読みやすくてありがたい。 哲学の本って読みやすいですよという雰囲気で、すごく難しかったりするので。 文末のブックガイドもとても丁寧なので、この本を読めばいい!というよりかは、これをきっかけにいろいろ読んでみるのがいいのだろうな。 第6章のまとめあたりの「しかし、私たちにはちょうど一人分、自分の人生を通じてやれることがあるはずです。」という言葉が非常に心強い。
ぱんだちゃん@pandamental2026年6月13日読み終わったp.135 誰かを黙らせることをめざさない。「われわれ」を少しずつ拡張していくことによって、会話を守る。 ジェノサイドの言語ゲームの話に衝撃を受けた。 ことばから虐殺ははじまる。 われわれ/やつらの線引きの話も、印象的。日本でも昨今移民問題で揉めているが、基本的にこの、われわれ/やつらの問題だと認識している。 コテンラジオの深井さんが、シンドラーの回で、善性の発動条件の話のときにもあった、どこまで仲間とみなすか問題に近いと感じた。 われわれ、つまり仲間を拡張していくこと、そして境界が曖昧なことで起こる事象なのだろう。




はしばみ@hazel_in_maze2026年6月10日買った読み始めた購入、序文を読む。「正しさ」か……。ここまで生きてきて、「正しさ」とはずっと何かを考え、意識し続けてきたと思う。この書によって再考・再編出来そうな気がする。「正しさ」はたぶん、おそらく、客観的な視点に依るものでなく、もっと主観的で、自分の心に根ざしているものではないか、と私は思っているが、どうだろうか。



ふるえ@furu_furu2026年6月9日読んでる読みながら、本文の内容には全然関係ないところで「仲良くなる」とはどういう定義なのかと考えていた。時間を共に過ごす時間が長ければ「仲」は良くなるのか、それともコミュニケーションの多さが多いほど良いのか、そういう何かが一定量を超えれば自然とお互いの了解を得ずとも移行する関係性なのか、いろんな人の言葉で聞いてみたいと思って、そこまで考えて読書に戻った。






Magmel@magmel2026年6月9日読み終わった読んだ読み終えた。ローティの哲学を丁寧になぞった入門書。 真実を突き詰めて終極の語彙を閉じるのではなく、会話を続けること、終極の語彙を「改訂に開く」ことを哲学の使命としたローティの思想やスタンスをキャリアを追いながら解説する。 リベラルが嫌われてるみたいな言説はそういうこと言う人間の声がでかくて気になるだけじゃないか?とは思うけれども、リベラルとも言えないようなただ「正しさ」で他人を叩きたいだけの人間もたくさんいるのは確かだしそれに鬱憤を溜めた側の爆発力がトランプみたいな分断の象徴を生んだのも確かか。20年前にトランプのような指導者が求められる時代を予見したローティは改めてよく時代を見ていた人だったんだな。 善いとも悪いとも断じることができない人間の複雑さ、個々の人間のバラバラさ、曖昧さに耐えること…白黒はっきりしてほしいタイプの私にはけっこう忍耐力を要求される話でもあった。でも0か100かで会話されるとしんどいよな、みたいな体感もあるのでわかる…と思いつつ、自戒とする。




saeko@saekyh2026年6月8日リチャード・ローティの『偶然性、アイロニー、連帯』は、書名はよく聞くが手に取るハードルがなかなかに高い学術書なので、やさしく解説してくれる本があってありがたいと思った。 人類普遍の必然的な本質などは存在せず、あらゆる人間も社会も偶然性の産物であると捉える。共同体において「正しさ」や「常識」とされているものを疑うアイロニーを持つ。そして残虐さを回避するために、感情をもって紐帯をむすぶ。これが異なる人間が異なるままにともに生きていく方法だという。 ともすれば陳腐に聞こえなくもない。とはいえ「人類普遍の真理の追求」という哲学の至上命題を否定し、言語哲学の立場から「ことばづかい」と社会におけるコミュニティ形成の関係性について説いたのは画期的だったのかもしれない。 伊藤計劃の『虐殺器官』で登場する虐殺文法が実際に研究され、発見されていたというのが面白かった。

おいしいごはん@hontonioishii2026年6月8日読み終わった旅先で買って、そのまま読み終えた。 元々気になっていた方というのもあったけれど、杉田さんの新書の後に読んだこともあって色々と考えながら読めたように思う。 ローティの考え方は個人的にはとても受け取りやすく(それはきっと著者の解説の良さによるところも大きいが)、とても興味深かった。 少し困った点としては、p.179で指摘されている「いったいどうやって公共的な正義を実現するための私的モチベーションを調達することができるだろうかという問題」に対応する部分を私が読み漏らしてしまっている可能性が高く、あとで読み返したいところ。





本屋B&B@bandb2026年6月7日トークイベントアーカイブ@ 本屋B&B【TALK EVENT】2026.06.16 19:30- ひとりの声から、公共の会話へ 『はじめての公共訴訟』(集英社) 『バラバラな世界で共に生きる』(NHK出版) W刊行記念トーク 朱喜哲×能條桃子×丸山央里絵 https://bb260616a.peatix.com/ 異なる立場や価値観が交錯する社会のなかで、ひとりの声はときに、孤立しがちです。 同時期に刊行されるふたつの新書が、「会話」と「公共訴訟」——それぞれのアプローチから、この問いに応えようとしています。 本イベントでは、「立候補年齢引き下げ訴訟」の原告でもある能條さんの実践を、ローティの思想と重ね合わせながら、社会を動かすツールとしての「公共訴訟」の可能性と、バラバラな世界で「共に生きる」ことの意味を語り合います。


黄金の産毛@ubuge2026年6月4日読み終わったバラバラであることに耐え、会話を続ける。これが難しいんだよな。どうしてバラバラであることがこんなに苦しいんだろうな。はやくバラバラであることを楽しめる人間になりたいな。 読みやすいかと言われればそうではないのはわかる。でも私はこの本大好き。やっぱり哲学が好き。



なかちきか@susie_may41412026年6月4日気になる買った『ネガティヴ・ケイパビリティを生きる』の3人の著者のうちのお1人だと気づいた。これも読んでみたい。敵対する人と対話するための本が2冊ばかり積読な気がするけど。





midorisaejima@midorisaejima2026年6月3日読み終わった「確かさへの執着を放棄することで、私たちはことばを使ってより自由に自己創造ができるというポジティブな面が開かれる。ローティが偶然性に見出している可能性はそこなのです」再記述することでものごとを捉えなおすことばの「偶然性」、絶えず終極の語彙(自分が最終的にすがりつくしかないことば)を疑い改訂にひらく「アイロニー」など重要な考えを概観できた。自分の中に残酷さをみとめ共感をはぐくみ、自分を拡張することで連帯は成される。

m4@m42026年6月2日読んでる油断するとスルスル読める(喉越しも悪くない)が、きちんと理解できていない気がして行きつ戻りつしている。 100分で名著のローティの会を見逃しているので、慎重に進みたい。


pukka@pukka_reads2026年5月31日読み終わった切実なテーマの本。 内容は難しい部分もありつつ、著者の文章はのどごしが良い。 真理を探究することなく語り続け、自分が偶然性に開かれていることを認識し、私的な空間を確保しつつ、他者ともにある。 自分はリベラルな価値観を持ちつつ、「正義を振りかざす知識人」を何となく斜に構えて眺めてるところがあり、それは冷笑的な態度と言われればそれまでかもしれないが、そこから一歩先に行きたいなあ、と思った。 印象に残ったところ p93 ジェノサイドに至る言語ゲームの過程が興味深い。侮蔑語を経由して心理的抵抗を減じる p134,p144 アイデンティティに訴える論法は会話を止めてしまう かつての改良主義的左翼が「われわれ」の中での再分配を問題としていたのに対して、新たな文化左翼は「われわれ」の外に置かれてしまっているマイノリティを念頭に、そのアイデンティティや差異を語る p167 世界規模の危機が出没しだすと、知識人たちはきまって、大々的な知的改心(略)を採用する以外に助けとなるものはない、と申し立てる 必要なのはマジョリティとしての責任 疑問点 p63 リベラルとは、残酷さの回避を求める思想というシュクラーの定義。分かるような気がしつつ、バラバラな他者との間で残酷さを共通項にすることはできるのか、それもまた結論を求めない会話を続けるよりない、ということなのかな p104 ローティはフィクションやジャーナリズムの分野に感情教育の可能性を見出したけど、みんながショート動画に夢中になって痛みの伴う現実から逃避するいま、他者の苦痛に関心を払い、それを伝える仕事に対価を払う人がどれくらいいるのか?まだフィクションの方が可能性が残っている気がした。 p162 自文化中心主義のくだりが、この本の中でどういう位置付け・意味なのか、読解力が追いつかなかった




はぴ@happy-reads2026年5月31日読み終わった読み終わってから帯のコメントを改めて見て…「うわ、すごいな」って思った。 この本を通して貫かれる意志、みたいな、光、みたいものを、数行の言葉に詰め込めるのがすごい。 ご覧の通り「うわ、すごいな」って感想になっちゃう私には、到底真似できない技だ… 🗣️ 「ことばづかい」に重きを置く、というのは比喩的な意味ではなく。 「そんなこと言われたら何も言えなくなるじゃないか」「そんなの言葉狩りだ!」ってリベラル批判、ポリコレ批判があるけども、そこにこそローティの主張は効いてくる。 「パブリックな正義(正しさ)」と「表立っては言いづらい本音」の扱いについて。 🗣️ 『「人間は他の動物よりも〔知性や尊厳をもつと言うのではなく〕はるかによく感情を理解しあうことができる。」 〔と言うべきです。…・・・そうすれば〕自分たちのエネルギーを感情の操作に、つまり感情教育(sentimental education)に注ぐことができるからです。 その教育はさまざまな種類の人間にお互いに知り合うチャンスを与え、自分たちと違う人たちをにせの人間と考える傾向に歯止めをかけることができるでしょう。 この感情操作の目標は、「私たちの同類」とか「私たちのような人たち」という言葉の指示対象を広げることにあります』(「人権についてオックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ」) 内田樹せんせの「自己中が問題なんじゃなく、自己がちっちぇえのがアカンのや」的な視点を思い出した。空間的にも、時間的にも、いかに大きな範囲を「自分事」として捉えられるか?それが成熟した器なんだ、って。 ただ、感情教育が「共感」をベースにするのだとしたら、怖い。『共感という病』も改めて読みたい。










tarot0r4@tarot0r42026年5月31日読んでる面白い。 他者の靴を履く、や、ナラティブに通じるものがある(というかローティが先なんだろうけど) あと予想外に虐殺器官の話が出てきてちょっと興奮した



tony_musik@tony_musik2026年5月29日読み終わったローティとロールズの言説を紹介しつつ、リベラルの再興について検討する。その答えは、タイトル通り「バラバラな世界で共に生きる」ことであり、そのためには残酷さへの抵抗と再記述への開かれが必要であるという結論。重要なことは真理の発見ではなく会話の継続である、という言葉にハッとさせられた。

あさぎぬす@ryou79ki2026年5月28日このところ抱いているもやもやとか行き詰まりを感じていることとかに、そっと解決の糸口をひとつ示してもらったような感覚。 語り直しを行いながら、わたしを、われわれを拡張していく、ってとてもすとんと腑に落ちる言葉だった。





Magmel@magmel2026年5月23日買った読んでる発売日にタイトル買いした本。読みながらそういえば100分で名著でローティを紹介していた回の解説の方が著者だと気付いた。 「正しさ」によって他人を糾弾することから注意深く距離を取り、残酷さに対峙しながら会話を閉ざさないことをめざすローティの哲学をわかりやすくまとめている。終極の語彙という概念がキーワードなのかな。 さくさく読めていま3分の2くらい。


こうや@s2bump2026年5月22日読み終わった著者のことばが丁寧で、自然に頭へ入ってくる。 リチャード・ローティは、分断を生みやすい「本質」を求める伝統的哲学を批判した、いわばアンチ哲学の哲学者だといえる。 ローティが語るアイロニーは、世界の記述がつねに訂正可能であるという前提に立つ、多元性と懐疑心にもとづく態度。自分の語彙を絶対化せず、改訂に開く姿勢。 『海辺のカフカ』で大島さんが話していた「アイロニー」と通じる部分があるんじゃないかな。


本屋lighthouse@books-lighthouse2026年5月21日読み終わった仲西森奈『ホームページ』彼が少なくとも初期に重視した「会話」とは、ことば、それもロゴスをともなった有意味で明晰なことばを介して、ひとびとが意思疎通したり、合意形成したりする営みのさらに手前、同じ時と空間に身体をもった他者がいるときのふるまい全般にかかわってくる概念であると考えたほうが、その射程は広がるのではないかと思います。(p.192-193) 前著の時点で朱さんを通して語られるローティまたはロールズなどの哲学にあるユートピア性=ユートピアは辿り着けない場所であるからこそそこを目指しているときにだけ「どこかに」存在している、という感覚との相性がよく、その前提をもとに主張の軸である「会話をつづけること」について読むことになるから、人文書にしてはめずらしくわかりみがふかい〜となりながら読める1冊だった。でもわからなくてもいいし、わからなくても「共にある」ことはできる、というかそうでなくてはならない。それが「会話」をつづけるということだ。 そのような点で、本書は仲西森奈『ホームページ』と似たなにかを持つと感じた。あるいは、ローティの主張する「会話を続けること」の実践を本の中で、あるいは物語の中でおこなっているのが『ホームページ』とも言えるだろうか。仲西さんの小説は登場人物たちのおしゃべりの場面が魅力的なんだよな〜、と思っていた理由もここにあるのかもしれない。









- ゆるふ@yuruF2026年5月18日読み終わった公共的な領域(トロツキーを信奉すること)と私的な領域(野生の蘭を愛でること)をどのように統合したら良いか?という問いを抱えた少年ローティが、両者を区別することこそが重要だと気付く物語に、私自身も救われる思いがした。残酷さを減らすという目標に向かって連帯する、われわれを拡張する、というアイデアは分断の時代にこそ響くものがある。分かり合えない他者に対して、まずは「会話」する(身体をもって時空間を共にする)ことから始めよう。


ブックスエコーロケーション@books-echolocation2026年5月18日新刊入荷@ ブックスエコーロケーションブックスエコーロケーション、5月18日(月)open。11‐19時。ご来店お待ちしてます。 朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』NHK出版新書 わかりあえない他者を、敵にしないために。〈正しさ〉で殴りあう世の中で、「会話」の可能性を問いなおす。






冬瓜@togan0002026年5月17日読み終わったいっきに読んだ! 私も(は?)権威主義は嫌だな(なぜなら中心と周縁という線引きを強化していき、周縁側にいくほど苦しくなる、この本的にいうと残酷さが色濃くなるから)と思いながらも、権威的なもの(客観的と言われることや、広く認められた根拠があるものなど)に安心感を覚えることもある。「正しい」ほうにいて、誰からも糾弾されず安心したい気持ちもある。 みたいなそういう感情を持ったひとりたちがたくさんいる社会なのだから、そりゃ一刀両断できないというか、キレイにすっきり割り切ることはできなくて、自分も他者たちもお互いに見やりながら言葉を交わしていく必要があるよなと思いました。 ほんでもやっぱり、残酷さは減らしていきたいなと、そのためにウンウン唸りながら生きていきたいなとも思いました。


はぴ@happy-reads2026年5月16日買ったタイトルと表紙から、エッセイかと思ってたけど、ローティの哲学紹介なのかな?? ローティって「ななが正しいか、ではなく、正しいものはなんなのか、対話し続けることにこそ意味がある」って主張の人だったっけ。具体的に彼の哲学に触れたことないから、これが初めてだ!

JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月15日まだ読んでる@ 電車帰りの新幹線などでちみちみ読み進めた。くたびれたので今日は第4章まで。やはりローティの議論には必ずしもしっくりこない部分があるので(他方ですごく分かる部分もある)、次章からの彼に浴びせられた批判の検討であったり現代社会との接続が楽しみ。 〈人々が各々で自由に自己創造を行なうことと、人間は連帯しなければならないこと、このふたつは、じつは理論的には交わらないのだと認めなければならない。そしてこれを認めた場合、どういうことになるのか。それを明らかにするのが、ローティが「アンチ哲学」を踏まえて自身が構築する哲学を積極的に打ち出した『偶然性・アイロニー・連帯』だと予告しているのです。〉(62頁) 〈人権という「本質」を基盤にするのではなく、残酷さを減らすというリベラルの、したがって「公共的な目標」のために、紐帯を結ぶ。これがリベラル・アイロニストのあり方だと説くのです。〉(102頁) 〈つまり「連帯」とは、小さな共感や一人ひとりの個別の人間に対しての同情やシンパシーといったものを手がかりにつくっていかざるをえないものだということです。〉(104頁)



JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月15日まだ読んでる@ 電車〈「必然的な本質を共有しているわれわれだから、わかるはずだ」ではなく、むしろ本質など持たない、互いに偶然的な存在であるからこそ、なにかしらいっしょにやっていくことができる、という可能性が出てくる。〉(52頁) 動物園前から京都への移動で第1章を読み終わる。




JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月14日買った読み始めた@ 梅田 蔦屋書店ずっとお会いしたかった(おふたりのうちのひとりの)ご担当者様にようやく会えた。『たった一人の読者を生きる』と『まとまらない言葉を生きる』、『悲しい話は今はおしまい』と『共感と距離感の練習』がそれぞれセットで面陳されてたのも嬉しい。棚からは朱さんの話題書を購入。大阪から九条への移動で「はじめに」を読む。




Koh@tnsm02232026年5月1日気になる2026/05/01 朝井リョウさんと加藤千恵さんのポッドキャスト「信頼できない語り手」#1 で、小川哲さんがおすすめと言っていたとの哲学者 リチャード・ローティの哲学の話が気になり。



つるりんご@Tsururingo1900年1月1日読み終わった読み終わっただけでは理解したことにはならないんしゃないかなぁ???と思っていて、じゃあ何を学んだんですかっていうのも正直自信がない。 フィクションを通じて自分の範囲を拡張していくことと、ことばづかいの変化が侮蔑から虐殺にまで発展していく過程は「わかるなぁ」と思う。 今ここで広げられている「正義」や「善」とはなんだろう?ローティの言うことなのか、はたまた違うものなのか、自分ができるのは、この話を頭の片隅に置いて時々参照することかな。

























































































































































































































































































































































































































































