
まめご
@mmg_86
2026年7月22日
神様のボート
江國香織
読み終わった
相互フォローの方が海の日に海の読書を、とポストされているのを見て、そういう本の選び方もいいなと本棚から久しぶりに引っ張り出した。
海の気配を強く感じる1冊。
文庫が出た時に買って何度も読んでいるのに、私の中での物語の立ち上がり方に今までとは違う印象を受けた。
葉子と草子の暮らす3つの街を地図でたどりながらゆっくり読んだからかもしれないし、今の私が草子目線だけでなく葉子目線からも読めるようになったからかもしれない。
共感というのではない。
ただ、自分の人生ではとても起こらなさそうなことや絶対に選ばないだろう選択肢が、“もし”起こってしまったら、“もし”選んだなら…という“もしも”を、リアリティをもって読めるようになったということだと思う。
「一度出会ったら、人は人をうしなわない。」と言う葉子は、草子が自分の意志で人生を歩み始めようとすると「私が草子を失う? まさか。」と動揺する。この矛盾。
分かっていないはずはない。
葉子自身がかつて自由を求めて家出をした娘だったのだし、その後の結婚と別れも「桃井先生はやさしいひとだった。あの日々も幸福だった。/でも、私はいまここにいる。」という有様なのだから。
草子のいう「現実」をどこかで分かっていながらもなお、「あのひと」の言葉だけをよすがに前に進む葉子の姿は、さながら「「現実」に見放された狂女みたい」な痛々しさだ。
ただ、現実にまみれて生きている私の目で見るから葉子が痛々しいのであって、葉子自身は「お笑い草」だと自嘲しながらもあのひとのことを信じたくて信じ続けている。それはもう信仰のような純粋さで。
この只中にある葉子は強がりでも意地でもなく、本当に「私は幸せだ」と感じているのだろう。
それがたとえ、「人生に与えられた三つ目の宝物」である草子を戸惑わせるものだとしても。
そもそもここまでくれば、幸せと不幸せの境目などたぶんなくなっている。まさに狂気だ。
こんな境地にまで連れて行かれる恋愛は「倒れそうに甘い」としか形容できない。
冒頭で描写されるシシリアンキスの味だ。
私はシシリアンキスを飲んだことがない。
葉子のような生き方は、実際にはとてもできることではないししたいとも思わないけれど、だからこそ“もしも”と物語に耽溺すれば、蠱惑的な狂気の味に酔うこともできる。
他の人を巻き込むことも、二日酔いもなし。
素敵だ。
私はカクテルを飲むなら大体ジントニックかジンライムだけど、もし今度お店で飲む時は、シシリアンキスを頼んでみようかな。




