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@ym
2026年7月22日
「夫婦」不在社会
三宅香帆
読み終わった
村上春樹を読みたくなる。
というか村上春樹の文章だけ読んでも自力でこんな解釈にはたどり着けないような気がしたので、この本とセットでねじまき鳥クロニクルを読みたいなと思った。
あと、結局は労働って「私」を侵食するんだよな〜〜〜
うまくバランスを取りたいな〜〜〜〜くううう
となった。半身で働きたい。
以下、読みながらぼんやり思ったことをメモ。
第3章で村上春樹の『眠り』を読み解く際に出てきた、
"夫は妻の「夫」であることより、母の「息子」であることを優先したのだ。"
ここを読んだ時、ミュージカルのエリザベートを思い出した。
嫁いだばかりのエリザベートが姑のゾフィーにしきたりを守るよう強く言われている時、夫のフランツは母の肩を持つ。
結局この2人は関係を修復することなく物語は終わる。
ふたりの最後のデュエット曲『夜のボート』で
「いつか私の目で見てくれたなら あなたの誤解も解けるでしょう」と2人で声を合わせて歌う。
この曲は2人の別れの曲と認識していたが、実は「和解」や「ディスコミュニケーションの解消」の曲なのでは?と思った。
ミュージカルでは登場人物の思いが重なる際にデュエットを歌うことが多いが、まさか重なる思いが「私の立場になって物事を見てくれたらもっと違ってたかもしれないのにね」という夫婦関係の持続をほぼ諦めた思いとは…切ない…
だが黙り込んですれ違い続けるよりマシなのかもしれない…
村上春樹の描く夫は妻と話さず黙り込むらしいが、
エリザベートはむしろエリザベートが黙り込む(というか逃げ回る)のが興味深い。
村上春樹をきちんと読んでから、黙り込む夫と話し合わない妻について考えてみたい。
