
カササギ
@Kasadagi_shobo
2026年7月23日
雪の如く山の如く
張天翼,
濱田麻矢
読んでる
「春の塩」まで読了。
「春の塩(春之塩)』の初出は『小説界』二〇一七年第三期。日本では『群像』二〇二四年八月号に著者による翻訳及び解説が掲載された。
*…*…*
短いお話だから、読物として全高校生に配布しても良い思う、きっと高校の教科書に載っていた森鴎外の『舞姫』ぐらいにえ?彼女はどうすべきだったの?という疑問が女生徒の心に残って生涯引っかかり続けるような作品になると思うから。
先に感想を拝読させて頂いていたもぐもぐ羊さんがキム・ジヨンを思い出したと書かれていたが、なるほど私も最後の1ページの展開で憑依された彼女の姿を思い出した。
語り手の「わたし」がリーリーを「彼女」と呼ぶ。
ヨーロッパ旅行を夢見ていたカップルに予期せぬ妊娠が発覚したところから物語は始まる。このあと訪れる周産期の経過をリーリーに寄り添って「わたし」がその様子や心情を事細かに語っていく。最後のページでこの語り手は誰かが明かされる、そのことに驚きはないが、一体どの時点からこの物語を語っていたのだろうか、と語りの外側に流れている時間の方が私は気に掛かった。
「産む性」としての彼女の身体の変化とそれに伴う葛藤が上手く描かれていると思う。産まない性である彼のスラリとした身体との対比の描写が面白い。たぶん私が彼女であったならその場面で薄っすらとした殺意さえ抱いたのではないか、とさえ思う。
妊娠を告げたその時からヨーロッパ旅行は夢物語となった。その運命の裂け目を彼女は何度呪ったことだろう。その瞬間まで彼女はただひとりの娘でいられた、子と言い換えても良い、それが母となり妻となり義理の娘となっていく、もう戻れない。その身体が隅から隅まで自分のものであった時間は終わったのだ、そういう物語なのだと思う。
語り手の眼差しがこの物語の救い。義母と実母と赤ん坊、そしてその赤ん坊の父親と暮らしながら、彼女の心は孤立している。言葉も心もまとまらない。それを「わたし」が補って語っている。語り手によって物語は私たちへ開かれている。そのことが救い。どこかで聞いたことのあるよくあるstory不可逆なこの流れ、流されていくリーリーの心の機微を、私たちは共感をもって聞くことができる。語り手を通して彼女の痛み、飲み込んだ言葉のかけらを拾い集めることができる。彼女に寄り添えていたのは「わたし」だけ。でも読み終えた私たちも彼女に寄り添える。語り手が出来事を物語に仕立て彼女を孤独から救ったように読んだ私も共感で彼女を包みけして彼女を独りにしないようにしたい。







