
たまご
@reading-egg
2026年7月24日
さみしい夜にはペンを持て
ならの,
古賀史健
読み終わった
そうかー、日記は読みものになるのか。忘れた頃に読む、読みもの。
いま、バレットジャーナルに日記を書いていて、やることとか、メモとかいろんなものが放り込んであるノートに書いているけど、日記専用のノートにした方が、読みものになりそうな気がしてきた。
ただ、ノートを増やしたくない気持ちもあるんだよなぁ。
ひとくちに日記と言っても、書く目的も、内容も人によって違う。書くタイミングも、書く分量も違う。
どんな日記にしたいか、自分で決めていい。
古賀及子さんも言ってた。「十人いたら十通りの日々なのはもちろん、日記の考え方、書き方もそれぞれだ」と。
それから、こうも言っている。
「日記と秘匿の濃淡は、公開するかしないかではなく、書き手それぞれの日記観からくる手つきに依る」と。
タコジローの日記は、おじさんとイカリくんに見せているので、完全に自分だけが読む日記ではない。それでも、自分との対話に支障はないのだろうか。
どうして古賀史健さんは、タコジローの日記をイカリくんに見せるようにしたのだろう。
単に、日記が続くようにするため? 私だったら、人に見せる日記と、完全に自分だけが読む日記では、書く内容が変わってくる。
