
ジクロロ
@jirowcrew
2026年7月24日

心理学と錬金術 1 新装版
C.G.ユング,
池田紘一,
鎌田道生
買った
読んでる
わけても背理は、極めて貴重な精神的財産の一つである。これに反して一義性は、弱さのしるしである。従ってもし宗教が、その背理性を失ったり弱めたりするようなことがあれば、それは内面的に貧困化し、背理性が強められる場合にはそれは豊かになる。というのも充益せる生をおおよそなりとも捉えうるのはひとり背理のみであって、一義的な明白さとか矛盾の無さとかいうものは物事の一面にしか通用せず、従って把握し難いものを表現するには不向きだからである。
(p.30-31)
世の中の背理に対し、受け入れる(引き受ける)姿勢があればこそ、宗教の背理性から力を授かれる。
背理には厚みがあるけど合理はペラ一枚。
背理は襞があり合理は剥き出し
背理は宗教に限らず、哲学、形而上学その他の学問を豊かにする。
合理は学問を浅くする。非線形をリニアに、無形をスクエアにしてしまう。
近代の合理主義が精神を蝕むことになったのであれば、ユングのようなすごい心理学者が現れること自体がある意味で人類史上の不幸とも幸運とも言える。これもまた背理。
「一義性は、弱さのしるしである。」
政治的には一義性こそが強さのしるし。
一義性=悪というリニアな解釈もまた合理的判断と言える。一義性こそが必要となるシーンは、生きていれば当たり前に出てくる。
政治的意志と人間的精神、
弱さは強さであり、強さは弱さであるということ。
シェイクスピアの悲劇こそがユング心理学のA面とも言える。
「汚いはきれい。きれいは汚い」(『マクベス』)