
ゆい
@no1sin
2026年7月25日
庭とエスキース
奥山淳志
読み終わった
>「あんた、入れ歯なんて一度作ったらそれで終わりじゃと思っておるんじゃろう。実際、わしもそう思っておったからな。歯が無くなって、入れ歯にしたとき、ああ、これでこの入れ歯を一生使っていけばいいんじゃなと思った。じゃが、入れ歯は合わんようになるんじゃ。あんたにはわかるまい?」。僕は首を縦に振った。弁造さんは続けた。
「入れ歯を作ってもらうとな、しばらくは調子いいんじゃ。そりゃそうじゃ、歯医者がわざわざ口に合わせて作ってくれるんじゃからな。じゃが、そのうちに合わんようになるんじゃ。年を取っていくと歯茎までが痩せたりと変わっていく。しかも、とどまることなくじゃぞ。だから、こうして生きているうちは入れ歯を作り続けんといかん。あんた、入れ歯ひとつとってもこうなんじゃぞ。入れ歯なんてと馬鹿にしとってもな、そんな簡単なものじゃないんじゃ。生きていくってことは一筋縄で行かん。全く簡単ではないんじゃ」。そう言うと、「ほれ」と大きな口を開けてみせた。
口の中は真っ暗で、どこまでも深い穴のようだった。弁造さんはぱくりと口を閉めると、「年をとるとな、自分が言ってることがようわからんときがある。いくら年寄りでもそんなときは反省せんといかん。じゃがな、死にかけの年寄りに若い者が理詰めで言い負かすのは、もっとほめられんぞ。半分ボケた年寄りでも傷つくんじゃからな」と言って笑い声をあげた。(P.169)
