
満ちかけ社
@michikakesha
2026年7月26日
ほんのささやかなこと
クレア・キーガン,
鴻巣友季子
読み終わった
個人の幸福と共同体の正義が対立するとき、人はどのように振る舞えばいいのか。
その決断をする時までの、主人公の心の動きが、視線やささいな仕草、その人となりや信条をにじませる抑制の効いた台詞で描いている。
この物語は、その決断をする時で、終っている。
その後、彼と彼の家族の歩む道のりのことは描いていないが、歴史をなぞると険しいものになることは想像に難くない。
だか、「愚かしくも楽観するどころか、本気で信じている」という最後の一文が、救いになる。
ほんのささやかなこと。
彼が娘たちを誇りに思うのは、まちの名門校に通っていることではなくて、礼拝堂で膝を折っておじぎをしたり、店主がお釣りをくれた時にお礼を言ったり、ささいなことでもきちんとこなしているのを見た時。
彼の信条を作ったのは、彼と彼の未婚の母の恩人である人の言ったささやかなこと、決して口にも行動にも出そうとしなかった小さなこと、知っていたに違いないこと。
その、ほんのささやかなことが、彼を決断に導く。
妻には、主人公とは異なる現実がある。女性として生きてきた時間が、その視線が物語る。
時々、何も分かっていない子どもを見るように彼を見つめる妻や、食堂の女性店主の視線を通じて、彼もまたひとつの恵まれた、守られた立場から決断をしようとしているのではないかという余白も残す。
絶対的な正義を、描いていない。
個人の幸福と共同体の正義が対立するとき、人は何を迷い、何を拠り所として行くべき道を選ぶのか。
そのことを過不足なく描いた、小さな傑作であると思う。


