
阿久津隆
@akttkc
2026年7月16日
八月の光
ウィリアム・フォークナー
読んでる
手負いのクリスマスはウイスキーをがぶがぶと飲んで、そんなに飲んで大丈夫か、と思いながら読んで、その場で昏倒したうなじゃないか、と心配しながら読んだがそうはならず、「ウイスキーで熱くほてって元気づけられた空の胃袋」だそうで、どういうことなのかと思いながら読んで、とにかくそういう状態で彼は道路に出て、「彼にとってこの道路はこれから十五年間も続くことになるのであった」とあった。
p.292
ウイスキーは醒め、新しく酔いを作り、また醒めたりしたが、道路はなおも続いた。その晩から数知れぬ道路がひとつの道路のようなものとなり、いずれも同じような町角や入れかわる風景がつぎつぎと出てくるばかり、ただそれが中断されるのは、時おり汽車やトラックや田舎の馬車に頼んだり忍びこんだりしたときだけで、そうやって乗ってゆくのは二十歳の彼、二十五歳の彼、三十歳の彼、いつも静かな堅い顔で坐り、衣服は(汚れてすり切れたもののときでさえ)都会風のもので、どの馬車の馭者もこの男がどんな人物か見当はつかぬが、それを聞きだす勇気も起さなかった。この道路はオクラホマ州とミズーリ州に走ってゆき、南はメキシコまで行き、また北へ戻ってシカゴからデトロイトへ、そしてふたたび南下して最後にはミシシッピ州へ戻っていった。
『野生の棕櫚』でも季節が川の上をぐんぐん流れたところがあったけれど、こういうのはやっぱり痺れる。