
あんどん書房
@andn
2026年7月27日
彼女のカロート
荻世いをら
不穏さとモヤモヤを存分に味わえる作品。
一作目「彼女のカロート」。
墓のメンテナンス業を営む「彼」。元々は経営的目論見から始めたその仕事だったが、今では墓地という空間に落ち着きを見出し、やりがいを感じている。
“墓地は今や彼の人生の隠れ家だった。静かで、空気が澄んでいて、何もかもが眠っているけれども一人ぼっちでないという感じ。”(P18)
落ち着いた文体だけどこういう遊び心的なものがあって良き。飄々としてるというか。
「彼」のもとにかかってきた依頼の電話。その主は今まさにニュースで原稿を読んでいるはずの「世利まこと」であった。
「彼」は世利から「自分自身の声以外の音が聞こえなくなってしまった」ことを明かされる。つまり身体的疾患が原因ではないということ。しかしアナウンサーである彼女にとってその事態は致命的である。彼女はそれを一種のスランプと捉え、その解決の手がかりとして墓づくりを依頼してきたのだった。
もうだいぶ色々とメタファーな感じがする。文体はそこまで重くないのだが、やはり「墓地」と無音の世界のイメージとがあって、どこか不穏でもある。ここからどこへ行くのかが全く分からない…。なんとなくこの不穏さの重なり方はファイト・クラブみを感じる。
しかし作品は思ったよりも急に終わりを迎えた。鳴り止まない電話。果てしない廊下。近づいてくるどす黒い雨雲。
“部屋一杯に溢れる静寂が、誰も知らない暗渠を伝って彼女のカロートへと続いているようだった。”(P94)
とても単純な解釈を試みるならば、やはり「向こう側」と「こちら側」の話ということになるのだろうか。カロートの静寂とは墓地の静寂であり、つまり死後の世界。最後に「彼」の声が世利に届いてしまうということはつまり、そういうことで……。
いやしかし、なぜだ。なぜ「彼」はそちら側に引き込まれなければならなかったのだ。空虚だからなのか。
二作目「宦官への授業」。
まずなんと読むのか分からなかったので調べたところ、真っ先に出てくる画像があまりに知っているブレッソンの写真で、あの写真って最後の宦官だったんだなというのも初めて知った。
初っ端から書き出しが最高で、
“読めば読むほどに、読んでいる当座の自分が状況から滑っていき、さっきは読めたはずの文字へ破れ目が伝う——無意味が伝染していくのだ。”(P98)
という箇所は読めなさについて書いた文章で一番好きかもだった。また99Pの「つまりこの小説は陰茎をめぐる冒険譚である。」という一文で、もうこれは最高におもろいやつだなと思って読み進めた……しかしそんなに甘くないのが純文学。愉快な物語かと思っていたのだが、やはり不穏さが侵食してくるのだった。
年齢国籍不明の「幸福老人」(幸福倫太郎)のもとで世界史の家庭教師を行うことになる「誠」(天生目誠)。そんな幸福老人の元恋人(?)で性別不詳な「環」(宇利=バージェン・環)。ひょんなことから二人は幸福老人の陰茎を探すことになり……。というか幸福老人にしても本当に元宦官なのかが分からないままで、つまりシュレディンガーの陰茎状態のまま有るのか無いのか分からないそれを探すというもう何書いてんのか分かんなくなってきたが。
着地点が全く見えず宙吊りにされる感覚は二作ともに共通で、ネガティヴ・ケイパビリティ的なものを試される作家なのだなと思う。
ありがたいのは千葉雅也さんと江南亜美子さんによる解説。構造やテキストの物質としての面白さといった批評的な読み方の指針を示してくれると「なるほどな〜」と思う。
本文書体:筑紫明朝
装丁:加藤賢策(LABORATORIES)