ごうき
@IAMGK
2026年7月27日
自分以外全員他人
西村亨
読み終わった
「人に過剰な親切を見せながら、決して踏み込まれないよう壁を作り、人を好きになることにも好かれることにも罪悪感を覚え、気の合う人と出会っても、関係が深まりそうになるとわざと嫌われるような真似をして遠ざけた。」
面白かった。私小説のようで、「LINE」や「既読スルー」と言った軽い単語や浅薄な感情がまざまざと現れ、その思想のなさに心底つまらなさを感じていたが、中盤の展開から一気に面白くなった。全体を通して思想は感じないが(そもそも、現代人は「普通とは何か」のような漠然とした概念を疑うようになったから、思想も浅薄になってしまうのかもしれない)、それでも町田康が評したように、「理不尽な身勝手さがすごく人間らしくていい」。
この作品は、いわゆる「弱者男性」的な、被害妄想の強い陰鬱とした人間、けれどもそれを「優しさ」と自覚している男が主人公であり、だからこそ色々と心を動かされてしまった。以前の私、現在の私と被るところが多い。以前の私にも当てはまるが、規律やルールを重んじて、相手を自分よりも優先することが「優しさ」と履き違えている人間が、この世には多すぎる気がする。「優しさ」とは単純に弱さのことであり、「他人を優先する=優しさ」と捉えているうちは、まだ優しくない。本作にも出てきたが、「他人を優先することは自己中心的ではない」という考えは、「他人を優先することもまた自己中心の行いである」という反論から、論理として弱いのがわかる。第一、この世の人間関係はギブ・アンド・テイクであり(それを唯一壊しうるのが愛である)、その視点に立って「自己中心」を規定しなければならない。しかし自称「優しい」人間はそういうこところまで考えず、「自分は優しい」と思い込んで澄ました顔をしている。果ては、その優しさに気づいてもらえないと、裏切られたと勘違いする。困ったものである。そういう「施しを与えている」という立場を取ることをやめなければならない。人間は皆、フラットな立場にいるので。
また、こうした態度を前提として初めて、作中で出てきた「他人の顔を殴りたくなる」などの表現に厚みが出てくる。本作序盤ではこうした「優しい」論争がなく、従って「殴りたくなる」などの表現も気の弱い中年男性の日記のようにしか思われなかった(それが最初つまらなかった原因でもある)。しかし、中盤、主人公が自身の「優しさ」に揺れ、次第に周囲に過剰なまでの八つ当たりをしていく場面は面白い。そしてこれは現在の自分にも当てはまる。表に出さずとも些細な人間に対して腹を立てる場面が多い私は、結局根っからどうしようもない人間なんだな、と思う。自分に犯罪者の素質があるようだ。それは社会の規律によって抑圧されているが、裏から言えばそれは私がどうしようもない人間であることの証左である。よくないことである。世の人間は一体全体、自分が自転車に乗っている時に通行人に対して苛立つことがあるのだろうか。私は、よくある。
