
いぬい
@inuiru
2026年7月26日
記銘師ディンの事件録 木に殺された男
ロバート・ジャクソン・ベネット,
桐谷知未
読み終わった
面白かった……!
人体を改変した「特殊能力者」たちの帝国、安楽椅子探偵と助手、そして巨大怪獣……巨大怪獣??? よく分からんがとにかく好きなもの全部載せましたみたいなやつ、面白くないわけがないんだよな。
いやー、いい探偵だったなと思いながら読み終えたら、あとがきでこの探偵を書くきっかけになったのはネロ・ウルフだったと書かれていたので「あー!」となった、ネロ・ウルフ、いちばん好きな探偵です! 最終的にはレクターに似てしまったと書かれていたけど、そんなことはないと思う。
ファンタジーとしてもミステリとしても面白いんだけど、いわゆる「お仕事小説」として見どころがあったな、と思った。
p64−65
" 率直に言って、日々の雑務をこなすことさえ億劫になることがよくあった。食料を調達したり、家を直したり、家族の面倒を見たりすることに、なんの意味があるのか? 巨獣が防壁を突破すれば、ほんの数時間のうちに千人単位の命が奪われ、自分もそこに加わる可能性があるというのに、何かをすることに意味などあるのか?
だが、帝国は生き延びてきた。皇帝が、そのような考えかたは誤りであると国民に告げたからだ。皇帝の彫像はいたるところにあり、そこには " Sen sez imperiya " という言葉が添えられている。ほとんど誰も話さなくなった古い言語、古カナム語で書かれていたが、誰でも意味は知っていた。" 汝こそ帝国なり "
そして肝心なのは、国民がその真意を理解していたことだ。" われら全員の行動があってこそ、われらはここにいる " "
皇帝が登場するわけじゃないので実際のところはよく分からないんだけど作中ではこの皇帝がほんとうに「ひとりひとりの民に価値を認めている」らしくて、権力は腐敗するし指導者はバカ、みたいな印象のつよい昨今この支持率高そうな帝国ってすごいなと思った。
主人公のディンが無愛想でまじめで、周囲に半人前扱いされてムカつきながらも「自制心……」と言い聞かせながら働く姿には親しみを感じざるを得ない。
p407
" 「スベレクとアリスタンは正義を得ていません」
「ああ」アナが言った。「そうだね」
「十人の技官たちも正義を得ていません」
「そのとおりだ」
「なのに州府は、気にかける余裕さえないようです。リヴァイアサンが迫ってることを理由に。間違ってる気がします」
「間違ってる気がするのは、実際に間違ってるからだよ、ディン」アナが言った。「文明とは多くの場合、かろうじて維持されてる骨折り仕事なのさ。けれど心を強く保ち、頭を冷やせ。正義の塔は、一度にひとつずつ煉瓦を積み上げて築かれる。わたしたちには、まだ積むべき煉瓦がある」"
「一度にひとつずつ煉瓦を積み上げて築かれる」というフレーズに胸を打たれたんだけど、とは言え「正義」にはピンとこなくて、そもそも「正義を得る」という言いまわしは日本語ではあまりないような気がしたので調べてみたら、Justiceの語源はラテン語の「iustus(公正な)」なんだって。そう言えば正義の女神ユスティティアは天秤を持っている。つまり日本語の「正義」のイメージとはちがって、天秤が釣りあっている状態、均衡のイメージなんだな。
と考えてハッとした。この物語の探偵役であるアナは引きこもりの変人で、「外界は刺激が多いから」と言って目隠しをしているんである。ユスティティアは右手に剣、左手に天秤を持ち、目隠しをした女神だ! ハァ〜なるほどね!
そして助手のディンはいっぱしの剣士なんである。なるほどね!
仕事にかぎった話ではないが、目の前の大きな問題、漠然としているのに消えない風潮とか、なんとなく満ちている厭な空気とか……どうにかしたいと思っても、ひとりの力ではどうにもできそうになくて、何をしても無駄だなって徒労感に襲われたり、虚無ったりすることはめずらしくない。ひとりでできることは、たかが知れている。
だけど「ひとつずつ煉瓦を積み上げて築かれる」ものがあるのなら、そのたったひとつの煉瓦を積むか積まないか、というのは大きなちがいだ。生きているあいだには、それはかたちをなさないかも知れない。けれど、もしかしたらだれかが、私の積んだ煉瓦の上に、またひとつ煉瓦を積むのかも知れない。
いるかどうかも分からない「だれか」を信じるわけでもないが……この小説に登場する人物たちは、じぶんの積んだ煉瓦が何かをつくり、何かを保ち、何かを守って、生かしていると信じて仕事をまっとうしている。ひとりひとりの働きが「世界」を維持している。
ところで……(ミステリのネタバレじゃないけどある種のネタバレ)
ファンタジーとしてもミステリとしてもお仕事小説としても面白いんだが、何気にLOVEもある!!!!!
いや、これ、私のラブコメフィルターが作動してるだけだと思ってたんで、それっぽいシーンが差し挟まれるたびに「いやいや……考えすぎだよ……」と主人公同様「冷静さと自制心を保て」と己に言い聞かせてたんだけど。
巨獣との最前線に赴くストロヴィ大尉を祝福する宴の場面。額や頬に油や絵の具を塗られた彼の顔を眺めながら、それらを憂いと共に拭い去ってやりたいと思うディン……
「わたしの部屋に、洗面台があります」
「それをぜんぶ、落としてあげられますよ」
ハ、ハァ〜〜〜〜??!?! ここへ至るまで、ストロヴィ→ディンはうっすら匂わせつつもディンの気持は分からなかった。何しろ「冷静さを自制心」の塊みたいな男である。それが、おまえ、おまえ!!?!?! いや、しかし微妙に鈍いディンのこと、これがそういう意味ともかぎらんし……と思っていたのだが、それに対するストロヴィの答えが「ほ……本当にいいのか?」
ヒューーーーー!!!!! 思わずスタンディングオベーションする私だった。
すでにシリーズは三作めが刊行されているようだが、邦訳されるのはいつになるのかなあ、早く読みたい。楽しみ。
