
紺
@kon_
2026年7月30日
新版 いっぱしの女
氷室冴子
読み終わった
@ Shibuya Publishing & Booksellers
「女が女に憧れ、その憧れが生きる力になってゆく微妙な感情、泣きたくなるような思い──私はそういう感情が好きだし、いくつも経験している。だから、信じている。
幸が不幸か私は肉体的にはカンペキなストレートだけれど、精神的にはかなりの部分、同性愛的な傾向があり、それは断言してよいけれど、決してめずらしい特異なものではない。
女が女に、その社会的成功や美しさだけではなく、その魂において、いきる姿の強さと凛々しさにおいて、心を揺さぶられるほどの感動をもらい、深く愛してゆくということはあるのだ。」
(p.82)
「芸能ニュースを嬉々としてしゃべりあう口の裏に、小姑じみた、あさましい、ホカに話すことのない侘しさ、なぜか芸能ニュースにかぎって良識ある市民になってしまうウサン臭さ──などなどを感じてしまって、いまだにピンとこない。」
「ようするに、芸能ネタが根っから好きなら、好きといえばよいのであって、(世間が許さないよ、こんなこと)と、さも良識ぶって芸能スキャンダルを口にする、こずるさ小心さがイヤだ」
(p.65)
とーーっても好きなエッセイ。
自分がぼんやりと考えてもやもやと心の中に滞留させていたことを、明文化してはっきりと輪郭を立ち上がらせてくれるような、それでいて軽やかでリズムのある文章。
根底に、女たちへの、そして時に男たちをも含めた人間への、著者の真摯で愛情深い眼差しを感じていた。
ゴミ出し時間を守らない入居者を取り締まろうと〝自主的に〟夜更けにゴミを漁って犯人をあぶり出すアパートの住人を、自分の中でだけ「羅生門」と呼んでるところなんか、お腹がいたくなるほど笑った。
わたしはフェミニズムって男の人をも解放するものだと思っていて、男の人の〝(女の人のそれとは違った意味での)失敗の許されなさ〟とか、それゆえの〝間違いを認められない、訂正できないという息苦しさ(それが、謝ったら負け、というような本末転倒な思考に追い込まれやすいことも含めて)〟とか、社会構造によってつくられてきたそういう苦しみからみんなを解放するものでもあると思っている。
バブル期に借金までしてクリスマスにジュエリーを買ってシティホテルを予約〝しなくてはならない〟男子たちの苦しさにも、軽やかによりそってみせる彼女の文章を読んでいて、彼女もそんなふうに思っているんじゃないかなと考えていた。

